12 拾弐 ~ 箱庭 ~

 手をつないで、今度は休憩室を目指す。長い廊下を歩いてゆく道すがら、ヨリは何やら嬉しそうに鼻歌を歌っていた。


「ご機嫌だねヨリちゃん、何かいい事でもあった?」

「うふふ。本日は神様に色々なことを教えて戴けたので、とても嬉しいので御座います。神様もお名前をお聞かせ下さいましたし、感無量で御座いますよ♪」


 おじさんもヨリと一緒にいるだけで感無量です。


「そうなの? じゃあさ、折角だし神様じゃなくて名前で呼んでくれないかな?」

「いいえ! そのような御無礼をはたらくわけにはまいりません! 神様は神様で御座いますから!」

「ああ……うん。もうヨリちゃんの好きなように呼んで……」

「はい、神様♪」


 神様か……。本当に何なんだろうこの設定。


 休憩室付近にきたタイミングで、トイレに行くむねを伝え、彼女には中で待っているよう指示を出す。休憩室を過ぎてさらに奥へ進んで行くが、いざ中へ入ろうとしたとき、彼女が付いてきていることに気が付いて、足を止めた。


「あれ? ヨリちゃんは休憩室で待っていてほしいのだけど……。なにか御用かな?」

「いえ。片時も離れず神様にお供し、ご奉仕するのが私の務めで御座いますから。何かご用向きが御座いましたら、遠慮なく何なりと私にお申し付けください!」


 またえらく彼女は張り切っている。なぜなのか。


 男女で仲良く連れションなんてものは、今まで聞いた事もない。これは間違いなく、トイレの正体を知らないが故の行動だろう。


「でもここトイレだよ?」

「といれ、で御座いますか?」

「うん。トイレは便所べんじょでございまして、かわやでありながら雪隠せっちんなどとも呼ばれ、御不浄ごふじょうはばかりにございますれば……」


 便所を連呼しているだけじゃねーか。


「は……はあぁぁっ! これは、大変失礼いたしましたあっ!」


 衝撃の事実が判明し、ヨリは頬を両手で押さえながら休憩室の方へ走り去って行く。それはそれは非常に分かりやすい反応だ。


「子供は元気でいいな……」


 彼女の小さな背中を温かく見送って、自分は用を足すべく便器の前に立ち、ほっと息をつく。いくら自分が神様とは言え、こればかりは手伝ってもらうわけにはいかない。

 トイレを終えて休憩室へ戻ると、ヨリは入口で立ったまま自分の帰りを待っていた。いまだ赤い顔をして申し訳なさそうにしている様子に、うっかり吹き出してしまう。


「あ~っ! 神様っ! お笑いになるなんて、あんまりで御座います!」


 うんうん、かわいいかわいい。


「ふふっ、ごめんごめん。ヨリちゃんがあんまり可愛いからついね」


 可愛く怒っている彼女をなだめ、頭をぽんぽんしてから室内へ入る。例の冷蔵庫からペットボトルの茶を取り出し、ヨリにも何か飲むかたずねると、遠慮がちに「結構です」と言った。あれ、ちょいおこかな?


「そうだ。ヨリちゃんはトイレ大丈夫? もしかすると結構な距離歩くことになるかもしれないから、今のうちにしておいた方がいいんじゃないかな……と神様は思ったりなんかしちゃったり……」


 ペットのお茶を開けながら、庭園の規模などを考慮しヨリにお伺いを立てる。これは姪が小さかった頃に身についた、保護者の習慣みたいなものだし、ヨリくらいの歳であれば心配はないと思うが。一応、念のため。

 朝にぱっと見ただけではあるが、相当に広い場所である可能性は否定できない。むしろ斜め上の展開を想定した方が、後々の対処が楽になると思うのだ。


「どちらかへ出かけられるのですか?」


 自分が見た庭園の様子を知らないヨリは、不思議そうな顔をする。無理もない。


「うん。ちょっとそこに見えてる庭園に出てみようと思ってるんだ」

「お庭ですか」

「そう。ここからじゃ分かりにくいんだけど、縁側に出るとね。果てが見えないんだよね」

「……どういう事で御座いますか?」

「さあ、どういう事で御座いましょうね。一見坂っぽくなってるんだけど、道の向こうが見えなくて。ここからだとどこまで行けるのかわからないんだよね」

「それは……面妖で御座いますね」


 残ったお茶を一気に煽り、空になったボトルをごみ箱に放り込む。ホントにどうなっているのやら。考えるだけで途方に暮れそうだ。


「そんな感じだからさ。大丈夫? おトイレ」

「えと……では行ってまいります……」


 ヨリはそう言い残して、そそくさと休憩室を出て行った。


「あ、使い方大丈夫かな」


 何かと心配の種が尽きない社である。もう少し時代設定の事とか考えてくれていれば、スムーズに話が進むのに。ほんとに何がしたいのかと、イライラが募った。そして案の定。アンニュイな表情となったヨリが、とぼとぼと戻って来る。


「大丈夫だよヨリちゃん、誰にでも初めてはあるもんだ」

「はい……」


 再度トイレへ向かい、ヨリへ設備の使い方や、作法をレクチャーする。トイレにはきれいな神様がいるそうだけれど、悲しいかなここには汚いおっさんの神様しかいなかった。

 休憩室に戻ると早速ガラス戸を開き、縁側の沓脱石くつぬぎいしの上に雪駄を放って、ようやく目的地へと降り立った。すでに時間は午後六時を少し過ぎており、見渡せば辺りはだいぶ薄暗くなって来ている。そこいらに設置されている灯篭にも、明かりが灯っていた。幸い空には満月が出ているため、完全に陽が落ちても目が慣れれば足元に困る事もなさそうだ。太陽はないのに月は出るのか。あるいは、ここの空と浜辺の空は、まったく違う空なのかもしれない。

玉砂利が敷かれた幅の広い通路の両縁には、高さ二十センチほどの小さな石灯篭がずらりと並び、境界線を縁取りながら続く光のラインが、奥の方へ無限に続いているように見える。庭園内は風もなくひっそりと静まり返り、時折虫の声が聞こえてくる程度だ。とりあえずは道なりに歩いてみようと思い、ヨリと手を繋いで奥の方へ向かって歩きだす。左右の景色は、人工的に植樹されたまばらな林のようになっていたが、木々の間を通って何本かの細い横道が合流していた。分かれ道の先へ目を凝らすと、林の奥に建物の明かりらしきものが見える。その正体は気になったが、あっちもこっちもと言っていては切がないので、当初の予定通り幹線となっているこの道をまっすぐ進んでゆく。道は緩やかな上り勾配になっているようで、平坦な道を歩くよりも、少しだけ足が重く感じられた。坂は進むほど勾配がきつくなるらしく、足の重さも徐々に増していく。

 雑把な感覚ではあるが、大体四、五百メートルほど歩いただろうか。すっかり暗がりとなった視線の先に、坂の頂上が見えてきた。頂上にたどり着くと、その先は長い石段になっていて、はるか先の眼下には巨大な湖が広がっていた。それを囲むように、人家の明かりらしきものが点々と灯っている。果てが見えないと感じていたのは錯覚だったらしく、坂によって先の視界が遮られ、そう見えていただけのようだ。まあそれはいいのだが、それ以上に眼前の光景はあり得ないものだった。


「神様……これはどうなっているので御座いましょう……」


 驚きとも不安ともとれるような表情で、かたわらのヨリが自分を見上げている。


「うん……俺にもさっぱりわからないね。でも、どう見てもさき島より広いよね。あっちは……」

「はい……」


 岩屋の中に納まる形でこの社は作られていると思っていたが。その認識はいい加減改める必要があるようだ。こんなものを見せられては、もう常識を保つのもばかばかしくなってくる。


「これは何でしょうか?」


風になびいて、月明かりをキラキラと反射する湖面の幻想的な風景を眺めていると、道の端へしゃがみ込んでいるヨリが声を上げた。自分たちがいるのは、両端に朱塗りの灯篭がある石段の頂上部分で、灯篭の足元には石柱が立っている。高さ五十センチほどのそれらは、双方の灯篭の下にあり、その両方にアラビア数字で“1382”と彫られていた。


「これって……」

「ええと、いちじゅうひゃく……千三百八十二……? もしかしてこれは石段の数でしょうか?」

「多分だけど、その可能性が高いね……」

「ええーっ!?」


 眼下に伸びる無数の段差は果てしなく続き、無言の圧力を以て我々の探求心をへし折りにかかる。こんな階段を上り下りさせられるのは勘弁願いたい。


「これ降りるのは骨が折れそうだね。むしろ帰りのことを考えるとなおさら……」

「そ、そうで御座いますね……」


 自分達は往復の労力を考えて尻込みしてしまい、顔を見合わせて苦笑する。


見てしまったからには行かねばならず、せめて石段の麓くらいまでは調査するべきだろう。現在の時間的にもその程度が妥当な所だ。

萎えかけた気力を奮い立たせ、覚悟を決めて一歩踏み出す。いや、正確に言えば、踏み出そうとしたのだ。しかしそれはかなわなかった。どういうわけかは知らないが、最上段のつら部分より向こうへ、足を踏み出すことができない。これは、心理的な躊躇ちゅうちょなどではなく、何らかの物理的障害によって足が止められてしまうのだ。

 まるで固いゴムにつま先を押し当てているような、やや弾力のある抵抗によって、自分の足は押し戻されている。どうにも見えない壁があるような感じなので、手を突き出すと、これまた押し返されてしまう。そこで、一旦足を引いて体勢を整え、半歩ほど前に出てから、今度は右掌で扉を押すように力を籠めてみる。見た目には確実に何もない空中であるのだが、やはりそれ以上先へ腕を伸ばす事はできない。

 半ば意地になり、次に体重を移動するようにして更に力をかけてゆくと、まるで拮抗するように反発力も強くなる。やがてそれまであった弾力さえも消え、それから先は一ミリたりとも進まなくなってしまった。このまま思い切ってさらに体重をかけてみようかとも思ったが、いきなり反発力が消えて石段を転げ落ちる羽目になるのは嫌だ。なのでやめておくことにした。

 他に何かいい手はないかと思い、周囲を見回せば、道の端の方に握り拳より一回りほど大きな石を発見する。おもむろにそれを拾い上げ、ヨリに自分の後ろへ下がるように促してから、大きく振りかぶって目の前の空間目掛け、思い切り投げつけた。回転しながら放物線を描いて飛んで行った石は、問題の空間に差し掛かった途端、回転を保ったまま空中に一瞬留まる。やがて高周波のような音を発したかと思うと、ゆっくりと光の粉のようになり、霧散した。


「「ええーっ!?」」


 衝撃的な光景を目の当たりにし、自分とヨリは同時に叫んだ。いましがた起こった怪現象は、ここへきてもっともぎょう天した出来事だろう。


「消えたよね!」

「消えました!」


 驚異的な光景目にした自分たちの声は、また自然とシンクロする。


 開いた口が塞がらないとは、こういうことを言うのだろうか。目の前で起こった一部始終を目撃していても未だ信じられず、何が起こったのかさっぱりわからない。

 また石段へ近づき、半身に構えて腰を落としてから、再び右腕を目いっぱい突き出した状態で、前方へ向けて体重をかけてみる。相変わらず腕は虚空に押し戻されるが、構わずに限界と感じるまで力をかけてゆく。すると、手のひらを当てている空間から、先ほどと同じようなかん高いうねり音が徐々に響きはじめた。同時にそこを中心にして、空中に波紋のようなものが広がり、薄青く光るハニカム模様のようなもの一瞬姿を現す。

 それでも力を籠め続けると、耳障りな高音はさらに大きくなり、手を当てている部分に熱を感じはじめた。慌てて手を引くと、空中には赤く光る手形が残ったが、すぐに光を失い消えた。焦って掌を調べるも、変わった所はなく、火傷なども負ってはいない。

狐につままれたような気分で後ろを振り返ると、両手で耳を塞いだヨリが、驚愕の眼差しでこちらを見ていた。あまりにも理解不能な出来事に恐怖心を煽られた自分は、無言でヨリに近づき、手を取った。緊張のためか、彼女の手は汗ばみ、若干震えている。これでは足元が覚束おぼつかないかもしれないため、彼女を抱き上げて、元来た道を足早に引き返す。


「……ヨリちゃん、怪我とかしてない?」

「はい……。私は大丈夫ですが、神様の方こそご無事ですか?」

「俺も大丈夫。なんともないよ」


 午前中の海で蓄積した肉体疲労と、今しがた目撃した理解不能な出来事のお陰で、心身ともにすっかりまいってしまっていた。それはヨリも同じなようで、時折軽いため息をついている。


「「はあ~」」


 ふたりの溜息が重なったことが可笑しくなり、少しだけ緊張の糸がほぐれた。


震えも収まったヨリをしっかりと抱きかかえ、自分はとぼとぼ玉砂利の道を歩いてゆく。それに応えるかのように、ヨリは首に回した細腕に力を込めた。不安そうな彼女へ軽く微笑むと、また彼女も笑みを返す。

 帰りの道すがら、何本か走る横道を見つけては、ついでのように進入を試みたが、やはりというか。先ほどの石段と同じように、先へ進むことはできなかった。奇怪なこの庭園では、それ以上の成果は得られず、時刻は午後七時半を回っている。今日はもう帰って早々に寝てしまいたかった。そのとき、ヨリのお腹が可愛くぐぅと鳴る。彼女の顔を見ると、こちらを見てわなわなと唇を震わせていた。その様子が可笑しくなってしまった自分は、盛大に吹き出してしまう。まったく。緊張感が続かなくてやんなちゃうね。


「あははははは。そうだよね、お腹すいたよね。ふふふ」

「はあ~っ! これはっその……うぅ」

「育ち盛りの食べ盛りだもの。なにも恥ずかしがることはないよう」


 女の子に対して掛けるには、少々デリカシーに欠ける言葉かとも思ったが、もう手遅れか。 周囲がもっと明るければ、彼女の真っ赤になった顔を拝めたかもしれないが、夜の帳が下りた暗い庭園は、ヨリの表情をうまく隠している。ヨリは余程醜態とでも思ったのか、消沈して項垂れてしまったため、その場で景気づけに二、三回転し、歩みを加速させる。急な動きの変化に、ヨリは一時身を固くしたが、しばらくすると力を抜いてまた体を預けてくれた。


「さぁ早く部屋に帰ってご飯を食べようぜ~」

「はぃ……」


 彼女はまだ恥ずかしいようで、胸元から蚊の鳴くような返事が返ってくる。可愛さマックスである。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 沓脱石くつぬぎいしの上へ雪駄を脱ぎ散らかし、バタバタと社に上がり込み、廊下を足早に通り抜けてひよこの間へ帰還する。ごく当たり前に卓上へ整えられていた今夜の夕食は、すき焼きだった。

 なぜ宿の夕食というのは、こうボリュームミーになってしまうのか。朝がっつり、みたいなものなら分らなくもないのだが、もうこれから寝るだけといいうこの時間に、どういう了見なのだ。しかし、出されたからには全て平らげるのが、食べ物に対する最低限の礼儀というものだろう。なにより、豪華な内容は非常に美味うまそうであるため、抗いようもない。

にしてもだよ。こんな贅沢な食事を毎日食べていると、健康診断で再検査通知を出されてしまいそうだ。剣呑剣呑けんのんけんのん


「夜のお代わりはやめておこう……」


 御櫃に入ったご飯を横目に、自分は一善宣言の誓いを立てる。


「神様、この赤いお肉は何のお肉で御座いますか?」


 卓上に並べられた品々を眺めていたヨリが、牛肉の乗った皿を指して正体をたずねてくる。どうやら初めて見るらしい牛肉に困惑しているようだ。


「ヨリちゃんは牛って食べたことある?」

「牛で御座いますか!?」


 まあびっくりだよね。


「いえ、御座いませんせんが……食べてしまったら田起こしなどはどうすればよいのでしょう?」


 これもまたもっともな意見だ。


「そうだよね、困るよね。でも神様の国ではもう牛を農耕には使っていないんだよね」

「えーっ! ではお米などはどうやってお作りになっているのですか?」


 牛がいなければ、集落の人間が総出で田を起こして回らなければならないだろうし。そう言った意味では、ヨリの住んでいたうらは恵まれているのかもしれない。


「種もみを発芽させて、苗を作って植えるやり方は同じだろうと思うけど、そこから先を人や牛の代わりにやってくれる農業機械というものがあってね。ああ、こっちはからくりと言っても差し支えないかな。それを使えば、田んぼや畑を耕したり、稲を植えたり刈ったりする作業を、大体ひとりかふたりでできるものなんだ」


 素晴らしきエネルギー革命。主要な動力源を、蒸気機関から内燃機関へシフトした現代文明に於いて、農作業にかかわる機械群も、また大幅な進化遂げている。現在ではGPSを搭載し、LiDARといった光学センサーシステムで地形を読み、進路を決定する自律型農機なども出現している。それは数百年前の農耕形態からは想像もつかないものだろう。しかしこれは、農業人口の減少と高齢化が進んでいるという、厳しい実状があってのことでもあり、こうした新技術が投入された部分だけを見て、安易に称賛するのは感心できない。


「そんなにすごい物があるのですか!? それならば村の皆も楽になりそうで御座いますね」


 ヨリは、自分の向こうでの暮らしや、家族などの事にもかなり興味があるようで、いつも嬉しそうに話を聞いている。やはり好奇心が強い性格なのだろう。

 しばらく話し込んでいるうちに、固形燃料に加熱された土瓶蒸しがぐらぐらと煮立ち、蓋が鳴りはじめた。少し長話をし過ぎたようなので、料理が台無しになる前にとっとと食べてしまおう。


「おっとこれはいけないな。折角のご飯が冷めちゃうから、はやく食べちゃおう」

「はっ! すっかり忘れておりました……」


 お腹を空かせているヨリをあまり待たせては可哀そうなので、ふたりで“いただきます”をして夕飯に取り掛かる。


「この牛の肉を入れる鍋は、すき焼きっていう料理なんだけど。肉や野菜が煮えたら、この小鉢に入っている卵を溶いて、浸して食べてね」


 ここのすき焼きは煮るタイプ。


「はい! わかりました♪」


 自分の説明通りに料理へ箸をつけたヨリには、牛肉に対する忌避感もないようで、時折幸せそうな笑みを浮かながら黙々と食べていた。こうして滞りなく夕飯も済み、人心地付いたところで、今夜の入浴タイムとなる。


「今日は疲れたから部屋のお風呂でいいよね?」


 大浴場まで歩いて行くのは面倒臭い。そう思ってしまう程度には疲れていて、気力ゲージもほぼ底をつきつつある。今夜は近場で済ませたい。


「私は神様のご希望通りにいたしますので」

「うん。じゃあヨリちゃん先に入ってきて。俺は布団敷いておくから」

「いいえ、そういうわけにはまいりません。お布団は私がご用意いたしますし、お風呂もご一緒いたします!」

「えー……」


 なぜかここへ来て、どうぞどうぞと譲り合いの押し問答が開催される。


「いやでも。それはたぶん無理じゃないかな。ユニットバスは狭いからふたりだときついし」

「そう言われてみれば確かに……。ではどういたしましょうか?」

「そだねぇ。ここは素直に別々に入ればいいんじゃないかな?」

「いいえ、そういうわけにはまいりません」


 無限ループかな。とにかくヨリは風呂には一緒に入るの一点張りで、埒が明かない。


「ああ~んもう。じゃあ大浴場行く?」

「はい! 私はどこまでも神様とご一緒いたします♪」


 結局この夜も大浴場まで足を運ぶこととなり、朝風呂の時のようなせわしない対応に追われる羽目となって、部屋に戻るころには二十三時を優に過ぎていた。

脱衣場で髪を乾かしているときから、ヨリは船をこいでいるような状態だったため、浴衣を着せるまでにもなかなか苦労を強いられた。おかげで更に疲労度が増して、脱衣場を出るころには自分もよれよれになっていた。


「やっぱり部屋の風呂に入った方が良かったよヨリちゃん。ヨリちゅわあん」


 浴場からの帰りは、すっかり寝こけたヨリを抱いて戻ることになったため、これではどちらが世話係なのか分からない。

彼女を起さないよう、慎重に歩いてひよこの間へ戻り、勝手に整えられていた寝床へそっと寝かせる。ふと思い出して障子を見ると、破いたはずの穴はすっかり消えていた。やれやれ。


「は~あ……」


 人知れず復活していた障子の有用に、深くため息をついてバスルームへ行き、歯磨きをする。


「そういやヨリちゃん歯磨きしてなかったなぁ。虫歯とか平気かな。……あの年頃はまだ乳歯だっけ?」


 歯磨きをせずに寝てしまった彼女の口内環境が心配になり、保護者のような気分になってしまう。

 部屋に戻ると、テレビの前へ座り込み、リモコンを操作して電源を入れる。テレビからは、カチッと小さなリレーの音がして、一拍置いてから画面のバックライトが点灯した。寝ているヨリに気を使い、音量を絞って、何を見るでもなしにチャンネルをちまちま変えてゆく。この時間は大して面白い番組もなく、普段もテレビをろくに見ない自分は、ぼーっと画面を眺め、繰り返す欠伸を噛み殺していた。

 ふと目に留まった総合チャンネルでは、深夜帯の短いニュースを流しており、件の事故のニュースもやってはいたが、その原因は依然として不明なままであった。当然、自分もまだ行方不明である。現場では、夜になっても捜索が続けられているようだが、スタジオの方では数名の怪しげな専門家やタレントが顔を並べ、知った風な口ぶりで適当なコメントを垂れ流している。


「自分が捜索対象なのに。そのニュースを客観的に見ることになるなんてね……。そうそうできる体験じゃないな」


 いい加減眠たいのでテレビを消し、照明をナツメ球に切り替えてから布団に入る。すると、どういうわけか隣で寝ているヨリが腕にしがみついてきた。起きているのかと思って顔を覗き込むも、しっかり寝息を立てている。どうやら無意識な行動のようだが、ここまで的確に動けるものだろうか。


「ヨリちゃん。本当に君は何者なんだい……」


 手の甲でそっと頬を撫でると、ヨリはきゅっと小さな体をすくめた。

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