5 お召し物をどうぞ
「申し訳ありません、ヴィーナス町長……こんな泥だらけで」
「あらあらまあまあ、お疲れ様ね!」
3月18日森曜日、午後7時半。
アルバ様によるトレモロ2日目・最後の仕事は、まずは謝罪から始まった。
「ルクウィドの森へ行きましたのね、捜査は大変でしたでしょう。ナッティ、洗濯屋を呼んできて」
「ハイ、町長」
第1秘書のナッティが、シュバッとヴィーナス町長の後ろから出てきて、さっそうと玄関外へ去っていった。
「ショーン様はあたくしとクローゼットルームにいらして、男性用の着物があるわ。アンナ、従者の方に服を」
「ええ。こちらへどうぞ、紅葉さん」
第2秘書であり町長の娘アンナが、紅葉を連れて、玄関近くの扉へ消えていった。
ショーンは、トレモロ町長ヴィーナス・ワンダーベルに肩をガッチリ捕まれ、狩人集落に赴く時よりもドキドキしながら、2階の主寝室へと向かった。
トレモロで歴代町長を務めるワンダーベル家の邸宅は、いわゆる普通の屋敷と違い、かなり特徴的な外観をしていた。柱や扉が大きく誇張され、膨らんだり曲がったりしており、分厚くカーブした窓の庇や玄関扉は、人がニヤリと笑った顔に見えるよう作られている。
建物内の家具もそれら『歪み』に合わせた特注品で、例えばクローゼットルームのドレス棚はトランプのスペードのような形をしていたし、アクセサリーの飾り棚は大きな巻き貝の形をしていた。ベッドはなんと両脇に羽を生やしたスフィンクスの胴体だ。
そんな湾曲の激しい外装や内装、調度品は、いずれも木製でカラフルに塗装されており、見た目の可愛さとは裏腹に、木工職人が必死でカンナをかけて製作した物と思われた。
「すごいおうちですね……どれも凝っている」
「あら、嬉しいわ。この屋敷はモーリッツ・ゴブレッティの設計で、レイクウッド社に作らせましたの。当時の当主、ヴァネッサ・ワンダーベルの趣味でね」
「なるほど、さすが名匠の……」
「なんと完成するまでに70年もかかりましたのよ! ヴァネッサは家が完成した翌週に、バスルームで息を引きとりましたわ、103歳でね。フフフ」
ヴィーナスは肩で笑いながら、荒波にようにうねったチェストの奥から、パールホワイトのローブを出してきた。何層にも薄布が重なった長いローブで、肩や腕に控えめな銀色刺繍が入っている。
「ごめんなさいね、うちは男性が居ないでしょう。これしか無いのよ、もう20年以上も前のですのよ」
「いえ、ありがたいです。失礼して腕を通させていただきます」
服の好みにはうるさいショーンだったが、身の丈も腰の緩さも、このローブはちょうどよく体に嵌まった。
チューリップの形をした鏡台で確認するショーンに、「まあステキ、ピッタリね!」とヴィーナスが拍手した。
玄関ホールに戻ると、薔薇色のドレスを着たアンナが出迎えてくれた。
「食前酒ですわ、晩餐が始まるまでしばしお待ちを」
中に金色の花びらが浮かんだ、林檎ワインを渡された。シュワシュワとかすかな泡が立っている。ショーンはしばしワイングラスを見つめ……ふと目を上げると、柱の陰に隠れるように立つ、紅葉をみつけた。
「……もみじ?」
丈が少し短めの、プラチナゴールドのドレスに身を包んでいる。昼間、白いヒナギクだった角花飾りは、ドレスと同じ色をしたフリージアに変わっていた。
「ああ、ええと……うん、その」
紅葉は妙に直立不動で、恥ずかしそうにしている。
「お似合いでしょう。こちらエミリアのドレスですわ。あの子、服をぜんぶ置いていってしまったの。もったいない」
双子の姉であるアンナが溜め息をついた。双子なのだし、
「どうした、具合でも悪いのか?」
「えへへ、着慣れないから怖くって……」
高ヒールの靴によろめくフリして、紅葉はこっそりショーンにだけ耳打ちした。
「(……実はね、ちょっと動くと、はち切れそうなの……背中がね)」
紅葉はエミリアより15cm近く背が高い。何も知らずに「角花飾りは私のですのよ」と笑うアンナに、2人は愛想笑いを返した。
「——まったく、いつまで待たせるおつもりですかな? 小生は夜7時半から夕食の時間だと聞いておりましたが!」
突如、バアアァン! と食堂室の隣にある娯楽室の扉が開き、長身の男性がひとり飛び出てきた。長い胴体に長い黒髪、頭にさらに長いシカ角を乗っけている、巻鹿族だ。
「あらあら、まだ15分しか過ぎてないじゃないですか」
「もう15分も過ぎております! 小生のお腹はペコペコなのです!」
ヴィーナス町長は何の悪びれもなく小首を傾げ、それに対し、長身の男は憤慨して地団駄を踏んでいる。紅葉は衝撃でドレスを破らないよう、必死で肩を縮こまらせた。
絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16817330650127389055
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