第13話

 父にはトイレでこっそり連絡をいれた。




『今日、みんなでごはん食べてくるから、夕飯はいらない。遅くなっちゃって本当にごめん』




 父は怒りも詮索もしてこなかった。ただ『りょ!』と書かれた可愛いキャラクターのスタンプを返してきただけだ。


 こんなスタンプどこで覚えたんだと思ったが、コーヒーチェーンで働いているのだ、若者と接する機会が多いのだろう。


 コハクはお母さんが残してくれた材料で焼きそば作り、僕はコンビニでお弁当を買って、二人そろってリビングで食べた。




「ごめんね、お母さんが一人分しか材料を置いていかなかったみたいで」


「ううん、大丈夫。むしろご馳走してもらうのは申し訳ないから、これでいいよ」




 僕はそう言いつつ、心のなかで悔しがった。


 食べたかったなあ、コハクの手料理。まだ中学生だから料理は慣れてなさそうだったけど、それなりに美味しそうだ。


 そんな僕の視線に気づいたのか、コハクは、




「少し食べる?」




といって焼きそばを箸に絡めて差し出してきた。




「えっ、いいの?」


「うん。味は保証しないけどね」




 まるで新婚夫婦のようなシチュエーションに僕の胸は高鳴った。口を大きく開けた僕に、コハクが少し恥ずかしそうに焼きそばを食べさせてくれる。コハクの箸に唇が触れてしまった。これって間接キスになるのだろうか。




「どっ、どうかな?」


「すごく美味しいよ」


「ほんと?!」


「うん」


「やった! ありがとう!」




 正直、緊張しまくりで味なんか覚えていない。


 でもこのときのコハクの嬉しそうな笑顔は、幸せな思い出として僕の脳裏に焼き付いている。




☆☆☆




 夕食を食べ終えた僕らは、協力して後片付けをして、コハクの部屋に戻った。エアコンをつけ、コハクが大切にとっておいた「パピコ」を二人で分ける。




「はい、ヒカリくん。どーぞ」


「えっ、いいの」


「うん。お母さんがパピコのコーヒー味が苦手だから、冷凍庫に余ってたの」


「なるほどね。じゃあ遠慮なく、いただきます」




 僕はコハクからパピコの「半身」を受け取った。




「パピコをこんな風に二人で分けて食べるなんて久々かも」


「私も。誰かと一緒にいるときじゃないと、食べられないもんね」




 僕はコハクの言葉に何故か安心した。僕とコハクにとって、誰かと二人だけの時間があまりないという真実が、僕には嬉しかった。




「こうやってアイス食べていると、夏だねって感じがするでしょ?」


「うん。するね」


「ねえ、ヒカリくん。ヒカリくんが夜まで残ってくれて、私は嬉しかったよ。最近、家に一人でいると、このまま消えちゃうんじゃないかって急に怖くなることがあるんだ。日が沈んだまま、永遠に朝にならない。いつかそんな日がきちゃうんじゃないかって。不安で仕方なくて」




 蛍光灯の明かりが、冷たく僕らの間にはびこっていた。僕はその冷たさを温めるように、コハクに優しく語りかける。




「正直、僕も時々、コハクとこのまま別れたらもう二度と会えないんじゃないか考えて、怖くなるときがある。だから僕はコハクとできるだけ離れたくないんだ。夏休みの間も」




 僕は言葉がそこから浮かんでこなくて、語尾が倒置法みたいになる。それでもコハクは僕の言葉の意味を受け取って、可愛いささやき声でこう返す。




「ねえ、ヒカリくん。手を握っても、いいかな?」




 そして僕が返事をするまえに、コハクは僕の手を握る。


 冷たくて、小さなコハクの手。それとは対照的に、僕の体は熱くなっていく。




「ママが返ってくるまで、手を離さないで……」




 コハクは僕を見ることなく言った。病気のことも、学校で女子グループから浮いていることも、コハクの心のなかを覆う淀みや濁りが一気に僕に流れ込んできた気がした。


 僕はそれをすべて受け入れる覚悟をきめる。




「うん。絶対、離さない」


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