5 薔薇のケーキと現場検証

 春の長閑なお昼どき。トレモロ通りの南にある、ジョンブリアン菓子店のドアが開かれた。ローズ色のロングドレスを身に包んだ、崖牛族の若い女性がカランと入店してきた。

「あらアンナ様じゃないですか。珍しい、今日はお一人で?」

「ええ、大切なお客さまが来ているの。噂によると、食に大層こだわりがある方らしくて……朝から大変よ」

 町長の娘、アンナ・ワンダーベルが店内を物色しはじめた。田舎町ではお使い物を入手するのも一苦労だ。

「新作の薔薇ケーキはいかがでしょう。濃厚なクリームサンドもありますよ」

「そうね……羊猿ようえん族の男性の好みって何かしら」

 アンナは顎に手をあててじっくり吟味する。

「まあ羊猿族、この辺じゃ珍しい。キメラ民族は好みが難しいですからねぇ。草食のお方でしたら、グリーングラスのハーブケーキはどうでしょう」

「それも頂くわ。先ほどの新作もね」

 店主が薦めるケーキを数点注文した後、アンナは追加で、焼き菓子の棚をチェックし始めた。クッキー缶やキャンディー缶など、お土産用の詰め合わせが並んでいる。

「今ならキャンディー缶がおすすめですわ、アンナ様。定番のマジョラム味に加えて、季節のくだもの果汁がタップリ入ってて……」

「あらダメよ、キャンディーは。喉に詰まってしまうもの。当家では母が禁止してるの」

 アンナは残念そうに首を振り、キャンディー以外の缶を全種類、カウンターの上に置いた。

「いただくわ」

「まあこんなに……!? そんなに甘党な方なんですか?」

「ええ、まあ……久々のお客さまだし」

 予算を大幅に超えた金額だったので、家用の革財布のほかに、私物の赤いハートマークがついた財布を取り出した。

「それにちょっと……特別に頼みたいことがあるの」

 次期町長を目指すアンナは、ケーキ屋で浮かぶ表情ならざる、青い顔をしてお菓子を受け取った。




「ここが……例の現場か」

 3月18日森曜日のお昼すぎ。ルクウィドの森の中、ショーンたち御一行は、逃走した警護官が消息を絶ったらしき現場まで到着した。

 トレモロ町から12kmほど離れた、オックス州に繋がる北西の車道。森の入り口から約2km行ったところで、車は突然東に逸れた。草薮をむりやり掻き分け、道なき道を走り……700mほどタイヤの跡がくっきり残っていたが、ある地点で忽然と消えていた。

「キノコがたくさん轢かれてる……かわいそう」

 紅葉は【鋼鉄の大槌】を手に、地面に膝をついた。

 そこには大きな菌輪が……白いキノコたちが、ぽこぽこと円環状に群生していた。菌輪は『妖精の輪』とも呼ばれ、たいへん縁起の良いものだ。

 逃走車は無礼にもその円輪の中心に突っ込み、キノコを盛大に蹴散らしていた。慌てて急ブレーキをかけたタイヤ痕と、かわいそうなキノコたち、車から出てきた人の足跡が、混じりあって大地に残っている。

「運転手は、車から一度出たようね。2名分の足跡が周囲に残っているものの、半径10m以上は見つからなかった。車に再度乗りこみ、車ごと消失したと思われる……」

 エミリア刑事は腰の革製ポーチから資料を取り出し、読み上げた。木工所職員であるテオドールとマチルダは、少し離れた場所から捜査を見守っている。



「これを発見したのはいつだっけ?」

「まず警護官が逃走したのが、3月10日風曜日の深夜ね。トレモロ警察にも報告が入り、周辺警備を開始した。——けど、トレモロの警備は町が中心で、州街道や関所に集中させた結果、郊外までは追いきれず……住民から目撃情報を得たのは、10日の昼15時半頃。森道の捜索を開始し、18時にここを発見した」

「当日の18時……か」

 自動車を消失させたのが仮面の男だと仮定してみよう。護送中、奴とコンベイ地区で出会ったのが昼の12時前だ。コンベイからトレモロまで、俊足呪文を使って全速力で走るとしても……18時までに間に合うだろうか?

「車を見かけた住民は夜行性で、目撃時刻は10日の深夜1時半頃よ。彼は一度就寝し、騒ぎを知ってから通報してきたの」

「——あ、そっか」

 じゃあここに警護官が突っ込んだのはもっと前……ユビキタスの護送に出発するずっと前だ。

「つまり、奴は深夜までトレモロ近辺にいて、昼にコンベイ地区まで来た、って事か……?」

 それなら時間的にあり得なくはない。

 どっちにしろ大変だけど。

 ショーンはうずくまって考えこんだ。泥が裾にかかったが、気にせず地面を見つめていた。



「ねえ……今あなたが想定してるのは、例の護送のときに現れた仮面の魔術師? アルバ様には、ソイツが誰だか目星がついているの?」

 エミリア刑事も地面にうずくまり、同じ高さの目線から、強い眼差しでショーンを見つめた。

「……あいつは……同じアルバかも知れないし、独学で呪文を身につけた奴かもしれない。今は州のアルバ統括部のほうで捜査中で……といっても、ラヴァ州出身かどうかも怪しいけど……誰かは分からないよ、全然」

 ショーンの見立てでは、独学は到底無理だと思っている。魔術学校に通った者ですら、あそこまで習得するのは難しい。【Fsの組織】とやらは、どれほどの設備と教育が整っているのだろうか。仮面の男以外にも、あれくらい高度な使い手がたくさんいるのか……?

「ふぅん、もうこの辺に居ないことを願うかぎりね」

 エミリア刑事は森を見上げた。

 ルクウィドの森が風でざわざわと音を立てる。

 ショーンの羊耳が——普段は髪と角で隠れた、羊の三角耳がひくつく。

 あの日、わずかに捉えた仮面の男の声は、聞き覚えがあった。

 でも、どこで聞いたかは思い出せない。記憶に靄がかかったように。

 つい不安が増して、紅葉の顔をグッと見つめた。

 紅葉はすぐにショーンの視線に気づき——

「そろそろお昼にしようか」と笑ってくれた。

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