第16話

 幸せは、いつも唐突に終わる。


 僕は部屋で眠り続けるコハクの横に座り、早くなった秋の日没を眺めていた。


 花火大会の夜、告白を目前にしてコハクは冬眠病の発作を起こし、その場で倒れこんだ。それからもう3か月以上経つが、彼女が目を覚ます気配は一向にない。


 コハクはあの晩、一生分の幸せを使い果たしたかのように静かな眠りについた。僕との夏の予定をすべて反故にして。




「コハク……」




 僕は小さく彼女の名前を呼んだ。微かに寝息を立てて眠る姿は、まるで気持ちよく午睡しているかのようだ。軽く身体を揺するだけで、すぐに目を覚ましそうにも思える。


 しかしコハクを縛る深い眠りの鎖は、どんなことがあろうとも彼女を離さない。




「冬眠病の眠りは、恒温動物の冬眠とは違います。低体温になることはなく、通常の睡眠と同じように暖かさを保ったまま眠りにつきます」




 浴衣姿のまま病院に運ばれたコハクの横で、医者は僕にそう説明した。




「一度眠りについてしまえば、食事も排泄も必要ありません。皮膚の代謝や、脳や臓器の活動も最小になり、ただ命を維持するために呼吸だけをしているような状態になります。傍から見ればただ眠っているのと、何ら変わりないでしょう」




 緊急外来のベッドに横になっているコハクをみて、僕は一番気になっていることを尋ねた。




「コハクはいつ目覚めるのですか?」




 僕の質問に医者は難しい顔をした。30代くらいの聡明そうな男の人だった。




「残念ながら、それは分かりません。今、目を覚ますかもしれないし、明日になるかもしれません。あるいは死ぬまで目を覚まさないこともあり得ます」


「そんな……」




 僕は浴衣姿のまま絶望に包まれた。ついさっきまで、コハクは僕の隣にいたのだ。少し冷たい手の感触だった思い出すことができる。




「前回眠りに入ったときはすぐに目を覚ましました。だからきっと今回も、大丈夫ですよね?」




 僕は自分に言い聞かせるように言った。




「何とも言えませんね。冬眠病には現代医学では解明できない部分が多すぎるのです。症例も世界中で数えきれるほどしかありません。とにかく、最善を尽くします」




 医者は肯定も否定もすることなく、そう言って僕の前から消えた。


 それからしばらく、病院の人たちはコハクを目覚めさせるためにあらゆる手を尽くしてくれた。電気ショックに、酸素吸入、音楽療法まで。冬眠から目を覚ます可能性のあるものはすべて試した。


 しかしコハクは夏休みが終わっても、目を覚ますことはなかった。




「慣れない病室よりも、安心できる自分の部屋にいるほうが、彼女には良いのかもしれません」




 医者がそう言ったので、コハクは眠ったまま自分の家に帰った。


 もともと特別な処置が必要ない冬眠病の患者が入院することは少ない。入院費用もかさみ、経済的な事情も考慮しての決断だった。


 学校が始まったが、コハクの席は空席だった。コハクのお母さんが学校の先生に、冬眠病のことは他の生徒に言わないでほしいと伝えていたため、彼女は「体調不良」での欠席になった。




「雨野さん、休みすぎじゃない?」「もしかして不登校とか?」




 クラスの女子グループ何人かが、そんな噂をしているのを耳にした。クスクスと、嘲るような笑い声も聞こえてくる。


 僕は胸がはち切れそうだった。でも冬眠病だと告白して、心にもない寄せ書きや折り鶴をコハクのもとに送られるよりはずっとマシだと考えた。


 彼女たちはそもそもコハクのことを、あまりよく思っていなかったのだ。




 寂しくなった教室で僕はまた一人ぼっちに戻った。


 コハクが眠り続けていることを知っているのは、一部の先生たちと僕、それからレイだけだった。


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