第15話
浴衣姿のコハクは綺麗だった。
髪にさしたリンドウの髪飾りが、大人っぽさを引き立てている。
「待った?」
白い鼻緒の下駄をカラカラと鳴らしながら、コハクは僕のほうへ駆けてきた。いつもの可愛らしい笑顔も、今日は照れくさいのか少し控えめだ。
「ううん。ちょうど今、着いたところだよ」
「よかった。やっぱり似合うね、その色」
僕の浴衣を下からゆっくりと眺めながら、コハクがつぶやく。
「そうかな」
僕は駅の窓ガラスに映る自分の姿を確かめた。するとコハクが横にひょこっと並んだ。ちょうど僕の肩あたりにコハクの髪飾りある。今の僕らは、どこからどう見てもカップルだった。
「コハクもその浴衣、すごく似合っているよ」
「えへへ、ありがとう」
賑わしい駅前で、僕とコハクだけが立ち止まっていた。人が波のように僕らの周りを流れていく。
夏の夕方特有の、涼しく乾いた匂いがしてきた。そろそろ出なければ花火に間に合わない。
「それじゃあ、行こうか」
僕がそう言うと、コハクは、
「うん」
とうなずいて、僕らは改札を抜けた。
花火大会にむかう人たちで、電車のなかは混んでいた。朝のラッシュと同じくらいか、それ以上だ。
「ヒカリくん」
満員電車のなかで、コハクが僕を呼んだ。他の乗客に囲まれて、肩から下は見えない。
「コハク?」
僕が彼女の名前を呼ぶと、コハクは目を逸らした。すぐに左手に冷たい感触がある。気づくと、コハクが僕の手を握っていた。
「迷子になっちゃったら、困るでしょ」
僕を見ずにコハクはそう言った。
電車がゆっくりと動き出し、僕はコハクの手を固く握り返した。どんなに揺れようともこの手を離すもんか。
☆☆☆
花火よりもたくさんの人間を見た気がする。
僕とコハクは会場から少し離れた堤防の階段で、夜空に散りゆく、いくつもの色と光を眺めた。
花火の音は遠く、正直言って迫力は感じられない。それでも鉄橋の向こう側に打ちあがる夏の主役たちは、僕らに特別な時間を与えてくれた。
「綺麗……」
コハクが言った。僕に言ったのではない。無意識に口に出たのだ。
何発か花火が上がって、静かな時間になった。いよいよクライマックスがはじまる。
「私たち、今すごく夏っぽいことしてるね」
今度は僕に言ったようだ。
「そうだね。今までで一番、夏っぽいかも」
「ねえ、ヒカリくん、私をここまで連れてきてくれて、ありがとう。浴衣姿まで付き合ってくれて、ありがとう」
暗闇に照らされたコハクの瞳は、少し潤んでいるように見えた。
「それだけじゃない。ヒカリくんにはもっともっと、ありがとうって言いたいことがあるの。友達になってくれたことも、勉強を教えてくれたことも、感謝してもしきれないよ。私ね、これからもずっと、ヒカリくんと一緒にいたいな……」
「コハク、それって……?」
それって、告白? なのだろうか。
僕が聞きかけたとき、最後の花火たちが打ち上がった。何十発もの花火が一気に散っていく。さすがに音が大きく、僕の時間は花火に奪われる。
この花火たちが全て散ったとき、僕からコハクに想いを伝えよう。
蛍のように無造作に暗闇に舞っていく火の粉たちを見ながら、僕は心の奥で決意を固めた。
火の粉はやがて煙になり、つまらない夏空と堤防が戻ってくる。拍手のあと、まるで水があふれたように人々の会話が戻ってくる。
僕はあえてコハクを見ずに口を開いた。
「あのさ、コハク。僕も……」
僕も、コハクには感謝してもしきれない。
そう言うつもりだった。しかしその言葉がコハクに届くことはなく、僕がその先の想いを口に出すことも、結局はなかった。
その時を境に、コハクは「永遠」の眠りについてしまったのだから……。
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