3 深磐灯燈(バソリス・ランタン)の明かりを

「ったく、何て日だ……」

 アンナを意気揚々と帰宅させ、一気に疲れたショーンはカリカリと頭をかき、モソモソと寝巻きに着替えた。部屋の明かりをいったん消して、手持ちのバソリス・ランタンに火を灯した。


 平たい岩の形状をしたこの【深磐灯燈バソリス・ランタン】。

 魔術学校から卒業する時に贈られた魔術道具だ。見た目は変哲もない黒灰色の石だが、マナを数粒、吸着させるだけで、好きな色の炎を起こし、星屑のまたたきまで再現できる。お気に入りのアロマを垂らせばもう完璧。

 卒業してすぐ一度使ったきり、黒檀の机の奥に眠っていたが、今回の旅に使えそうだと持ってきていた。

「わー、すごく綺麗だね……」

 紅葉はあったかい嵐樫茶を飲みつつ、ゆらゆら輝く茜色の【深磐灯燈バソリス・ランタン】の光を見つめた。暗闇の平岩にあかあかと灯る小さな炎は、さながら星海の上から岩場の焚き火を見降ろしているかのようだ。

「はぁー……何だってこんなバタバタ……」

 ショーンは、香ばしい苦み混じりの嵐樫茶に、甘いビスケットを浸してちびちび食べた。本来は警護官探しを一番にやらなきゃいけないのに、どんどん頼まれごとが湧いてくる。

『サウザスのような小さな町に、アルバ様がいらっしゃるのは奇跡的なことなんですわ!』

 昔のオーガスタス町長の言葉が胸に響く。サウザスにいた頃は、あまり意識する機会は無かったが、こうして外に出てトレモロに来たとたん、何でもかんでもお願いされるようになってしまった。

 サウザスではこんな事なかったのに。それとも両親が最初に来たころは、これぐらい色々あったんだろうか。徐々にアルバがどういうものか受け入れられて……

「ふぅー」

 【深磐灯燈バソリス・ランタン】の淡い光が、ショーンのため息に応じて揺れた。



(とりあえず、ライラック夫人のゴタゴタを、アンナに押しつけられたのは幸運だった。父親調査の件についても、まずはアンナの妹エミリアに相談して……あとは……)

 ふと紅葉の顔を見た。すぐ傍にいるのに、近頃ぜんぜん喋っていない気がする。

「紅葉……」

「うん?」

「今日はどうしたって?」

「うーん、明日言うよ。長くなるし、いまは疲れてるでしょ」

 紅葉がけらけらと軽い笑みを浮かべた。変に気を遣われて、ショーンはむっと片頬を膨らます。

「……じゃあ太鼓を叩いてよ、元気になるやつ」

 紅葉に演奏を依頼した。彼女の太鼓を聴くのは、トレモロに来てから3日ぶりだ。サウザスではずっと毎日聴いてた……

「オッケー、いっくよーぉッ!」

《ダンダガ、ダン、ダン、ダン! ダバ、バンバン!》

 紅葉は奮ってスナップを利かせ、酒の神様ラム・ラジュラに捧げる曲を弾き始めた……が、

「——こんな夜中に何やってんだ! うるせーぞ‼︎」

 ドンドドドン! と、太鼓よりデカい音で部屋のドアが叩かれ、あっという間に宿泊客から演奏を止めさせられてしまった。サウザスでは、深夜に弾こうが明け方に弾こうが、こんなの一度もなかったのに……

 2人とも不貞腐れてそのまま眠った。嵐樫茶はすっかり冷えて、ランタンの灯りだけが暖かく煌めいていた。





「——緊急ニュースだよ、ショーン! エミリオが大変なことになってるの!」

「エミリア……刑事がどうしたって?」

「違う、オだよ、 “オッ” ! エミリオ・コスタンティーノが脱走したの!」

 早朝、紅葉に叩き起こされ、口がイガイガ状態のまま、トレモロ警察に連れて行かれた。



 3月20日銀曜日、時刻は8時20分。

「本日未明、サウザス病院で大変なことが起こりました。アルバ様」

 ゴフ・ロズ警部は眉をひそめて電信機の前に座っており、すぐ隣のエミリア刑事はせわしなく踵を鳴らしている。

「ロナルド・メンデス医師をご存知でしょうか?」

「え、ええと……」

「わたし知ってます! 何度か診察してもらいました、背が高くて、ちょっとコワモテのお医者さんで……」

「彼がエミリオの脱走を手引きしたそうです。いや……彼の意志で連れ去ったかも分かりませんが」

 警部は大きな鼻についた古傷をグッと歪め、経緯を説明してくれた。


 19日金曜日の夜9時、その日はエミリオの手術が入っていた。

 火傷治療のための手術で、もちろん州警察の立ち会いのもと行われた。ロナルド医師は、看護師と刑事たちに手術用の手袋を配った。手袋の内部には遅効性の神経毒が塗られていて、4名は手術が始まったとたん昏倒した。ロナルドはご丁寧に追加で麻酔薬もほどこし、彼らの意識を完全に奪った。

 そしてエミリオを車椅子に載せ、手術室の搬出口からそのまま建物外部へ。誰にも気づかれることなく、ロナルド医師はエミリオを連れ、自家用車でサウザスから消えてしまった。手術は元々長時間を予定しており、気づいたのは明け方になってからだった。



「ヴィクトル病院長によると、ロナルド医師はエミリオと懇意にしており、彼が殺人を犯した後もずっと苦悩していたとか。もしかしたら心中したかもしれぬと仰っていたそうです」

「そんな……」

 旧友のユビキタス校長があんな風になり、今度は部下のロナルド医師まで……心を痛めていたヴィクトル院長……これ以上彼を苦しませないでくれ。

「幸い、彼らの行き先は明確に分かっています。ロナルド医師は自家用車でコンベイ地区へ赴き、20日深夜に、ウィスコス峡谷の関門大橋からファンロン州へと入りました」

「ファンロンですか……!」

 ちょうどマドカも潜入中のファンロン州。戴泉明の出身地で、戴はエミリオの主治医だった。同じ職業同士、ロナルド医師とも知り合いかもしれない。彼らはファンロンの何処かで落ち合っている……?

 エミリア刑事は眉を吊りあげ、ガムを膨らませながら聞いた。

「彼らの行き先に心当たりはあるかしら? アルバ様」

「ええと……どうでしょう」

 ロナルド医師も組織の一員だっていうのか? そんなまさか、キリないぞ……

「警護官たちはダコタ州に逃げた。殺人犯エミリオもファンロン州へ……ラヴァ州は平和になって何よりね」

 エミリア刑事は盛大に皮肉を吐きすて、風船ガムをパンと鳴らした。


絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16817330652260314811

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