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13 拾参 ~ 意外な再会 ~

 三日目の朝食を済ませた後。ヨリの首飾りを追加工しようと思い、クローゼットスペースにかけられている作業着の上着から定規スケールを取りだす。続いて、預かっている首飾りを取り出そうと、左足のサイドポケットに手を入れたとき。指先に違和感を感じて固まった。


「え……」


 こちらのポケットには、ヨリから預かった首飾りしか入れていないはずなのだが。首飾りの紐の感触と一緒に、別の物体の感触があったのだ。

そこで、先に首飾りを掴んで引っ張り出し、再度残った物を確認しようとポケットに手を入れて、何やら平たいそれををそっと掴む。まさかと思いながら取り出してみると、そのまさかである。愛用のスマートフォンがそこにはあった。


「うそだろ……。技研の管理部に預けたはずなのに」


 企業などの研究部署や一部の生産ラインなどは、情報漏洩を防ぐために、私物の持ち込みが制限されている場合が多い。件のL技研では、当然携帯電話の類も持ち込み制限対象となっており、研究棟内へ立ち入る際は、従業員でさえも手荷物の検査を受ける程だった。それが外来の工事業者となれば、セキュリティはより厳しいものとなり、建屋内へ入る際に厳重な検査を受け、署名と共に許可証を受け取らなければならない。事故当日も、もちろんこのスマホは技研側へ預けていた。だがどういうわけか、それが今自分の手元にあるのだ。


「なんで……ここにこれがあるんだ?」


 スマホを手にしたとき、困惑や疑念、または喜びがまぜこぜになった複雑な感情が沸き上がり、心中は穏やかでなくなった。これは何かの罠なのだろうか。突然降って湧いたようにこんなものを渡されても、素直に喜ぶことなど到底できるわけがない。どう考えても裏があるとしか思えない。


「もうずっともてあそばれてる気がする……」


 いくら神をもてなす社という前提があるにせよ、この過度に至れり尽くせりな好待遇ぶりは、最も警戒すべき所ではないだろうか。まるで付け入るスキを作るために、あらゆる手段を用いて篭絡を謀るような、そんなどろどろとした悪意のようなものさえ感じられる……。気がする。

 そんなことを考えていた自分の脳裏に、一瞬ヨリの笑顔が浮かぶ。まさかヨリがそうなのだろうか……。本当はすべてを知っていて、何らかの目的のために自分を利用しようとしているのだろうか。いや、彼女に限ってそんなはずはない。これまでの様子からみても、何らかの企みを持って自分に接しているなどという事は、まず考え難い。

そんなはずはないだろうけれど、それを否定する根拠が乏しいのもまた事実であり、結局は何もわからない。わからない上に、どんどん良からぬ方向へ心が傾いて行く。


「やめよう。確証のない事に偏見を持つのは危険だ。今は事実だけを冷静に見て、できるだけわかる範囲で考えよう」


 靄のように脳内を覆いつつあったネガティブな思考を追い払い、とりあえずはと、スマホの画面をフリックする。馴染みの操作に反応したスマホは、即座に画面を点灯させた。

 自分が行方不明になって数日経つが、待機画面の通知欄にはメールや不在着信といった記録は一切ない。四桁の数字を入力してロックを外しメーラーを開いてみると、各履歴が全て空になっている。これは通話履歴に関しても同様で、全てきれいさっぱり消えていた。なぜだ……。

ホーム画面に戻り、見慣れたページをめくって行くと、“IMAKUL”と書かれたどこかで見た事がある青いアイコンが勝手に増えていた。自分はこんなアプリを入れた覚えはない。これはただの同型機種なのではという疑念から、本体外観をくまなく調べるも、使い込まれた外装の状態が、間違いなく自分の所有物であることを物語っていた。


「いやあ。物自体は本物っぽいけど、何だこのパチモン臭い怪しげなアイコンは……」


 あまりにも怪しいため、即それを長押ししてごみ箱へ放り込む。続いてドロワー開いて、アプリ本体のアンインストールを試みる。果たしてそれは不可能だった。


「おいいぃ! 権限が固定されてるとかキャリアのカスカスタムROMかよ!」


 衝動的にスマホを放りたくなるのを堪え、次に設定の方から無効にしてやろうと思い、アプリケーション管理画面を開く。すべてのアプリを表示させ、“IMAKUL”とかいうアイコンを探し出して詳細を開いた。しかし、アンインストールはおろか、強制停止や無効化も灰色に反転していた。つまりこのままでは消せない。


「ぐぬぬ……」


 仕方なくあきらめてホーム画面に戻ると、削除したアイコンまでもが復活しているではないか。いや、ただ復活したのではない。腹立たしいことにふたつに増えている。


「増えてんじゃねーよ!! まったく何だってんだよ、やっぱ馬鹿にしてるだろこれぇ」


 ますますイライラが募る。いや、ここ最近はイライラしか募っちゃいなかった。


「あーもうわかったよ……。起動してみりゃあいいんだろっ!」


 半ば自棄やけになり、覚悟を決め、怪しげなアイコンをタップする。


 元々このスマホはここになかったものだ。もしこれがただの罠で、システムを破壊されても構いやしない。こんなのに振り回されるのも疲れた。

ややあって、アプリは無事立ち上がる。ご丁寧にオープニングデモがあるらしく、画面全体が白く反転してから青くなって、白抜きで“IMAKUL”の文字が中央に浮かび上がった。それから文字列が右へ引き伸ばされたように伸びると、輪ゴムを弾くように吹っ飛び、画面の左へ消えてゆく。


「くそが。無駄に凝ってるのも腹立たしい」


 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。


続いて起動画面には、デザイン化されたアニメ調の風景画が背景となった約款が表示される。 

 “この度はIMAKULアプリをご利用いただき誠にありがとうございます。お客様が本サービスをご利用されるにあたり――”


「長いわ」


 ざっと目を通すも、よく見る利用規約についての文言しか書いていない。この期に及んでこんなものを読む意味は全くないので、一気に最後までスクロールさせて飛ばしてしまう。大体この世界に法律もクソもないだろう。

しかし、延々とスクロールさせたその先で、不穏な文字列が目に留まり、自分のイライラはいよいよ最高潮クライマックスを迎えることとなった。

 “本アプリケーションのアンインストールは、システムの都合上不可能となっております。また、ホーム画面のアイコンを削除されますと、倍増しますのでご了承ください”


「アホかーっ!」


 おっさんは立ったままけ反り悶絶する。


「今すぐこのスマホをへし折りたい! 滅茶苦茶にしてやりたい!」


 しかし、一年ほどの付き合いになる愛着ある相棒を、そう簡単に傷つけることなどできるはずもなく。おじさんは苦々しく歯噛みするばかりである。そもそもスマホ自体に罪はないし、お安くもないし……。

 仕方なくそのまま画面を進め、了承ボタンをタップした。本来の機能が起動すると、まるで通販サイトの専用アプリのような画面が現れ、画面上部の常設バナーには広告の文言が流れはじめる。

 “全商品プライスレス! あなたの良く知るあんなモノやこんなモノが目白押し”

 やけに派手に輝く文字と共に、“IMAKUL”のロゴが右から左へ繰り返し流れる。ページ上に掲載されているさまざまな商品の下には、購入個数設定欄と、無料購入といういかがわしいボタンが表示されていた。

 

「無料なのに購入ってなあ……。怪しいにも程があるだろ」


 変な顔になりながら、惰性のように商品ページをスクロールさせていたとき。“あなたにおすすめの商品”と書かれた欄に、見覚えのあるハーフカーゴパンツがあるのが目に入った。それは以前、別の店で購入したことがある物だったが、少し興味を引かれたので、試しとばかりにサイズを選択して購入ボタンを押した。すると画面が切り変わり、配送予定日や購入数の確認へと移った先で、最終決定ボタンが点滅しはじめる。

 配送予定日を確認すると、当日中になっている。またそこでは、スマホの時計と同じ時間が、秒単位で更新表示されていた。何となく気になるそれらを眺めて決定ボタンを押すと、突然自分のすぐ右にある出入り口の扉が二度ノックされた。急な出来事にビクッとして、慌てて戸を開けたが、そこに人影などはない。しかし代わりに、“IMAKUL”と青いロゴの入った段ボール箱が置かれていた。


「嘘だろおい……」


 にわかには信じられなかったが、確かに目の前には、いかがわしいロゴの入った段ボールが鎮座している。自分はその怪しい段ボールを拾い上げ、室内に運び込んで畳の上に置いた。

 見れば、テレビの前でにはかじりりつくようにして見入るヨリの姿がある。このままではいけないので、目が悪くなるから離れて見るよう彼女に注意し、いよいよ怪しげな段ボールの開封の儀に入る。厚手でしっかりとした段ボール箱の中には、今しがた胡散臭いアプリから注文したハーフカーゴパンツが入っていた。迷うことなくパンツを箱から取り出し、ビニールを引き裂いて広げてみれば、それは自分の持っているパンツと全く同じ物であった。試しにポケットを裏返したり、内側を確認したりもしたが、どこからどう見ても、正真正銘、綿めんでできたカーキ色の紳士用ハーフカーゴパンツに他ならない。何だかとても疲れたので、両手でそれを広げたままあお向けに寝転がる。


「ねぇ、ヨリちゃん」

「はい神様! 何か御用命でしょうか?」


 声を掛けると、テレビに夢中になっていたヨリは瞬時に自分の方へ振り返り、シュババとやってきた。ヨリはぴんと背筋を伸ばし、正座で待機状態に入る。その様は子犬のようで可愛いらしいが、機敏な反応には従者のような傾向が垣間見えるようで、私的にあまり好ましくなく思う。彼女にはもっと自由で居て欲しい。今後声掛けするときは、タイミングも考慮するべきだろうか。


「ごめんねテレビ見てたのに。いきなりでなんだけど、ヨリちゃんは今何かほしい物とかあるかな?」


 脈絡のない突然の質問に、ヨリはきょとんとしてしまう。


「い、え……? えと、私のほしい物で御座いますか?」

「うん。何かあるかな?」

「そうですね。私は神様にお仕えすることが無上の喜びですので、特別これと言ったものは御座いません」


 彼女は一瞬の迷いも見せず、即答でまったく子供らしからぬことを言う。


「そうなの~? でも強いて言うとしたら、何かないかな?」


 食い下がる自分の質問に、少し考えこむ様子を見せるヨリ。


「そうで御座いますね……。やはり私には他に望むものなど御座いません」


 ヨリはそういうと、いつもの愛らしい笑顔を見せる。


「そっかー。残念」

「あの……ご期待に沿えず申し訳御座いません」


 恐縮したように頭を下げるヨリを見て、自分はパンツを箱へ突っ込み、寝たまま彼女を抱き寄せる。はいお巡りさんこいつです、こいつがやりました。


「んにゃっ!?」


 不意な出来事に驚いたヨリはおかしな声を上げた。


自分はすぐに捕縛を解き、ヨリを元に戻す。ヨリは何かほわんとしていたが、トイレへ行くことを告げて居間を出た。バスルームへ入り、蓋を閉じた便座の上に腰を掛けると、想定外の荷重を掛けられた樹脂製の蓋が、ケツ圧の暴挙に耐えかねてミシミシと悲鳴を上げた。


「本当に欲しい物がないのか。はたまた遠慮深いのか。ここらはちょいと悩みどころかな。ま、しゃーない。何かヨリちゃんが好みそうなものを適当に取り寄せてみるか。俺が直に渡す分には断りはしないだろうし」


 特権というか、彼女が持つ畏敬の念に付け込むようで気は引けるが、結果それがヨリの笑顔につながるのなら良しとしよう。というのは身勝手な考えだろうか……。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 十一時を過ぎたころ。自分とヨリは海岸に出ていた。

 あれからトイレの中で、無駄に小一時間ほど悩んで注文した商品は、ピンク色の十六インチ補助輪付き自転車だった。

 妙案の出ぬまま、バスルームを後にして部屋へ戻ったとき、テレビには自転車を乗り回す子供の映像が流れていた。相変わらず画面に張り付いていたヨリは、興味津々といった様子で釘付けになっており、ビビっと天啓を受けた自分は、即座に自転車を注文したのだ。

 というわけで、今日はヨリの自転車の練習をすることと相成ったのである。ヨリは自転車の入手先を相当気にしていたが、自分が「内緒」と言うと、それ以上追及してくることはなかった。真新しい自転車へ不審な目線を送るヨリは、やや不安そうであったが、自分は気づかぬふりをして彼女を小脇に抱え、意気揚々と社の外へ繰り出した。

 みすぼらしい玄関戸がある岩屋の前は、草野球ができそうな広場となっており、比較的地面も固く平坦なため、自転車の練習をするにはもってこいの場所である。持ち出した自転車のサドルを目測で調整し、ヨリを抱き上げてそっと乗せてみると、適当なわりに丁度いい高さだった。軽く操作法を教え、ペダルを漕ぐように勧めると、意を決したような顔になったヨリは、難なく自転車を走らせはじめる。


「ヨリちゃ~ん、できるだけ補助輪に寄り掛からないように乗る感じでやってみて~」


 少し離れたところまで移動していたヨリに、自分は声を張り上げてアドバイスを送る。


 自転車の乗り方を教える時は、補助輪を外して誰かがおさえるやり方よりも、補助輪を浮かせて走れるよう意識させると上達が早い。心理的に補助輪を利用すれば、容易よういに恐怖心を排除できるし、自力でバランスを取ることに集中させることもできる。そうして大まかな感覚が掴めてきたら、今度は徐々に補助輪の接地高を上げてゆく。これを繰り返してゆけば、大体の子は一日で、補助輪がなくても自転車に乗れるようになるはずだ。

 努力は重ねる必要はあっても、無駄な怪我まで負う必要はない。というのは自分の持論。

 正確な直進操作を習得したら、次に問題となるのはカーブでの操作だろう。カーブでは補助輪が邪魔になり、かえって転倒しやすくなるため、補助輪を外して補助をする人間の周りを周回させるという教え方をする。これなら徒歩で追従するのも楽だし、転倒しそうなときも、すぐ支えに入ることが可能だ。

 そうした練習を繰り返すこと一時間。一旦昼休憩を挟んで続きを四時間ほど繰り返し、計五時間程度の練習を続けた結果。ヨリは完璧に自転車を乗りこなせるようになった。


「うお~っ! ヨリちゃん凄いぞ! 呑み込みが早くて神様感動しちゃうよ! ほんとすごい!」


 お世辞抜きで、想像以上の上達ぶりには心底感嘆してしまい、自分はしばらくの間「すっごーい!」を連発するだけのポンコツおじさんになっていた。精神的な衝撃を受けると、人は語彙が少なくなるというのは本当らしい。


「い、いえ。そんなことは御座いません。神様のご指導がとてもお上手だからで御座いますよ」


 完璧に自転車を乗りこなしているヨリは、海風に髪をなびかせて嬉しそうに言う。自転車を漕ぐ姿も可愛い。


 人の親が感じるという子の成長の嬉しさとは、こういう感情なのかもしれない。などと、ひとり胸に熱い物を感じながら、軽やかに自転車を乗りこなすヨリの嬉しそうな姿を、ひたすら目で追っていた。


「しかし、こうなると十六インチじゃ小さかったな。またあとで大きいサイズを注文しよう」


 散々怪しいだの罠だのと勘ぐっていた“IMAKUL”を、掌返しで使い倒そうとしている酷いおっさんがここにいる。まったく調子のいい野郎だ。

 相も変わらず太陽は見えないが、そろそろ日も暮れはじめたので、ヨリを呼んで社に戻る。補助輪を外したことで、自立できなくなった自転車を玄関の中に寝かせて置き、仲良く手を繋いでひよこの間へ帰った。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 毎度勝手に用意されている夕飯を食べ終えると、時刻は十八時半ほどになっていた。今日もヨリは大浴場に行きたいと言うので、先に行っているように伝えてから、自分は“IMAKUL”アプリを起動する。開いた商品画面から、胴の長い猫の抱き枕、リストバンド型バイブレーションアラーム、独製軍用双眼鏡、ウエットスーツ付きシュノーケリングセットを注文し、即座に届いた荷の梱包を解いて、クローゼットスペースにしまい込んだ。抱き枕や開梱の際に出たごみを広縁に押し込んで障子を閉め、適当な隠ぺい工作を行ってから急いで浴場へ向かう。今回は大浴場まで一緒に行くと言われなかったのが助かった。

 今夜も風呂あがりに休憩室を訪れた。のぼせ気味で手団扇てうちわしているヨリをテーブル席へ座らせ、飲み物のオーダーを取ると、申し訳なさそうな顔で緑茶を希望する。自分はその希望に快諾し、冷蔵庫から五百ミリペットの茶と、ゼロカロリーコーラをいただいて、テーブル席で揺れているヨリへ茶を渡す。彼女はふにゃふにゃの笑みを浮かべて礼を述べ、よく冷えたお茶に口をつける。両手でボトルを持ち、細い喉を鳴らしながらよく冷えた茶を飲む様は、とても美味しそうに見えた。

 のぼせた彼女を放っては置けないので、自分も隣の席へ逆向きに座り、症状が落ち着くまで様子を見ることにする。テーブルに寄り掛かってコーラを飲みながら、他愛のない話をしている最中、時折自分はゲームコーナーの入口を睨み付ける。今日こそは、“ちょっとだけでいいからゲームがしたいマインド”を開放してもいいだろうと思っていたからだ。二十分ほどそうしていただろうか。ヨリもだいぶ回復してきたし、お互いのボトルも空になったので、ふたつのボトルを手に立ち上がった自分は、まっすぐゲームコーナーへと向かう。入口の横にあるごみ箱へボトルを放り込み、はやる気持ちを押さえつつ、ゲームコーナー側に踏み込むと、それまで一切聞こえていなかったゲーム機のアトラクトサウンド待機音が、一気に溢れてきた。


「なっ!」


 思いがけない現象に遭遇したため、気圧され気味に身を引いて、一旦ゲームコーナーから出る。すると、辺りは途端に静かになった。恐る恐る、今度は頭だけを突っ込んでみると、再度喧騒が聞こえるようになる。入口に扉はない。にもかかわらず、どういうわけかコーナーの外には、一切の音が漏れ聞こえてこないのだ。たとえ扉があったとところで、防音構造でもない限り、ここまで完璧な遮音などできるはずがない。これは異常な事だ。


「あ~……。あるある。この世界ならあるあるだな……」


 異常な事ではあるものの、そういうものだと一瞬で納得した自分は、気を取り直して颯爽とゲームコーナーへ飛び込んだ。やっほう!


「ああ、この感じ懐かしい……」


 室内を満たすいかにもな空気感に、ちょっぴりノスタルジックになっていると、背後にいたヨリがぐいぐいと浴衣をひっぱり、あれよという間に外へ連れ出されてしまう。


「え? なに? どしたのヨリちゃん?」


 そう問いかけるも、いささかムスッとした表情で険しい視線を自分へと送るヨリ。一体どうしたというのだろう。


「神様。あのお部屋はなんで御座いますか?」

「あ、えと、ゲームコーナーで御座いますが……」

「左様で御座いますか。大変申し上げ難いのですが、あのように大きな音がする場所は、私は苦手で御座います」


 何だかよく分からないが、ヨリは若干怒っていらっしゃるようにみえる。ゲーセンという環境が合わないため、不安になってしまったのだろうか。


「あちゃー。ヨリちゃんはああいうの苦手かー。じゃあこっち側で待ってる? それかお部屋へ戻って先に寝ていても大丈夫だよ?」


 苦手な物へ無理に付き合わせるわけにはいかないので、彼女へ別行動を提案してみる。というか、幼い女の子を放り出して自分だけゲームで遊ぼうとするなんて、まったくもって酷いおっさんだ。

またそのおっさんは、子供のように落ち着きがなく、会話の最中も横目でちらちらとゲームコーナーを見ていた。ええ私の事です。


「いいえ神様! あのようなお部屋に立ち入ること自体、感心いたしません! 私はあの部屋には何かいかがわしい物を感じます。神様の御身を案じるのも、私の大事な務めで御座いますので、今後一切、あちら側へ行かれる事は控えていただきます!」

「えーっ!?」


 なななんてこった! あろうことか、ヨリの口からゲーセン禁止令が発せられてしまった。しかもどういったわけか、彼女は一層おかんむりな様子で、その語気はかつてないほどに強いものとなっている。


「『え-っ!?』では御座いません! 昨夜もだいぶ遅かった事で御座いますし、今夜はもうお部屋にお戻りになって、すぐお休みください!」

「え~? なんでぇ? 急にどうしたのヨリチャン? ナンデ?」


 いきなりヨリは怒り出し、ゲーセンを悪しきものだと断じはじめる。おじさんわけが分からないよ。


「私の心がここは良くない場所だと申しております。それに間違いは御座いません。神様のお体にもかならず悪い影響を与えるに決まっております! さあ、このような所からはすぐに離れましょう!」


 そう言って自分の手を取った彼女の力は、普段の様子からは考えられないほど強いもので、引きずられるようにして休憩室から連れ出されてしまう。まるで我が子が悪事に手を染めようとしているところをたしなめている、母親の如き姿であった。


「そ、そんなー。うわ~んヨリえも~ん」


 こうなってしまえばもう逃げられない。今夜は大人しく床に就くしかないだろう。


 ひよこの間へ戻り、ヨリが寝床の準備をしている間。自分はしょんぼりしながらも、首飾りの紐の延長を試みていた。

 とても大事な物の可能性もあり、元々付いている紐を切るのも憚られる気がするので、こちらは棒結びのようにして縮めることにする。それによりできた小さな輪の部分に、売店で買った組みひもを通して、無事延長作業は落ち着いた。ちょうど作業が終わった辺りで、床の用意を終えたヨリが布団をポンポンしはじめたため、おじさんは素直に従い、のそのそとそこへもぐり込む。手入れの行き届いたふかふかの布団へ横になると、睡魔に見舞われるのにそう時間は掛からず、ほどなく自分は眠りに落ちて行く。薄れゆく意識の中、明日は二十二インチの自転車を注文しなければなどと、ぼんやり考えたりもしていたが、ゲーセンへの強い執着心も、また同時に芽生えはじめていた。ぐー。

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