11 拾壱 ~ 異文化コミュニケーション? ~
派手な海パンをはいたおっさんと黒髪褐色の美少女は、ひとしきり浅瀬で暴れ回った後、打ち上げられた鯨類のように浜辺でぐったりしていた。なんかめっちゃ疲れた。
「あ~。もう歳かな~。少しはしゃいだだけでこの有様だよ」
「いえいえ。そのようなことは御座いませんよ~。私の父様などは、
自分の隣で三角座りをして、抱えた膝に頬を乗せたヨリが言う。
時は江戸時代。ではないが、ここは江戸時代。十九世紀初めの日本という設定である。もう半世紀もすれば、カイコクシテクダサーイと黒船が到来して、武力を盾にした一方的なブラック外交が始まる事請け合いだ。まぁここへは絶対来ないだろうけれど。
確かこの頃の人々の平均寿命は、三十代後半から、長生きでも四十代後半程度だったと記憶している。これは日本国内に限らず、世界中の国々でも割と似たり寄ったりの数字だったはずだ。
有名な日本舞踊の一つ、
話を戻すが、そんな昔の人々の決して長くはない平均寿命の
そのとき脳内には、海の深い青とは対照的な白い
「まぁ神様が虚弱なだけなんだけどねぇ」
対して自分の仕事は重労働でもないし、最近は積極的に運動するようなこともなく。ただ腹の肉が余ってきた感のある中年男でしかない。
そんな事より、ずっと考えていたことがある。仮に、ここが地球外のどこかの惑星だったとしてだ。ヨリを含めた村の人たちは、一体どこからやって来たのか。地球にある日本という島国で、江戸時代に栄えたどこかの漁村の文化と、ここで発生進化してきた地球人類と瓜二つの人類が、
そうなると、江戸時代の日本のどこかに存在した漁村を、丸ごと攫ってきたという可能性もが考えられるのではないか。あまりに現実離れしすぎているため、考えるのを避けていたことではあるが。今後はそういった可能性も含めて、行動しなければなるまい。人一人を瞬時に攫ってこれるのだから、あり得ないなんて事は言えないと思うし。
そうなると、やはりしがらみ衆を調査する必要がある。村と神である自分とを絶対的に隔離しておかなければならない理由が、うらという村には有りそうだから。
「それにしても……」
「はい」
「なんか肌がじりじり熱いんですよね」
「そうで御座いますね。私は慣れておりますが、今日は一段と日差しが強いので御座いましょう」
太陽など全く見えやしないのに、ヨリは日差しなどとおかしなことを言う。
「ねえヨリちゃん。お日様とか、太陽は知ってるかな。あ、お天道様でもいいや」
「はい、存じております。お天道様と言えば、空に
ヨリの話によってまた新たな謎が浮彫となった。
この世界では、太陽についてもそういう設定になっているらしい。確かに神様は見えない存在だろうけれど、それと太陽が見えないというのは、また別の話だ。代わりにやや変態チックで、見苦しいおっさんの神様が見えているけれど、残念ながらこの見える神様は、何の役にも立っていない。
「神様は、神様の国でお天道様にお会いしたことは御座いますか?」
「うんあるよ」
殆ど毎日拝んでるからね。
「えーっ!? すると、どのような御方なので御座いましょう?」
「ん~そうだねぇ。すごい生真面目なやつかな。時間はきっちり守るし。あと眩しいし、暑苦しいときもあるね。特に暑苦しいときは、光に当てられて人が倒れることもあるよ」
「そうなのですね! お天道様の御威光で倒れられる方もいるなんて……。私も一度お会いしてみたいです!」
「向こうへヨリちゃんを連れて行けば、毎日会えると思うよ」
「ええーっ!? 私のような者にも毎日会ってくださるのですか!?」
「うん。多分ほとんど毎日国中の人間に会ってるんじゃないかな」
「毎日国中の人々にで御座いますか!? さぞやお忙しい事で御座いましょうね……。お疲れにはならないのでしょうか」
遠く空を
そうだよなぁ。自分のように、一個人として存在する神といった認識が前提にあるならば、単なる太陽の話をしても面白いことになるのは仕方がない。しかしこれは悲しいことだ。ヨリは世界の在り様を誤解したまま生きていることに他ならず、ここにいる限りは世界の全容を知ることができないのだ。そんなのあんまりではないか。
ほのぼのとした雰囲気の中、かみ合っているようで、その実全くかみ合っていない話をしているうちに、気づけば空の色は薄い水色になっていた。だいぶ腹の方も空いているため、昼が近いのは確実だろう。
「ヨリちゃん。神様の腹時計はそろそろお昼っぽいのだけど、ヨリちゃん的にはどうかな?」
「はい、ジカン的には日中午の刻くらいになるでしょうか?」
自分は十二辰の文字盤を思い浮かべ、子が頂点ならその対角は午だったよなと一人で納得する。しかし時計がないとやっぱ面倒だ。
「ヨリちゃんはさ、お昼とか食べないの?」
「おひる? で御座いますか?」
「あー。こっちだと何ていうのかな。
「あ、
胸の前で手を合わせ、ヨリが可愛く教えてくれる。
「そっか、中食って言うんだね。そいでお腹すいてない?」
「そうで御座いますね……。頃合いかもしれません」
お腹を両手で押さえ、恥ずかしそうにヨリは言う。可愛すぎて転げまわりたい。
「んじゃ、部屋に戻ろっか」
「はい!」
◆ ◆ ◆ ◆
このまま砂浜で寝転んでいても暑いだけだし、腹は減るしでいいこともないので、昼を食べに部屋へ戻ることにした。盛大に寝ころんでいたため、あちこち砂まみれになっているので、玄関先で念入りに砂を落としてからひよこの間へ向かう。
まずはバスルームにヨリを連れて入り、シャワーの操作方法を教えて、水着を脱いでシャワーで砂を落とすよう伝える。相変わらずすぐに脱ごうとするので、それをやんわりと
「髪もきちんと洗ってね」
「は~い」
背中越しに言い残し、バスルームのドアを閉じた。
本当は、バスタブで砂を落とすのはサニタリー的に大変よろしくないのだが、きっとこの世界なら大丈夫だろう。どうせふたりきりしかいないんだし……と、二言目にはこればかりを言ってる気がする。良くないねこういうのは。
ヨリの浴衣をもってバスルームへ行き、バスタオルの間に浴衣を挟んでその
少しのどが渇いたので、お茶を入れて飲んでいると、バスルームから浴衣姿のヨリが出てくる。シャワーも空いたし、先に食べているよう彼女に伝えて、自分もバスルームへ向かう。蛇口をひねり、少し熱めのシャワーを浴びはじめると、体の表面がヒリヒリと痛い。なんでや。
「焼けたのは何となく気づいていたけどさあ……。まず日も出てないのに日焼けとかおかしいだろ。ったくもう」
イラッとして文句を言いつつ、シャワーの温度を下げ肌の表面を慎重に洗い流す。どんなに優しく触れようとも、赤くなった敏感肌は痛みを訴えてくる。
「ヨリがこんがり焼けている理由が分かった気がするな……」
とめどなく愚痴が溢れ出す中、念入りに体中を洗いあげ、バスタブを出る。洗面台の前で髪を乾かし、浴衣に着替えて居間に戻ると、ヨリが食事に手を付けずに待っていた。
「ありゃ~。先に食べててほしかったよう」
「いいえ。神様を差し置いて、そういうわけにはまいりませんので」
「そっか~。お腹空いてるのに待たせちゃってごめんね」
いついかなる時も神を立てるヨリの姿勢は、大したものだと感心する。その反面、不自然なしきたりには疑念を抱かざるを得ない。しかし、今それを考えても仕方ないので、とっととお昼を食べてしまおう。
「では頂きますかね」
「はい、いただきましょう」
いつものようにふたりで手を合わせ、“いただきます”をして昼食にありついた。
昼食を食べ終え、食後の茶を飲み一息つく。いいや、つきたかった。案の定また食べ過ぎてしまったため、腹が苦しい事になっている。座っていると少し辛いので、楽になるために横になると、即座に行儀の悪さをヨリに諫められてしまった。すまぬ。これもここのご飯が美味しすぎるのがいけないのだ。
「神様、食べてすぐ横になられるのは行儀が悪う御座います。牛になってしまいますよ?」
「そうだねー。お袋にもよく言われたよ。なんかヨリちゃんお母さんみたいだね」
「な……」
彼女はまた赤くなってる。
「いいでしょ、お昼寝させてよヨリお母さ~ん」
汚らしいおっさんが、甘えた声でそんなことを言う地獄絵図。すると、仕方ないといった感じの笑みを浮かべたヨリが、座卓のこちら側へやってきた。
「では神様、膝枕など如何でしょうか?」
「はいはい! ぜひオナシャス!」
彼女は大変貴重なサービスを提言してくださいました。やったー!
嬉しさのあまりコメツキムシの如く跳ね起きて、ピシッと正座をすると、自分の体は自動的に頭を下げ、深い感謝の意を表明する。自分のいかがわしい様子に、彼女はあたふたと恐縮してしまうが、おかげでがら空きとなった膝の上へ滑り込むことができた。はなから膝枕をしてくれるって言ってくれているのだから、隙をつく必要なんかないのにな。
「はぁ。やっぱり……」
膝枕をしてもらった途端、彼女が纏うほんのりとした芳香が鼻腔くすぐる。それと共に、自分はとても安らかな気持ちになり、やがて猛烈な睡魔に襲われた。恐らく、午前中にはしゃぎ過ぎたツケだろうと思うが、このまま落ちてしまってもいいものだろうか……。
「どうか致しましたか?」
「うん。あのね、ヨリちゃんいい匂いするんだよね」
社の玄関でも感じたように、やっぱりヨリからは干し草のような爽やかな匂いがしていた。
「へ? そ……そうで御座いますか? ……ありがとう御座います」
一日の約半分は顔が赤いんじゃないかと思うくらい、ヨリはしょっちゅう赤面している。当然そうさせているのは自分なのだろうけれど、それにしてもちょっと赤くなり過ぎではないかな……。
「落ち着く匂いで……大……好……」
「お休みなさいませ。神様……」
◆ ◆ ◆ ◆
「ふがっ!? 寝てた……」
ビクッとなって目を覚ますと、今まで自分が何をしていたのか分からず、しばし考えを巡らせる。徐々に冷め行く脳裏には、昼食後すぐヨリの膝枕で寝落ちした記憶があった。夏休みの小学生男子でもあるまいし。何をやっているんだか。
部屋の時計を見ると、文字盤は十五時二十分ほどを指しているので、あれから三時間近く寝ていたようだ。頭の下には、枕代わりに二つ折りになった座布団が敷かれている。横向きで寝ている自分の胸元には、こちら側に背を向けて、自分の左腕を被るように上から回し、小さく寝ているヨリの頭がある。
「そういえば膝枕してくれてたんだっけ。ありがとう、ヨリちゃん」
ヨリの頬に乗っている横髪をそっと耳にかけ、手の甲で頬を優しく撫でる。愛らしい寝顔をしばらく眺めていると、軽く唸るような声を出したヨリが薄目を開けた。しかし、すぐには頭が回らないようで、やや間を開けてからハッとしたようにこちらを向き、至近距離でばっちり目が合った。でゅふふ。
「やぁ、おはようヨリちゃん」
彼女の頬を撫でながら言うと、みるみる顔が赤くなり、急いで起き上がろうとする。しかしせっかくのチャンスなので、「もう少し撫でさせて」と言って引き留めた。
「ええーっ!」
「ふふふ。ヨリちゃんてさ、よく『ええーっ』て言うよね」
胸元で首をすくめて、ヨリは頬や頭を撫でられるままになっている。あ~たまらねえぜ。
「そそ、そうで御座いますか? あまり自分では分からなないですが……もし、神様がお嫌でしたら、今後は控えるようにいたします……」
「いやいやいやいや、嫌なんてそんな。むしろ逆だよ? かわいくていいと思うよ、そういうのは」
「さ、左様で……御座いますか……」
なぜかヨリはへなへなしてしまう。
「さてと~。そしたら次はどうしたもんかね……」
身をすくませて、一層小さくなったヨリの頬を撫でたり摘まんだりしながら、これからやるべきことを考える。
「本日のご予定でしょうか?」
「うん、まだ全然決めてないんだけどね」
一日遊ぶ予定ではいたのだけれど、すでに自分はくたくたと言った有用だ。時間も十五時を回っているし、実際には何をする時間もない気がしている。
「ゲーセンでも行こうかなぁ。いや駄目か。あそこは一度入ればそれきり脱出できなくなる魔窟だから……」
「げえ、せん、で御座いますか?」
「うん。休憩所の隣に部屋があったんだけど、そこがね。いろいろ遊べる……なんていうのかな~、機械? からくりと言うのは雑な気もするし。おもちゃと言うのも違うし……」
いかん、適当な言葉が思いつかない。
今日まで、会話の大部分が通じているのは大変有難いのだが、固有名詞や概念などは、それに代わる言葉を知らなければ、途端に妨げとなってしまう。この時代に存在しないものは、
「うーん……。まぁいいか~」
とりあえずそれは置いといて。まずは優先度の高い問題から解決していこう。
「ええーっ! 何か神様おひとりでご納得されておりませんか!?」
「そだねぇ。話を振っといて放り出すなんてひどいよね。ごめんね」
言いながら、丁度手元にあるヨリの頭を撫で繰り回す。
「あ、いえ、これは差し出がましいことを……。ですが……何か誤魔化された気も致します……」
「ふふふ~。かもね~」
「ええーっ! あんまりでは!?」
可愛く不満を漏らすヨリの頭を、自分はひたすら撫でる。ついでにハスハス。
となれば、次は日本庭園を調べてみるべきだろうか。あそこは、今のところこの社内で最も怪しく、最も不可解な場所であることに違いない。いや、そのほかの場所も大概ではあるか……。
「さて、そしたらお出かけしよっか」
このままヨリの頭をずっと撫でていても、私的には一向に構わない。むしろ積極的にそうしていたい。けれど、流石にずっと撫でていては、ヨリの可愛い頭が禿げてしまいかねないので、名残惜しくはあるがこの辺で切り上げることにする。
「はい。お次はどちらへ行かれるのですか?」
「うーん、とりあえずまた売店にでもいこうかな」
「はい。土産物屋で御座いますね♪」
のそのそとふたりで起きだし、ふと座卓の上へ目をやると、いつの間にかB五判程の紙が一枚置かれている。その中央付近には一筆、文字が添えてあった。
“テレビを交換いたしました”
文面につられてテレビを見ると、そこには初めにあった物よりも一回り大きな液晶テレビが置いてあった。またもイラっとした自分は、その紙をクシャリと丸め、広縁の方へ思い切り投げつける。そこそこな勢いがあった紙の球は、障子を突き破って向こう側へ行ってしまった。
「あわわわわ……か、神様何ということを……」
ためらいもなく障子をぶち破ったことに驚愕し、ヨリは慌てふためく。そんな彼女を抱き上げて、自分は部屋の出口まで運んでゆく。障子の一枚や二枚破ろうとも、ここでは大した損害にならないだろう。私的にはなってほしいところだけれど。
「ええ~っ!?」
「まあまあ。いいからいいから~」
突然抱きかかえられて、驚きの声を上げたヨリだが、数歩歩いた玄関口ですぐに降ろされる。そこで、きれいに揃えて置かれていた彼女の雪駄を取り、裏面で合わせてから脇腹辺りの帯の隙間へねじ込んだ。
「うひゃぁ!」
素っ頓狂な声を上げるヨリに、「きつくない?」と聞くと平気だと言う。自分も同様に雪駄を挟み出口へ向かうが、そこでヨリに袖を引かれた。
「神様。やはり先ほどの紙をお片付けしたいのですが……」
几帳面なヨリは、もじもじしながら障子を貫通した紙ごみを、どうしても片付けたいと言う。
「気にしなくても大丈夫だよ。あれは腹いせみたいなもんだからさ」
納得のいかない様子で、疑問符を浮かべているヨリの後ろに回り、浴衣の裾を軽く持ち上げて足の間へ頭を突っ込む。
「ひぃぃ! 神様何をを!!」
浴衣の裾をめくり上げられた挙句、
「合体だーっ!」
ロボアニメのような掛け声を発して一気に立ち上がると、肩車が完成する。
なんの予告もなくいきなり肩車をされ、大わらわと言った様子のヨリを笑い飛ばし、そのまま部屋を出て売店へ向かう。勿論鴨居をくぐる際、ヨリが衝突しないよう屈むことも忘れてはいない。肩車をするときは、上方向への安全配慮が極めて重要だ。
「あ~、ヨリちゃんの太もも気持ちいいなぁ」
そんな変態じみた言葉に羞恥心を煽られ、身をこわばらせたヨリは、強く両足を閉じてくる。oh……ここは天国か。ヨリのお父様お母様、誠に申し訳御座いません。
ほくほく顔のおっさんは、畳敷きのロビーを悠々と進んで行く。ほどなくして、売店に到着したので、ヨリを降ろして股間から頭を引き抜いた。そのとき、後頭部に浴衣の裾が引っ掛かり、目の前に丸出しになった褐色の尻が現れた。無言で引っかかった裾をそっと元に戻し、何事もなかったように自分は売店へ入った。しかし何事かを察したのか、しばらくの間ヨリは隣で尻の辺りを押さえており、自分へ微妙な視線を向けていた。しばらく肩車は控えるべきだろうか。いやそれよりも、まずヨリに下着をはかせたい……。
丁度いい機会なので、ついでに衣類売り場で彼女の下着を見繕うことにする。店内を探索し、“男児用女児用下着”と書いてあるプレートが掲げられたワゴンへ近づく。幾重にも盛られているそれらを物色して、ひとつずつ目当てのサイズを見て行く。今の自分は、女児用下着を凝視して、ぶつぶつ言っているただの変態にしか見えないだろうが、パンツを知らない彼女に選ばせるわけにもいかないので、そこはやむをえまい。というか、このシチュエーションは、ここへ来てから何度目くらいだろう。娘子を持つ父親というのは、日ごろからこんな風に世間体を気にしているのだろうか。世知辛ぇなあ。
「ヨリちゃん、これなんだけど」
やるせない気持ちで、下着の物色を続けた結果、無事適合するサイズを見つけることができた。傍らで供に下着を眺めていたヨリに向き直り、着用法について詳しい説明に入る。
「これは、
「はい。神様の御申しつけとあらば。……因みにそれは、
「ゆもじ?」
「はい。着物の一番下に、年頃になった娘が身に着ける腰布で御座います」
「あ~そうそう、そういう感じのやつ。神様の国ではね、男も女もほとんどの人がこういうのを一番下に着るんだ。……ってあれ? 年頃って意味じゃあ、ヨリちゃんだってそうだと思うんだけど?」
「はっ! そういえば姉様からも、そろそろつけなさいと
お姉さんには怒られたはずなのに。ヨリは何やら嬉しそうにしている。
「そうでしょうそうでしょう。神様もお姉さんの言うことは正しいと思う」
笑顔と共に、自分は適合サイズの“三枚入り五百円”と書かれたビニール袋をヨリへ渡す。商品の中には、アニメキャラなどのバックプリントが入った物もあるかと思ったが、ここには簡素な基本スタイルの製品しか見当たらなかった。それでもないよりは全然ましだ。
「それじゃあ水着と同じように試着室ではいてね」
「はい。わかりました」
彼女は袋を抱えて、ぺたぺたと試着室へ走って行く。
物はついでということで。自分の分も持って行こうと思い、隣のワゴンを漁って紳士用ボクサータイプ“三枚入り八百円”(グレー)を一つ手に取る。こいつがあれば、稲荷神もそう簡単には出て来れないだろう。
そういえば、お稲荷さんというと狐のイメージが強いが、稲荷神自体は狐ではなく、ちゃんと人型をしている宇迦之御魂神という神様だったりする。故に狐は神使と呼ばれるお使い役で、いわば社長秘書みたいなものだろう。
次に本来の目的の物を探すため、店内を隈なく徘徊すると、程なくしてアクセサリー売り場の端の方にそれを発見した。それは、ホームセンターなどでよく見かける回転式の陳列ラックにぶら下げられた腕時計だ。
「スマホがなくて時間が判らないし。時計があった方が便利だからな~」
ぶつぶつ言いながら棚を回転させ、適当な時計を見繕って見比べてみる。吊るされている物は、どれもこれも無難なデザインで、必要十分な機能を備えているが、今回は多少雑な扱いでも耐えられそうな、樹脂バンド型で五気圧防水のデジタル時計を選ぶことにした。これは、海水につかる機会が今後もあることを想定しての選択だ。
「神様ぁ……」
好みのデザインを選ぶために、時計をとっかえひっかえしていると、少し離れた試着室の方から、何やら情けない声がかかる。
「なんだいヨリちゃ~ん?」
試着室の前まで行きカーテン越しに声を掛けると、ヨリがカーテンを開いて浴衣の裾をめくり、下着がはけたことを見せようとしていた。
「ちょ、まって! 見せなくていいから!」
「えーっ!」
えーっ! はこちらのセリフです。
「いやそこは驚くところじゃないと思うんだけど……」
「ええ……。でも、何やら履き心地が変で御座いますし、本当にこれでよいものかわからないので御座います……」
ヨリは、居心地が悪そうに、もじもじそわそわした様子をみせる。仕方ないので、見せてみるように言うと、彼女は再度浴衣の裾をめくり上げ、白く質素なパンツを露にした。大変恐縮です。
「うん。ヨリちゃんそれ後ろ前だね」
「ええっ! 前後があるので御座いますか!」
「うんあるよ」
ヨリの足元に置かれた袋の中から、別の下着を一枚取り出して、前後に差異があることを説明する。十分に理解が得られたことを確認してからカーテンを閉じた。しばらくすると、にこにこ顔でヨリが出てきて「今度は大丈夫です」と元気いっぱいに言う。自分は「良くできました」と頭を撫でてあげた。そこで、腕に巻かれた時計に気づき、興味深そうに凝視する。
「あ、気になる?」
「はい。これは何で御座いましょうか?」
「これはねぇ、時計なんだよ」
「えーっ!? こんなに小さいので御座いますか?」
この時代設定にある時計は、ぜんまいを動力とした機械式時計が主流のはずだ。それは工業技術の水準が高くないためであり、実用的な腕時計などは存在していない。携帯できる機械式時計があったとしても、舶来物の懐中時計くらいだろう。
「うん。神様の国ではもっと小さいのもあるよ」
「これよりももっと小さいので御座いますか!?」
「小さいねぇ。作る気になれば米粒よりももっと小さいものだって作れるよ」
「えええーーっ!?」
実際人が読むような表示機能を持たせなければ、プリント基板上に実装する程度の物もあるので、間違いではない。実際、ウォッチドッグ機能などに使用される
「この社の中にあるものは殆ど神様の国にあるものと同じみたいなんだよね」
「そうなので御座いますか!? 見慣れぬ物ばかりなのは、そういう理由なので御座いますね」
「そうらしいね。ところで、ヨリちゃんにも時計の読み方を教えておきたいのだけど、いいかい?」
「はい! ぜひご教示願いたいです!」
ふんすと鼻息の音が聞こえそうな勢いで、時計に対する知識欲を露にするヨリだった。
レジの上にあったボールペンと、サッカー台(レジで買い物かごを置く部分)の引き出しをあさってメモ帳を引っ張り出し、十二辰文字盤と現代時計の文字盤を書いて、比較しながら説明をする。江戸も末期となったこの時代には、時計の概念もそれなりに浸透しているので、読み方だけを教えればヨリは簡単に理解してくれた。
「こちらでは一つの針で半分にしていたものを、こちらでは短い方の針を二回りで見るので御座いますね」
「そうそう。ヨリちゃん賢い!」
簡単な説明だけで、彼女は時刻の見方を直ぐに理解した。これは驚くべき理解力だとおもう。
「えへへ。あ、でも、神様のお着けになっている時計は、ずいぶん違う物のようで御座いますが?」
「そだね。これは数字を直接表すものだからね。いい機会だから、アラビア数字も覚えようか?」
「はい! ぜひお願いいたします!」
自分も子供の頃にこのくらいの勉強意欲がほしかった……。ヨリは本当に偉いなぁ。
「まず数字だね。漢数字では――」
メモ帳に漢数字とアラビア数字の対応表を書いてゆく。
「あ、その前に漢数字はわかるよね?」
「はい。心配御座いません。あまり得意では御座いませんが、多少算術の心得も御座いますので!」
「そっかぁ。なら大丈夫だね」
ヨリも基本的な事は分かっているようなので、簡潔に説明を進める。
確か計算の概念は、インドから中国を経由してもたらされたと記憶している。この時代の主流である手動式デジタル計算機のそろばんも、中国からやって来たものだ。
江戸時代の庶民や農民の識字率は相当に高く、身分格差にかかわらず、子供へ積極的な教育を行っていた家は少なくなかったらしい。そんな世情背景もあってか、ヨリの理解はとても早い。おかげで教える自分の方も楽しくなってしまい、自然と熱が入る。素晴らしい事に、四則演算などは教えるまでもなく、彼女は難なくこなせた。
「凄いなヨリちゃん……分数も完ぺきじゃないか」
「ぶんすう?」
「あー、これもなんて言えばいいのかわからない~」
また言葉の壁にぶち当たってしまい、うんうんと唸りながら考え込んでしまう。
そこでふと腕時計が目に入り、よく見れば時刻は十七時三十分ほどになっていた。さらにまだ予定が残っていることを思いだす。
「あーっ忘れてた! 庭園見に行かなきゃいけないんだった」
つい夢中になり、脱線した豆知識などを教えていたら、ずいぶんと時間が経ってしまっていた。いっつもこんな感じだな。
「そうで御座いました! 神様、大変貴重なお話をありがとう御座います。おかげ様で時計の読み方も完ぺきで御座いますよ!」
キラキラした目でガッツポーズのような格好をするヨリ。
「やー。ヨリちゃんの理解が早くて神様も楽しかったよ。こちらこそどうもありがとう」
このままもっといろいろなことを教えてゆけば、中学数学くらいは簡単に理解してしまいそうだ。いやむしろ、高校数学や物理も余裕かも知れない。意欲があるという事ももちろんだが、なにより彼女は恐ろしく理解が早いので、実は計り知れないポテンシャルを秘めているのかもしれなかった。
そんなヨリを時計の棚の前まで連れてゆき、陳列された腕時計を見せて好きなものを選ぶように促すと、彼女は猫めいた謎のキャラクターが描かれたピンク色のアナログ腕時計を選び取る。それは世界中で大人気の、日本が生んだあの謎猫を使用したキャラクター時計である。ヘロー子猫っぽい何かちゃん。
また意外にも、パッケージには公式のホログラムシールが貼られていた。各権利の使用許諾を得ている紛う事無きオリジナル商品である。どことも知らぬ宇宙でも、小猫っぽい何かちゃんは人気商品なようだ。なわけがあるか。
「流石はヨリちゃん。お目が高い」
「へ? 左様で御座いますか?」
首を傾げながら、とりあえずにこにこしているヨリに、右手と左手どちらがいいかを聞く。彼女は迷うことなく「神様にお任せします」と即答したので、左手首の内側に文字盤が来るよう装着した。
「うん。似合うね。やっぱ女の子にはピンクだな」
「ぴんく、ですか?」
「そう。桃色の事だよ」
「なるほど~。この帯の部分などの色で御座いますね♪」
フフフ……かわヨ。
ようやく売店での目的が果たされたため、退店する前にアイスケースへ立ち寄り、自分はまたガブガブ君ソーダを取りだす。今回ヨリは、ガブガブ君あまおういちごサワー味を選んでいた。庭園に向かって歩きながら食べようと提案したが、ヨリ曰く「御行儀が悪いです」とのことなので、ベンチに座って食べることになった。ヨリはしっかり者だ。
「ヨリちゃんてさ、もしかしてお家の
これは今朝方から気になっていたことなので、気になる家庭環境について聞いてみる。
「そうで御座いますね。特別厳しかったわけでは御座いませんが、母様や姉様からは、よく注意を受けておりました。特に姉様からは、事あるごとに口うるさく注意をうけておりまして」
ヨリははにかむような表情で、やや力なく「えへへ」と笑う。
「じゃあ、お姉さんの教育に拠るところが大きいのかな。その様子だと、お姉さんもしっかりした人のようだし」
「はい。姉様は私の憧れでもありました……」
故郷の村に思いを馳せているのか、ヨリは少し遠い目をして言う。彼女がもう家族とは会えないということを考慮すると、今後こういった話は控えた方がいいのかもしれない。
「因みにお姉さんの名前はなんていうの?」
「はい、姉様の名は“リン”と申します。お父様がおっしゃるには、風鈴の鈴の字から頂いたとのことです」
名前の響きのおかげだろうか。脳裏には凛とした女性のイメージが浮かんだ。
「そっか。ところでヨリちゃん。名前で思い出したんだけど、神様の本名ってまだ言ってなかったよね?」
ヨリの姉の名前を聞いて、すっかり自己紹介を忘れていたことを思い出した。高台の上で、突如神様呼ばわりなどをされたため、流されるまま成り行きでここまで来てしまっていたのだ。
「そうで御座いました。私もいずれおうかがいしなければとは思っていたのですが、失念しておりました。申し訳御座いません」
なぜかぺこぺこと平謝りしているヨリ。
「いやヨリちゃんが謝ることでもないと思うけど。とりあえず名乗っておくね」
ベンチを立ってヨリの前で片膝立ちになり、目線を合わせてから自分は名を名乗る。
「改めまして。俺の名前は
そう言って、ガブガブ君ソーダの当たり棒をヨリへ差し出す。
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