第153話 23時の東名高速

このXJも、マフラーの芯を貫通させて直管にしていた(^^)。


俺がXVでやっていたの、その音を聞いて

Yのお父さんが「俺のもやってくれ」と(^^)。


お父さん、この頃66歳だったかな。若いお父さんである。


MA-1のカーキ色のを着てて、ジーンズで。NAVAのヘルメット。

髪はシルバーで、ふんわりパーマ。優しそうな人。にこにこ。



で・・・・。マフラーの芯抜きである。


俺のXVや、マンボーのXJ、芯が真っ直ぐに付いている。


でも、このE2は、芯が斜めに付いていて。

それをよく見ないで、出口からL字の19mmレンチ、長いほうが

ホイールキャップはずし(まあ、クルマの車載)で、孔を空けて

タイヤレバーで、拡大すると・・・。



なので。



マフラーの横が膨らんでしまった(笑)。


それで交換。もう一度、注意深く穴開けて。



音が低くて。どぅどぅどぅ・・・・と。いい音になった。



俺のXVは、これで歯切れのよい音になって

コーナーへ入る時、アフターファイアして火が出たりと(笑)。


シフトダウンするときに、エンジンブレーキが効きすぎるから

少し、アクセルを開ける。


それで、生ガスが吹き抜けてアフターファイアする。


どろーん・・・・ぱん☆ とか。





それを見て、Yのお父さんは「同じにしてくれ」と言ったのだった。



抜けが良くなったけど、抜けすぎてちょっとガスが薄い感じ。




まあ、お父さんはそんなに飛ばさないから、いいのかな。


「芯抜き」は、むかーし。CB750の時代からあって

その時代は4stでもマフラーの芯が取れていたので

外して切ったり、加工したりして音を楽しんでいた。











23時と言うと、丁度東名も空く時間で

上り線が混むのは2時過ぎ。


バイクで飛ばすには一番。


俺はXJのシートがふかふかなので、ゴージャスな気持で。

バイパスから、インターに入って。


料金所でチケットを貰って。

80年頃は、まだ自動発券機はあんまりなかったし

ETCなんて、もちろんない。


オジサンにチケットを貰って、ジャンパーの内ポケットに入れて、ボタンを閉じた。


落っことすと大変だ・・・とは言っても、普通のライダーだと

まあ、信用してもらえたらしい。


U原だったか、ツーリングバックのポケットを閉めずに走って

落っことしたとか・・・。


タバコからライターから。


それは、伊豆スカイラインだったけど。




コロナツーリングバック、と言う

今あったら売れただろう(^^)バッグがあって。


ガソリンタンクに台座を、ゴムで止めて


バックルでバッグを止める。そういうバックが流行っていた。

後々、似たようなのが一杯出たけど。



昔のバイクは、ガソリンタンクの下が空いていたので

ゴムを通すのも楽だった。






それはさておき、東名高速である。

料金所を通り、カーブをゆっくり登って合流。


XJは、穏やかなツーリングバイクなので、加速はのんびり。

ヤマハの4気筒は、どういう訳か摩擦が多いような回り方をする。

後々のYZF-R6でもそうで・・・


このXJも、ホンダに比べるとなんか、がさごそと余計なものがくっついている感じがする。


熱が多いのも、そのせいかも・・なーんて思いながら全開。



回転をあげても同じ感じ。なので、自然とあんまり回転をあげない走りになるから

安全でいいのかも。


120+くらいで走る夜の高速。それでもなんか、細かい振動があるので

自然とペースが落ちてしまう。


まあ、安全でいいかも(^^)。



海老名SAに立ち寄って、ちょっと休憩。



レストランは夜でもやっているので、そこでのーんびり、珈琲などを飲む。



空いていれば、レストランでのんびりした方が休憩になるし。



海老名はひろーいSAだから、止めるところは一杯あるし。



昼間なんかだと、暇そうなおっちゃんとかが「750かー、昔は乗ったが」とか。


何キロ出る?とか。 幾らだ?とか。


いろいろ、面白かったものだけど。



XVは、排気量が書いてないので、おっちゃんたちは「ヤマハか」とか言うくらい。



「ハーレーか?」と言うおっちゃんもいて。



「ヤマハです」と言うと



「ヤマハのハーレーか」と、面白いおっちゃんもいた(笑)。



ハーレーってなんだ?(笑)。



ガスライターかいな(^^;










そんなことを思い返しながら、センタースタンドで止めたXJのスタンドを降ろす。

XVとは違い、ぴょん、と言う感じでスタンドが降りる。


XJはふつうの2本サスだから。








Yのお父さんはこの時、練馬に引っ越したが・・・・

その後1年もせずに茨城に引っ越した。


医者だから、職には困らない。


いいなあ・・・(^^)。


その都度、俺たちは手伝いに行って


散々旨い物食って、日当貰って、遊んで。

一ヶ月くらい遊んで。


いい先生だった。昔風のお金持ちって、そうなので

皆に慕われた。



人柄も良かったし。利口ぶったり、偉ぶったりしないひとで

俺とかマンボーみたいなアホ(笑)も

丁寧に話しをしてくれる人で。


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