病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈30〉

 作者カミュにより、『ペスト』の物語は医学と宗教の間での「神学的抗争」として構想されていた側面があった。

 そこにおいては、あるいはたしかにリウーの思惑通り(そして作者であるカミュの思惑通り)、医学が宗教に打ち勝つということも考えられえたのだろう。「物語」としてそれはたしかに可能なことである。

 だが実際問題として、最終的に医学は自然の前において、いずれ力及ばずに敗れ去らねばなるまい。人間は必ず死ぬことになる。それを医学が阻止するということは、どうしたって「絶対に」出来はしないのだから。

 ならば医学はその使命として、自然に対する「人間の、よりよい負け方」というものを見つけ出さねばならないはずだろう。むしろそれこそが、医学が「人間の役に立つ」道というものなのだろう。そしてリウーの信じる医学というものが、まさにそういうものであることを、われわれもまた信じたいところなのである。

 しかし結局彼は、このように言うのだ。

「…とにかく、この世の秩序が死の掟に支配されている以上は、おそらく神にとって、人々が自分を信じてくれないほうがいいかもしれないんです。そうしてあらんかぎりの力で死と戦ったほうがいいんです、神が黙している天上の世界に眼を向けたりしないで…。」(※1)

 死の掟に世界が支配されている。こういった考えは、あたかも世界とは病と死によって成り立っているかのような認識に基づいているように思えるし、そしてそれは、いかにも医者が抱きそうな観念だとも言えるだろう。

 リウーのそのような考えに対して、あるときタルーは「あなたのその戦いは、たとえ勝利したとしても一時的なものでは?」と感想を述べると、リウーもそのこと自体は否定せず相手の意見を受け入れるのだった。その上で彼はこのように言う、「たしかにこれは、際限のない敗北なのだ」と。

 しかしもし医学というものが、そんな「暗い気持ち」にさせるような論理を押しつけてくるものだというのなら、人々としてみればたとえ相手がどんなに沈黙していようとも、神のまします天上にやはりその思いを馳せ救いを求めざるをえないだろう。もし、医学によって人々に与えられうるものが「ただそれだけ」のこと、つまり「ただ一時的に死なないというだけ」のことにとどまるとするならば。

 医学は結局のところ、人間から一時的に死を遠ざけるのがその能力としては関の山なのであり、決定的に死を排除するなどということは不可能なことなのである。むしろそれゆえに、人に必ず訪れる死というものを、当の人間がいかにして迎え入れうるのかという「精神」を、人々に与えてやることもまた医学は、一般にできないままでいるのだ。これはたしかに際限のない敗北であるとともに、なおかつ根源的な敗北なのだと言えるのである。


 『ペスト』を執筆するのにおいてカミュは、宗教の「虚妄」を徹底的に非難する姿勢は崩さないのであった。そこからはどういうわけだか、とにかく宗教を打ち負かしてやりたいという執念に駆られているかのような姿勢が窺えて仕方がない。

 そのようなカミュの宗教観は、次のような言葉にも要約されているだろう。

「…宗教的または道徳的異議を除いては、ほかに全体主義的態度に異議を唱えるものはない。もしこの世界に意味がないなら、彼らは正しい。彼らが正しいということは私には納得ゆかぬ。だから……

 神を生みだすのはわれわれである。創造者は、神ではない。そこにこそキリスト教の一切の歴史がある。なぜなら、われわれにはたった一つしか神を創造する手段はない。それは、神になるということだ。…」(※2)

 しかしもし、カミュの言うように「人間が神を作る」のだとしたら、それはあくまでも「自分たち人間にとって役立つもの」であるように作られるのだろう。ゆえに、神の不在とはすなわち「役立つ神」の不在であり、神の死とはつまり「役立たない神の死」ということになるはずである。

 リウーが「敵」と定めた神。それもあるいは彼自身の境遇から「作り出された」ものであっただろう。幼い頃の貧困から自分を救ってくれなかった神(これはカミュ自身にも共通する「個人的な事情」である)、襲いかかる疫病から人々を救ってくれもしない神、人々の悲嘆を前にただひたすら沈黙を続ける神。そんな神はリウーにとって、徹底的に役に立たないものなのである。

 リウーは、「もし医者が全能の神というものを信じてしまっていたら、その医者はもはや人々を治療するのを止め、全てを神に任せてしまうだろう」と言う。しかし仮に「神に全能を求める」というのならば、それはやはり神がその全能を「人間のために」役立てることを求める、ということなのだ。

 もちろん「全能」というのは、こういうことを意味するのではないし、リウーにしても(あるいはカミュにしても)その後に続く記述を見れば、そんなことはすでにわかっているのだと思われる。わかっていながらにしてこういうことを口にするというのは、それはさすがにいささか詭弁なのではないかとも思えてならないところである。


〈つづく〉


◎引用・参照

※1 カミュ「ペスト」宮崎嶺雄訳

※2 カミュ「手帖2−反抗の論理」高畠正明訳

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