2 親切心は下心でできている

 3月19日金曜日の夜7時。

 場所は宿屋『カルカジオ』で2番目に広い部屋。

 紅葉は元気に、夕飯の肉とポテトをもりもり食べ、ショーンは正気のない顔で、ジョンブリアン社のビスケットをいつまでも飲み込まずにカジカジ噛んでいた。アンナは青白い顔で杏桃茶を口に含んでいる。

 気まずいお茶の時間を終えた3名は、先ほどの頼みごとの話を再開した。

「ええと……確か父親の件だっけ。いつまでにやれば良いですか?」

「ショーン、ただでさえ色々抱えてるのに、安請け合いしちゃって良いの?」

「まあ、これくらいすぐ終わるだろ。オリバー氏とヴィーナスさんに『父親ですか?』って聞けば良いだけじゃないか」

「いえ、本人に直接聞くのはちょっと……お控えください。アルバ様の呪文のお力で、解決して頂けないでしょうか」

(——はっ? ふざけんなよ、この小娘!)

 ショーンは1歳年上のアンナに、思わず激昂してテーブルを叩きそうになったが、なんとか飛び出しかけた罵声をビスケットとともに飲みこんだ。



「はぁー……そもそも、ヴィーナスさんには亡くなった夫がいるって聞きましたよ。その人とは違うんですか?」

「いえ、母に結婚歴はありません。私たち父親の名も非公表です。母本人からも教えてもらっていません。子供の頃に何度か尋ねたのですが、いつも笑ってはぐらかされて……子供心に『これは聞いてはいけない事なのだ』と思ってしまいました」

 アンナはギュッと右手で左肘を押さえた。紅葉があわてて笑ってフォローする。

「で、でも、親戚とかお手伝いさんとか、周りの人なら誰か知っているんじゃない?」

「それが……みんな適当なこと言うんです。あの人じゃないか、この人じゃないかって。一番酷いものでは祖父グレゴリーの子だと……おぞましい。ですので私、人の言うことは信じてません」

「……………」

 アンナが瞳を閉じてうつむいた。どんどん面倒なことになっていく。

 ショーンはそっと、積まれた菓子箱をアンナへ返そうとしたが、紅葉はダメダメと首を振った。



「ねえ、アンナさんは何でオリバー・ガッセル氏が父親だと思ってるの? 私たち、彼のこと何も知らないから、教えてくれる?」

 無難なつもりで聞いた紅葉の質問に、よくぞ聞いてくれました! とアンナが肩をあげてハキハキ喋りはじめた。

「まず2人とも同じ崖牛族なのです。崖牛族はトレモロでそう多くはありません。ましてや母と同年代となると人数も限られます。そして木工所でオリバー氏とお会いした時、彼はいつも恥ずかしがっているんです。母と会話する時なんて顔を真っ赤にしてるんですよ。これはもう間違いないでしょう、オリバー氏は私に秘密があるから狼狽し、母に懸想をしています!」

「……僕らと話した時も、オドオドしてたけど……」

「勿論それだけではありません! 角の特徴が似てるんです。母は耳のすぐ上に角がついてますけど、私たち双子とオリバー氏は違う、耳から少し離れた眼球の上についてるんです。これは大いなる証拠です!」

「はあ」

 崖牛族に詳しくないからピンと来ない。紅葉は自分の角をさわって首をひねった。

「じゃあ、昨日僕が着せてもらった高級服は誰のなんですか。てっきりヴィーナスさんの夫のものだと……あれもオリバー氏のですか?」

 ショーンは、自分とオリバー設計士の背丈を思い浮かべてみた。飴玉を渡した時、確かに同じ目線の位置だったかもしれない……

「……分かりません。亡くなったヴィーナスの夫になる予定の人のかもしれません」

「オリバー氏とは別人だと? じゃあ、やっぱりその人が父親じゃ?」

「いいえ、父はきっと生きています。そして今も近くにいます。私のカンは当たるのですっ!」

 …………これは何を言っても納得しないぞ。

 これ以上なく面倒くさい用件を引き受けてしまい、ショーンと紅葉は無言で顔を見合わせた。


 

 トレモロに来て3日目の夜が更けてゆく。

 紅葉は食べ終わったお皿を食堂に返却し、トレモロ産の嵐樫あらかし茶をもらってきた。

 その間、ショーンは【星の魔術大綱】のページをめくり、親子を判別する呪文はないことをアンナに伝えた。

「結局、本人たちに聞くしかないよ。あとは関係者に聞くとか、病院の記録をあたるとか……」

「私たちが生まれたのは、トレモロではなくクレイト市の大産院なのです。記録なら、そこに行かなければなりません」

「クレイトって、ちょっとそれは……」

 御礼がお菓子の範疇を超えてるな……そう悩んだ瞬間、ショーンの中にパチっと光が灯った。

「そうだアンナさん、アンナさんは次期町長をめざしてるんですよね。——ライラック夫人の件をご存知ですか?」

「え? ええ……たくさんお子さんを連れてサウザスからいらしてる……」

 アンナは急に話を振られ、ドライローズ色のドレスをよじらせた。

「そうです。実はトレモロ警察から、ライラック夫人と子供たちを、サウザスに帰すよう依頼されていまして。彼女たちは住むところが無く、浮浪者状態です。しかし夫人に話を聞いたところ、本人らはトレモロに住みたがっています。ここへ移住したいと思っている」

「まあ! どうしましょう、何とかしないと……」

「ヴィーナス町長から、トレモロは人口が減っていて大変だとお聞きしました。警察としても、町でキチンと生活できれば、無理に帰す理由もなくなるでしょう。アンナさんのお力で、彼女たちに安住の地を提供して頂きたいのです」

「まあ、そんな事情が!? お恥ずかしいですわ、今まで気づかなくて……!」

「悲しむことはありませんっ。僕があなたの父親探しをします。そしてアンナさんは僕の代わりに、ライラック夫人と子供たちのお世話をお願いします! これは町長をめざすアンナさんにしかできない事ですッ!」

「ええ、やりますわ、もちろん! 次期町長として、私やります‼︎」

 アツアツの嵐樫茶を盆に持ち、戻ってきた紅葉は、両手をあげてわーいわーいと叫ぶ2人に、瞳をパチクリさせた。

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