6. 出来損ないの赤色たち

「今日の入学式、どうだった?」


 どうって言われても。お偉い人によるお偉い話があって、そのおかげで欠伸を促されて、担任の紹介があって、適当に校舎を見て、校門前で写真……撮ってない。

 みんなにとっては普通じゃない。だけど要するに、私にとっては普通だ。


「うーん。普通」


「普通って、どんな感じ?」


「普通は普通だよ」


「その普通がわからないの」


 リラの言っている普通が分からない。おそらく彼女も私の普通が分からないのだろう。まだあらゆるところに溝がある。かと言って、それが埋まるかというとそうではない。


「……明日から、二人で登校しよっか。一緒にバス乗ったり、歩いたり、おしゃべりしたり。私はあなたのこと、もっと知りたいから」


「……別に、いいけど。でも、私と話なんかしてもつまらないよ」


「つまらないって言ってる人ほど、案外面白いものよ」


 あれ、こんな会話。前にもしたようなしてないような。

 デジャヴだ。


 ❀


「はい、入学祝い」


 そう言ってテーブルに差し出されたのはイチゴが沢山のったパフェ。


 かわいいときれいのいいとこ取りで、まさしく欲張りなスイーツだった。正直、私の胃袋には重すぎることは否めないけれど。


「こんなのメニューに書いてありましたっけ?」


「いや、載せてないよ。正式名称はストロベリーサンデー。作るのめんどくさいし原価が高いし、誰も頼まない。そんな三拍子揃った問題児だからね。だから、メニューからは外してある」


 見た目はすごくかわいいのに、まるで防御率と制球が崩壊したピッチャーみたいに揶揄されて、少し可哀想だ。


「……いただきます」


 一口食べてみる。ストロベリーソースが絡んだソフトクリームの先端をスプーンでとる。甘酸っぱい。冷たい。少し頭がキーンとする。でも、もっと食べていたくなる。


 パフェは奥へと食べ進める度に変わる。

 それは味でも、見た目でも、感情でも。

 一層目はアイスクリームとベリーソース、二層目はヨーグルトムースや生クリーム、三層目は――といった具合に。


 最下層が一番好きな人なんて、どれくらいいるのだろうか?


 もちろん、それが好きだという人はいるだろう。

 でも、大多数の人は上の宝石に夢中になる。ストロベリーがルビーに見えるように。みんなが憧れを抱いている宝石だ。

 でも、それがなくなると、見栄えが悪くなってしまう。心のワクワクは萎んでいく。


 私は、ふやけたコーンフレークだ。キラキラをただ下から見つめることしかできない。


「食べてる横顔、かわいい」


「見つめているあなたの方がかわいい」


「……じゃあ、どっちも可愛いということだ」


「いや、私はそんなに可愛くない」


「……可愛くないって言う人ほど、可愛く感じてしまうものだよ」


 あれ、この会話、どこかで。

 デジャヴだ。また起きた。一度寝ると記憶なんて忘れてしまうのに、こういうどうでもいいようなものは、いつも消えないままだから、やけに良い記憶力を妬む。


「……食べたい?」


「……食べていい?」


「もう、ソフトクリームないけど」


「パフェなら、下らへんの方が好きなの」


「なんで?」


「溶けたソフトクリームの味が染み込んでるっていうのもあるけど――」


 彼女はゆっくりと言う。言ってる中で笑っている。


「下から支えている土台があるからこそ、色々と、輝いて見える」


 私にはその笑みがどうしようもなく綺麗で、気付かない内にすっと目を逸らしてしまう。


「……何それ、理由になってない」


「私、変でしょ」


「変わってるとは思う。だけどおかしいとは思わない」


 私は続けて言う。


「だって私も、変わってるから」


 変わってる私たちの、ありふれた日常だから。

 きっとそんな不思議も、続けていけばいつかは「普通」になっていく。


「ねえ、お姉ちゃん。パフェ、食べる?」


 下層の出来損ない達をスプーンですくい、彼女に差し出した。


「あーんって、すればいい?」


「……目、閉じてて」


 彼女の口に、無言で入れる。

 スプーン越しに伝わる、彼女の唇の感触。そのときに感じた重さは、重くて軽い、不思議な感触。

 この不思議は、「普通」になってほしくない。

 二人きりの特別な時間。そこにある甘さが、気持ち悪いくらい冷たくて軽い。手で掴もうとしても、後少し届かなくて、すぐに終わってしまう。


 それは、「普通」になるのが怖いからだ。

 変わってしまうのが、ただ怖いからだ。


「――甘い」


「あ」の音が、すっと耳に入ってきて脳に溶ける。怪しげに光るルビーのような、ひんやりとした赤い果肉を奥歯で砕いたときみたいに。甘酸っぱい冷たさが、私の頭を麻痺させる。


「ありがと、エリカ」


 そして、彼女の言葉が私の心を抱擁する。

 それは、今にも消えそうなタンポポの綿毛が、ゆっくりと空中に飛んでいくみたいだった。


「……ずるい」


「……えっ?」


「……お姉ちゃんって、ほんとずるい」


 ❀


 翌日、バスに乗って登校した。もちろん、もちろん隣には辟易するくらいにずるくて賢い彼女もいる。


「このバス、どの時間帯も全然混まないんだよ」


 バスは北の方角へと進む。車窓からは市街地だけでなく、遠くに海も見渡せる。こじんまりとした町だ。

 でも、私にはちょうどいいのかもしれない。


「エリカの好きな物って、なに?」


「好きなもの……」


「何でもいいよ。食べ物でも、趣味でも」


 嫌いなものは手に取るように分かってしまう。

 だけど、「好きなもの」が思いつかないのだ。

 趣味なんてあまりないし、食べ物なら基本何でも食べる。

 昔、病院の診察後、スーパーでの買い物を思い出した。「好きなものを買っていいよ」と言われて、その時の私は卵プリンとレーズン入りのレアチーズ、そして半額になった鰯フライをカゴに入れたのだ。

「変なのでごめん」と言った私に対して、芒さんは「変わり者でいいんだよ」と苦笑して、会計をしていた。芒さんは優しかった。だけど、そんなことを言われる私が嫌いになった。その時、私は自分のことを「間違った人間」だと確信した。

 趣味という趣味もないが強いて言うなら読書。だけど、それを言ったところで話が続かないし、お姉ちゃんの好きそうなファッション雑誌は読まない。週刊誌のハーレムラブコメをまじまじと眺めるのも「男子みたい」と言われるのが目に見えて嫌だ。

 言うのを躊躇ったが、これしかなかった。


「じゃあ、お姉ちゃんが好き」


「エリカ……私も、あなたのこと、普通に好きだよ」


「『普通に好き』って、どういうこと?」


「まあ、そういうこと」


「好き」が私たちの「普通」なら、それはきっと、「好きになること」はできないことじゃないかなと、私は思う。


 好きと、愛。普通なのが好きで、特別なのが愛。なんて考えるのも野暮だ。

 そんなことを思っても、全てのものが複雑に絡み合って、その全てが空回りするから、気の弱い私にとっては気持ち悪いのだ。


「普通が『好き』の目印なら、私はトワイライトが好き」


「……今思ったけど、『トワイライト』って、あんまり言わないかも」


「なんで?」


「その名前、聞こえが悪い気がする。だから、今度から普通に『家』でいいよ。そっちの方が、違和感なく言えると思う」


「……私は家が好き。そして、そこに住む私の家族はもっと好き」


 ――だって、それは、私にできた、初めての「居場所」だから。


「ありがとう。エリカ」


 リラは私の耳元でそう囁く。


「お姉ちゃんのこと『好き』って言ってくれて、嬉しい。だから、ご褒美、してあげる」


 くすぐったい。なぜ耳なのか。右耳が熱くなっているのが分かる。


「……お姉ちゃん、ちょっと、近すぎっ……」


「フフ、エリカ、耳敏感。体、ピクピクしてる。気持ちいいんだね。もっとしてあげよっか」


「……んっ、やめてっ……」


「やめてって言われると、もっとしたくなっちゃう」


 耳元でふぅーってされる。死んじゃう。若干の生暖かさが混ざった冷たい吐息に、思わず声が出てしまう。死んじゃう。右耳を刺激されると、その反動で右肩だけが不自然に自然に上がって、死んじゃう。


「ひっ、ダメっ、お姉ちゃん、お願いだから、んっ、もう、やめてっ……」


「……あー……かわいい。エリカは耳が弱んだねー。よーく覚えとく」


 赤くなった耳をゆっくりねっとりじっとり触られる。

 全身が寒気でゾクッとする。こういうの、得意じゃない。気持ち悪い。無理無理無理。死んじゃう。


 ――そう。そうなのだ。明らかに、「普通」じゃないのだ。


「だめ!しぬ!あんまり妹だからって、そうやって……好きなように弄らないで」


「フフっ、ごめんごめん……ちょっとからかいすぎた……もしかして、怒ってるの?」


「もしかしなくても怒ってるって」


「こんなに感情的になったエリカ、私は初めて見た。だから、すごく、嬉しいんだよ」


「むー」


 こんな話、前にもしたような。

 会話のループって、色んな意味で怖い。その無自覚な繰り返しが怖くて、その既視感に怯える自分にも、おどおどしてしまう。


「ハハ、ごめんごめん。今度からはもうしない。こんなお姉ちゃんで、ごめんね」


「……別に、いいけどさ。お姉ちゃんの好きなものって、何?」


「私はみんなが好き。美雪さんも、学校の友だちも。そして、もちろんエリカも」


 リラは私から目を逸らした。

 ただバスのエンジン音が響く。私達の存在を忘れているかのように。

 窓から陽の光がこぼれている。まぶしいくらいに。

 でも、それは冷たい。その冷たさは、昨日のことのように。私たちを表す小さな指標として、視界に映る。

 もしかすると、私と彼女は、同じなのかもしれない。だけど、そんな風に思っていても、そういう――「同じだと願う」思いがある時点で、それはどうあがいても違う。ザラっとした後ろめたさが、少しだけ見栄を張った私の心をとめどなく見えなくさせた。


 ❀

 

 ――教室って、どうやって入るんだろう?

 目の前には、無機質で薄汚れたアイボリーの扉。

 教室まで、あと一歩。その歩き方が分からない。

 扉の開け方が分からない。

 結局、あと一歩、踏み出せない。

 緊張する。みんな、私のこと、見てるのかな?

 ガラガラという音がたつ。

 みんながこっちを向く。

 怖いし、やっぱり怖い。

 私は。私は。えっと、その。

 その次に来る言葉が、どこを探しても見つからない。

 こんな私は、皆に――今まで会ってきた人たちとって――どんな人で、どんな風に見られているのだろう。

 朝の日の憂鬱。というより、自意識のせいでくる、漠然とした不安感。それを抱えながら、席へと座る。

 やっぱり、私はいわゆる自意識過剰なんだ。そんなことはとっくにわかっている。


 それでも――


 思い描いてしまうのだ。

 夢も、理想も。そこから遠ざかるように逃げてしまう、今現在そのものの自分自身も。


「――あーっと。席、隣じゃないかな?」


「……えっ、あっ、ああっ……ごめんなさい」


 気まずい。初対面で話しかけられるのが席間違いは、ほんとうに終わりを意味しているようなもので。


 知らない人なのは当たり前。当たり前に知らない人が話しかけてきて、隣にいる。そしてそこから会話も途絶えるのは、なんだかむず痒い。


「あっ。えっと、ごめんなさい」


「いや、全然大丈夫だけど。というか、何でもう一回言ったし」


「……えっと、違うところに座っちゃったら、何だか申し訳ないし」


「えー、じゃあ、最初の『ごめん』は何?」


 目が合ってすいません。目が合ったのに話しかけられなくてごめんなさい。これから一年を共にする机に、手汗でベトベトになった私の指紋が付いてしまってすいません。

 お腹痛いのでとりあえず座って落ち着きたかったんです。だけど一回座っちゃうと、あなたの座る部分に私のお尻の生ぬるい体温が移って、なんか気持ち悪いですよね、本当にすいませんとか。もちろん言えなかった。


「ごめんなさい。本当は『これからよろしくお願いします』って、伝えたかったんです」


「あなた、面白いね」


「いや、そんなに」


「ねえ、どこから来たの?」


 お腹の痛みは、座ったことで少しだけ緩和された。私は、ようやく視線を上げる。前には何人かの生徒と、その先に緑色の黒板。そして真横には、一人の少女が座っていた。


 ……大きい。ショートヘアで、すらっとした体型の女の子。顔立ち、髪型、姿勢、低い声のトーン。全部合わせてイケメン、いや、イケ女?みたいな。


「えっ……」


「だって、あなたみたいな人、見たことないし。この町、中学だって一つしかないから」


「……えっと。名前は小牧エリカ、です。……えっと、その、東京、から……」


「えっ!東京!?」


「こっ、声おっきく、ないですか……」


 皆んなが一斉に私の方へ振り向いてきて、緊張で頭がパンクし、胸が張り裂けそうになる。そこからみるみる下半身が熱くなるのを感じ絶望したが、一旦深呼吸をして確認すると、本当に何も出てきてなくて本当に安心した。


「東京って、どんなの?すごいんでしょ?」


「いや、別にそこまでは……」


 言葉が出てこないから、こういう質問されるのが一番しんどい。


「なんでこんな田舎に来たの?」


 どうしよう。どう答えようか。

「全てがどうでも良くなったから」なんて言えない。

 適当に、親の都合で、とか隠しとこうか。

 ああ、でも、親いないんだ、私。

 そういうことも、バレないようにしないといけないんだ。


「やめなよ。初見の人に質問攻めなんて。挨拶もせずに」


 もう一人、見知らぬ女の子が会話に混ざる。ポニーテールで、少し大きめなべっ甲柄の丸眼鏡をかけており、目は丸っこい形をしている。クラスに一人はいそうな、図書委員の隠れ美少女的な。顔も体型も雰囲気も、男子が好きそうな感じ。

 それにちょっと、胸が大きい、というか、身体が人より若干発育、というか、まあ、何かそんな感じだった。すごい、あったかそう。


「あっ、忘れてた」

 

湊向日葵みなとひまわり。中学ではバレーしてて、高校でもやるつもり。そしてこっちが香原 《かはら》すみれ。特徴は……まあ、見た目通りって感じ」


 「その言い方はないでしょ」


 向日葵さんはすみれさんの肩を触っている。もう既にバレているのに、隠すようにすっと触っている。すみれさんは彼女に対し、気色悪いと言わんばかりの、絶妙に嫌味の籠っている睨んだ目線をした。


「……まあ、ひまはこんなやつだから、程々に付き合ってやってね」


「……え、えっと……」


 会話についていけない。私が人見知りなのもあるだろうけど、会話がワンテンポ早くて、癖があるというか、独特な会話のノリだった。


「まっ、まあ、そんなわけで、エリカちゃん、これからよろしくね」


 すみれさんと握手を交わす。

 手があったかい。肌に纏わり付いていた冷たい空気と、心を束縛していた緊張が、少しだけ解ける。


「そうだ。ライカ交換しない?」


 不思議なことに、無意識で言ったような気がする。

 話すための緊張。

 緊張を震わすための勇気。

 勇気なんてないような、意味の無い自己肯定感。


「あっ、全然。オッケー」


 友達という定義は曖昧で、未だによく分からない。

 でも、こういう関係を友達というのなら、案外それを作るのは簡単なのかもしれない。そんな簡単なことをするためだけに、こんなにも労力を費やす。

 だから私の頑張りなんて、これくらいで限界なのだ。


「……ねえ、今日、うちくる?」


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