K-Pg狭間の戦い 〜滅せぬ者のあるべきか〜

鯵坂もっちょ

K-Pg狭間の戦い

【1560年、ある夏の日の午後 ヌエバ・エスパーニャ副王領】


 スペインによるアステカ征服から四十余年が過ぎ、スペイン人はメキシコの地にすっかりと根付いていた。

 農民であるアントニオ・バウティスタ・デ・ラ・クルズは、いつものようにカカオの収穫に精を出していた。


 いつもと違ったのは、空であった。

 その時アントニオは、東の空、ユカタン半島の方角に一筋の流星を見た。

 昼でもはっきり見えたそれは、太陽よりもずっと明るい流星であった。


 その9秒後、アントニオは流星の光よりも更に明るい光が東の方から溢れてくるのを見た。

 いや、見た、というのは正確ではないかもしれない。

 それは瞬く間に光を強め、アントニオの視覚機能を完全に奪ってしまったのだ。



永禄えいろく三年五月二十日、の刻 尾張おわり国】


 深夜のきよ城は静まり返っていた。

 時折、何処かで馬がぐるる、と低い唸り声を上げるのがいやによく聞こえる。

 大広間では、一人の男が舞っていた。


 人間じんかん五十年、てんの内を比ぶれば、ゆめまぼろしの如くなり

 ひとたび生をけ、滅せぬ者のあるべきか


敦盛あつもり』の一節である。

 笛も、鼓も従えず、男はただ一人で舞っていた。

 細く研ぎ澄まされた体躯。鋭く、刃物のような目。

 その切れ長の目からは、大勢を統べる者の風格が感じられる。

 織田おだ上総介かずさのすけ信長のぶながであった。


 重大な戦を前にしては、信長はいつもこの演目を舞うのだ。

 それがあまりに真に迫っているので、周囲にはこの行動を「まじない」と呼ぶものもあった。


 滅せぬ者のあるべきか。


『敦盛』の中での熊谷直実くまがいなおざねがいかなる気持ちでこの言葉を発したのか、信長は当然それを知っていたが、それを知った上で信長は「相手を滅する」というただ一心でこれを舞っていた。

 毎回そういう心持ちであったので、呪いなどと呼ばれるのは心外であったのだが、傍から見ればそう見えるかも知れぬ、ということは理解していた。


 しかし今回は違った。すなわち、信長は、重大な戦を前にして自らを鼓舞しているのではなかった。その「重大な戦」は、このとき既に雌雄が決していたのだ。


 信長の前には、醜く頬肉のたるんだ男の首級がある。

 家臣どもには早めに休むように申し付けてあった。信長自身がこの男と一対一で対峙することを望んだのだ。


 今川いまがわ治部大輔じぶのたゆう義元よしもと

 織田の宿敵とも言える存在で、何年も前から織田家と小競り合いを繰り返していたが、此度のおけ狭間はざまでの戦でついに大将首を上げるに至った。

 信長は思った。義元は、無念だったであろうか。

 五十年は、生きたかったであろうか。


『敦盛』に曰く、人の世の五十年など、天上界の一日の長さにも満たぬという。

 五十年とは、人一人にとってはほぼ寿命と同じ程度の長さである。一個の生命にとっては、認識できる時間が五十年程度でしかないとも言えよう。

 そうであるなら。

 信長は、折に触れて考えることがある。

 そうであるなら、人類全体の歴史とは、どれほどの長さであるものなのか。


 信長にも当然父がいた。父の父も、そして父の父の父も。

 そうやって遡り続けた先には何があるのか。

 人類の始まりとはいかなるものなのか。

 そしてそれは、どれほど昔のことなのか。

 百年などでは済むはずがない。千年、いや、一万年か。


 事あるごとにそのような思索に耽っていた信長は、若い頃に一度家臣の前で「一千万年」などと口にしてしまったことがあった。

「一千万」という数と「年」との取り合わせは、その家臣には、もとい、この時代を生きる人間には突飛に感じられ、それ以来信長は「うつけ」呼ばわりされるようになったので、近頃はそのことを他人には話さぬようになっていた。


 もし、人類の始まりが一年でもずれていたなら、今日の戦は成功したであろうか。

 明け方に全天を包んだ強烈な光は、神懸かりであると思った。神が織田家の味方をしているのだと。

 そして、いざ今川の陣に攻め入ろうとした瞬間に鳴り響いたとてつもない大音声と大地の揺れは、今川軍の足並みを崩し、果たして織田軍の襲撃を成功させる足掛かりとなった。


 あの大音声と地震の正体が何であったのかは、信長にはわからなかった。ただ、人類の始まりが一年でもずれていたなら、あの神懸かりは起こらなかったはずだ、と思った。

 それこそ、一年とは言わず、何千万年などという単位でずれていた可能性だってあったのではないであろうか。

 自分がこの時代の人の世に生を受けているのは、まったくの偶然ではないのか。

 信長は途方も無い気分にとらわれていた。


 さて、今後のことである。

 義元の首を取った暁には、上洛の準備を進めねばなるまい。その先は中国、四国攻めだろう。

 そしてその先はもちろん、朝鮮を通り大陸へと攻め入ることになろう。

 そう考えていた信長であったが、もし数千万年も時間がずれていたなら、今のように日の本と大陸とが陸続きではなかった可能性すらあるのだ、ということに思い至った。

 もしそうであるなら、馬を駆って大陸に攻め入ることは難しいのかもしれぬ。信長は思った。


 何処かで馬がぐるる、と鳴いている。

 馬にしてもそうだ。太く尖って筋肉質な尾。鋭い牙。そして矢を跳ね返す美しい柴色の鱗。

 その巨大な足は千里を駆けるのにこの上なく適している。

 この「馬」と呼ばれる生物も、数千万年の後には全く異なった姿になっていることであろう。


 つまりは、すべて偶然なのだ。

 ちょうどこの時代に信長が生まれ落ちたからこそ、織田家はここまでの繁栄を享受しているし、義元を討ち取ることもできた。

 人類の始まりが一年早くても遅くてもいけなかったのだ。

 そうなる可能性ならいくらでもあったはずなのだが、何故か信長はこの時代に生まれ落ちている。

 信長はこの偶然の妙を噛み締めていた。


 だが、追い風のような偶然がこのあともずっと続くとは、信長には思えなかった。

 これからが大変だ。

 義元の首を見据える。

 今川家は、まだ滅亡してはいないのだ。

 今川家の家督はすでに義元が子の氏真うじざねにある。

 いくら愚鈍な男とはいえ、油断はできぬ。


 滅せぬ者のあるべきか。


 信長は、今川家の滅亡を強く願い、その祈りを敦盛に乗せて再び舞った。



【1560年、ある夏の日の午後 ヌエバ・エスパーニャ副王領】


 アントニオは蒸発した。

 自らの身に何が降り掛かったかを理解する暇すらなかった。

 その時、ユカタン半島には直径約15kmの巨大隕石が衝突していたのだ。


 衝突の瞬間、隕石はマリアナ海溝よりも深く地面をえぐり、噴出物はエベレストを上回る高さまで達していた。

 さらに、発生した地震はマグニチュード10.1相当であり、それは高さ最大300mの大津波を引き起こした。

 隕石の放出した光、熱、そして衝撃波により、衝突の中心から1000km以内にいた生物はすべて即死した。


 そしてそれは遠く日本にも影響を与えた。

 発生した光は即座に、音と揺れは9時間後に日本に到達した。

 それどころか、隕石は地球全土の気候にも影響を与えていた。

 隕石によって巻き上げられた砂塵によって太陽光は遮られ、地球は急激な寒冷化に見舞われた。

 寒冷化によって、植物の生育は大きく阻害された。

 そのおかげで、人間を含む大型の生物はそのほとんどが衝突から十年程度で絶滅したのである。


 その中には当然、今川氏真ほか今川家の家臣団も含まれていた。

 すなわち、今川家は滅亡した。

 かくして、信長の祈りは確かに成就したのであった。


〈了〉



参考Wikipedia


敦盛 (幸若舞)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%A6%E7%9B%9B_(%E5%B9%B8%E8%8B%A5%E8%88%9E)


桶狭間の戦い

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%B6%E7%8B%AD%E9%96%93%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84


チクシュルーブ衝突体

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%96%E8%A1%9D%E7%AA%81%E4%BD%93


K-Pg境界

https://ja.wikipedia.org/wiki/K-Pg%E5%A2%83%E7%95%8C

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