喫煙哀歌(スモーキン・セレナーデ)

馬永

短編・読み切り 


 往年の銀幕で言えば、ハンフリー・ボガード、スティーブ・マックイーン、ジェームス・ディーン、ショーン・コネリー、若いところでリバー・フェニックス。日本では、石原裕次郎、松田優作…。タバコを燻らす姿がたまらなく格好良かった男たち。裕次郎は指先ではなく指の根でタバコを挟む。顔半分を手で隠すような仕草に憧れたものだ。

 テレビのドラマにも当たり前のように喫煙シーンは登場した。そういえば、ある俳優さんが「多少、演技が下手でも、タバコを吸えば間がもつ、それなりに画面が落ち着くんですよね」と言っていた。漫画、少年誌の世界、いや少女漫画にさえ、喫煙するコマは普通に登場した。決め台詞を言う前の主人公、主人公を助けるクールな相棒、主人公が恋焦がれる陰のある先輩、ときには絶対的に強大な力を持つラスボスの必須アイテムだった。

 音楽の世界、ロックバンドの、往々にしてギタリストなどは演奏しながら紫煙を燻らすのがごく普通だったし、ジミ・ヘンドリックスには「パープル・ヘイズ(紫のけむり)」という曲まである。

 そう、タバコが格好いい時代があったのだ。



 初めてのタバコは中学3年、受験勉強の息抜きのつもりで、父親のハイライトを週に1回あるかないかの頻度で拝借していた。吸うというよりも咥えていただけ。不味いし、臭いし、ただ、ただ受験からの逃避であったのだろう。

 高校に入って、別の中学から来た友達とその知り合いの女子の数人にカラオケ・バーに連れて行ってもらった。当時、カラオケボックスという言葉(今となっては死語か?)がまだ世になかった時代。ここで初めてコークハイを飲み、初めて両手に花という状態を知り、初めてこの世にこんなに気持ちのいいことがあったのかというような経験を一晩でいろいろ済ませた。その女子がタバコを吸ったので、「俺も吸っていい?」といつも吸っている風を装った。メンソールだった。

 この後すぐ、初めて自分でタバコを買った。自動販売機で誰でも買うことができた。味はよくわからないので、人気のあったF1レーサーがCMをしていた、一番格好よく見えたデザインのものを買った。220円だった。これ以降、タバコとライターをいつも持ち歩くことになるのだが、一応、サッカー部に所属しており、どこかに罪悪感もあったので、一箱が一週間ほどは空にならなかった。タバコを持っていること自体が重要で、服装検査の目を恐れながらも、わざわざ制服のポケットに入れていたのは、自分は人とは違うと周りに誇示したかったのだろう。高校3年になると、やはりわざわざ友達に「受験勉強するから禁煙するわ」と宣言した。

 地元を離れて神奈川県の大学に入学した。仕送りだけでは足りないので、アルバイトをする必要があったが、サッカーは続けたかったので、体育会ではなく時間を捻出できるサークルに入部した。当初、1年生でタバコを吸うのは僕だけだったが、学校近くでの一人暮らし、僕の下宿に溜まるようになった友人たちは、夏休みに入る頃にはほとんどが喫煙者になってしまった。当時の僕の持ち物は、服は勿論として、カバンや本、ゲームに至るまでタバコ臭かったはずだ。この頃、ライターはZippoになりやたら重くてかさばるので、ポケットはますますパンパンに膨らむようになった。

 アルバイトが決まったのは5月の連休明けだ。大学から少し遠いとはいえ、時給の高さが魅力のターミナル駅での塾講師アルバイトにつくことができた。この時期の僕はまだ全く何も知らなかったが、この塾は当時、業界に鳴り物入りで新規参入したばかりで、生徒による定期的な講師のランキング付けを謳い文句にしていた。いわゆる有名大学、高校への入学を目標とした高校生、中学生が、自分が受けた講師の授業がわかりやすかったかどうか、その教科の成績が上がったかどうかなどをアンケートで答え、その結果が講師のランキング付けに反映されるというもので、ランキングが上位になればなるほど、時給額は上がり、入れる授業のコマ数も増やせるようになる。つまり、時給制とは名ばかりの歩合制だった。このシステムが恐ろしいのは、人気が出て時給が上がると授業のコマ数を増やされ、自分の都合で授業のコマ数を減らすと人気が落ち時給も下がる、一方で、いくら時間的余裕があっても人気がなければ少ないコマ数、低い時給のママということであった。そして、このシステムが僕に…見事にはまった。


 「今度、横浜校にテコ入れすることになったんだけど、行ってくれない?」と声をかけられたのは大学2年の終わり頃。自分は人気講師だと自負していた僕は、当然の如くそれを受けた。授業のコマ数を増やすため、サークルはとっくに辞めており、あんなに溜まっていたサークルの友人たちも次第に私の下宿から遠ざかっていた。この頃になると、講師としての準備時間にかなりの時間を割かれるようになっており、午前中は準備、午後は授業、夜は保護者への連絡ならびに明日の準備と、ほぼ毎日の大半を塾で過ごすようになっていた。時給が上がれば上がるほど、授業のコマ数のノルマが増えていき、この頃は一般の会社員の給与よりもずっと多い額をアルバイト代として稼いでいたはずだ。

 稼ぎはある、大学には行かない、将来のことをよく考えないという悪循環の結果、大学を卒業するのに人より2年も多くかかってしまった。大学6年生となり年齢的に就職活動も難しくなっていた時に、横浜校の校長からの「このまま、うちの社員にならないか?」という誘いは渡りに船だった。そして、この校長が僕の社会人としての最初の上司となった。

 横浜校にはそのまま正規講師として4年ほど赴任した。この最初の上司は僕と年齢がちょうど一回り違うとはいえ、かなりフレンドリーな方で、しょっちゅう飲みに連れて行ってもらい、ありがたいご高説をたくさん賜ったものだ。「アルバイトと社員の違い、分かる?責任感って分かる?」「生徒のことは当然として、講師のこと、会社全体のことを考えないと」「講師としての自分だけでなく、人を講師として育てる意識を持たなくちゃ」など。そんな上司が言葉を濁したことがある。

「お前さ、生徒に人気あるし、保護者受けもいいんだけど、アンケートでたまに『タバコ臭い』って書かれているのを知ってるよな。止めたら?」

 上司はタバコを吸わなかった。横浜校にはアルバイト講師の大学生を含めて数人の喫煙者がいた為、講師の準備室は特に禁煙になってはいなかった。とはいえ、なんとはなく喫煙者全員が外、非常階段の踊り場で吸う習慣がついていた。まだアルバイト講師だった時代、アンケート結果の気になる点に『タバコの匂いがする』と書かれてから、生徒には分からないようにタバコは服のポケットに入れない、授業の前には吸わない、など気をつけているつもりではあった。一方で、この頃に付き合っていた彼女からは「タバコを吸う姿が格好いい」と言われていたくらいで、人から禁煙を勧められたのは初めてだった。

 その後、会社が全国展開に力を入れ出し、福岡校の新設にあたって赴任するこの上司に連いていく形で、僕も福岡に異動となった。立ち上げのノウハウを学ばせてくれたのだと思っている。福岡では講師として授業を担当することはかなり減り、むしろ人材の採用、育成や事務がメインの仕事となっていった。そのこともあって、はたして禁煙する気には全くならなかった。さらに、東京や神奈川で進んでいた分煙が、タイムスリップしたかのように福岡の街では全く進んでいないことに驚いた。一応、福岡校の構内は最初から完全禁煙、喫煙ブースを設置しなかったが、そもそも建物の外に出ればどこででも好きなだけ吸うことができた。

 九州の次は、立ち上げ時1年だけの副校長という名目で北海道に異動した。真新しい札幌校には喫煙ブースが設置されていたが、その理由はすぐに分かった。びっくりするくらいに女性喫煙者が多かったのだ。道内各地から札幌の大学に集まった学生たちに至っては男子よりも女子の喫煙者が多く、アルバイト事務員含めて女性社員の声が無視できずに喫煙ブースを設置したとのことだった。12月から4月くらいまでは札幌市内でも雪が積もっていて、雪の白さで目立ちはしなかったが、雪が解けると、街中に残るタバコの吸い殻の多さに流石に閉口した。実はこの頃、社会全体の嫌煙の流れに比例して、僕の中で厳守する喫煙ルールが増えていった。今考えると禁煙しない言い訳にしたかったのだろう。灰皿が設置されていないところでは吸わない、携帯灰皿を常備しておく、周りに人がいるときには了承を得てから吸う、歩きタバコ・咥えタバコ・ポイ捨ては言語道断…。自分の中に喫煙ルールが増えれば増える分、それを守っていない喫煙者が許せなくなっていった。相当、鬱憤が溜まっていたのか、1年が経ち、久しぶりに横浜校にもどると、東京・神奈川の喫煙ルールの浸透度にほっと安堵したものだった。

 この時期、タバコ一箱440円、実に初めてタバコを買った時代の倍の値段になっていた。電子タバコが巷に普及しだしたのもこの頃だ。横浜本社に戻ってきていた最初の上司と久しぶりに飲んだ際に、「まだ校長になってないの?」と軽く叱られた。席を中座して喫煙ブースに行こうとした僕に彼は「授業は抜群。生徒にも保護者にも人気はある。社員からの人望も大丈夫だろ。だったら原因はそれだろ?」と残念そうな表情を見せた。新規オープンする大阪梅田校の校長として配属になったのは、この数年後だ。

 

 初めての責任者としての戸惑いはあったものの、メンバーにも恵まれ、梅田校の立ち上げは順風満帆なものになった。中高生中心に全国展開してきた会社が、東京・神奈川で先行していた小学生対象のカリキュラムを、大阪でも無事に開始することができ、2年もすると何とか自分のペースで仕事ができるようになっていた。この2年、打ち合わせや挨拶回りで多忙だったこともあり、講師として授業に入ることは全くなかったが、急なピンチヒッターとなる準備は欠かしていないつもりだった。最も時間の融通が利くのは校長だったりするのだ。

 その日、大学の試験でアルバイト講師が少なくなっている上に、インフルエンザの流行により正規講師にも急遽の欠席が出た。休校という選択肢もあったのだが、梅田校として力を入れている小学生向けの授業の休校は避けたく、何よりもその時間の私の予定がぽっかり空いていた。一応、カリキュラムの内容は頭に入っていたので、私が代行することにした。随分と久しぶりの教壇どころか、小学生に校長ではなく講師として話すのはほぼ初めてだった。とはいえ、話を始めて自分の世界に生徒を誘い込むことができれば、そこから先は勝手知ったる…で、持ち時間はあっという間に過ぎていった。これは一つの癖なのだが、体が熱くなるのと、ちょっとした間を取る、見た目の変化をねらう意味で、授業の途中に上着を脱ぐことがある。この日、久しぶりの授業でこの癖も出た。そして、最後に「はい、ここまで」と言ってから上着を羽織る。これも久しぶりにやった。「じゃあね」と出口に向かったところ、後ろから声が聞こえた。「せんせ、タバコ吸うん?かっこわるいで!」教室は出たものの、しばらく頭が真っ白になった。真っ白なまま自分の机に戻り、自分の胸ポケットを見て、漸く合点がいった。ワイシャツの胸ポケットにタバコが入っていることを忘れていた。


 大阪に来て、喫煙者のマナーについては、以前にも増して目に付くようになっていた。大阪は郊外でも、ましてや繁華街に至っては道端のポイ捨ての量が尋常ではない。路上喫煙禁止の区域、人ごみの激しい交差点でさえ、平気で咥えタバコ、歩きタバコをする輩が男女を問わず多数存在し、そのほぼ全員がポイ捨てをする。道路を走っている車を見ていても、車中から手が出てるな、タバコ吸ってるな、と思った次の瞬間、ほぼ必ずポイ捨てをする。いつ頃からか、そうした街中で見かける喫煙者の顔が全員、低能で無知で無教養で厚顔無恥で畜生以下のもの、畜生に申し訳ないわレベルに見えるようになっていた。そして、あの一言で、絶望的なことに気づいてしまった。どんなに喫煙のルールを厳守しようとも、喫煙者というカテゴリーで分けられる際には、自分はその厚顔無恥な連中と同じカテゴリーに入れられるということに。

 今、映画やテレビに出る男前、イケメン俳優で、少なくとも画面上で喫煙シーンを見せる俳優はまずいない。電子タバコ?全く持って画にならない。「タバコは格好いい」時代が終わったどころではなく、「タバコは格好悪い」時代にとっくに入っていたのだ。「格好いい」と思って喫煙を始めたならば、重視すべきは「格好いいかどうか」であるはずで、「格好悪い」喫煙を続ける意味がどこにあるのか。


 あの日からタバコを吸わなくなった。吸いたいのを我慢しているわけではない。ただ、タバコはもういいかと思った。吸いたいと思わなくなったのだ。あの日、ポケットに入っていたタバコの箱は、中に数本残ったまま机の引き出しに眠っている。

                           おわり



<あとがき>

 JTさん、ごめんなさい。

 喫煙者のメリットを上げるとすれば、唯一、納税をしているということ、それだけである。それ以外は健康を害する、無駄遣い、周りに迷惑、とデメリットしかない。しかも唯一のメリットは本人にとってではなく、国にとっての、引いて言えば非喫煙者のメリットである。喫煙しない人は喫煙者の恩恵を受けていることは事実である。一方で、最もデメリットが大きいのは誰かというと、喫煙者の家族である非喫煙者である。例えば、父親一人が喫煙者で奥さんは専業主婦で吸わない、子どもも当然吸わないという家族は、受動喫煙になるわ、家や服や車は臭いわ、しっかり税金は取られているわ、もしかしたら父親はさっさと死んでしまうわ、と何十苦にもなる。最後のだけはメリットと考える家庭もあるだろうけど。



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