5 部屋掃除

 ショーンはその後、州警察のもとへ事情聴取に行った。

 自身に起きた様々なことを語り、夜遅くに酒場ラタ・タッタに帰ってきた。

 ちょうど太鼓隊の最後の演奏が始まった所だった。

 ショーンはいつものように、マスターが淹れてくれたお茶を飲み、女将さんの作った料理を食べ、太鼓隊の演奏を聴き入った。

 酒場の営業が終わり、太鼓隊や店員たちに無事を伝えた。

 そして酒場のオーナー夫妻に挨拶し、紅葉と一緒に、今後の進退について意志を伝えた。


 その晩ショーンはぐっすり眠った。

 悪夢と寝不足に悩まされ続けた1週間がウソのように、紅葉からもらったミモザのポプリの香りに包まれ、快眠できた。

 3月13日銀曜日。時刻は少し遅めの午前10時半。

 ショーンはしばらく天井を見つめて、部屋を見回し……真鍮眼鏡を掛けて、ベッドから起き上がった。

 幾つも積み重なった本の海に、手紙や紙束が積まれた黒檀の机。服があふれたクローゼットに、床にはたくさんのお菓子の空箱。椅子が2脚に、譜面台が1つ。星が描かれたフロアランプ……

 3年間、慣れ親しんだ、ショーンの下宿部屋。

「……片付けなきゃ……」

 それはこの部屋の別離を表していた。

 そしてサウザスとのお別れも——



 ショーンは朝食もそこそこに、片付けを開始した。

 下宿キッチンにいた酒場見習いのロータスに、小遣いの30ドミーを渡して助っ人を頼んだ。年若い円猫族のロータスは、ショーンがやるより5倍は早く、ゴミを拾い、紙束をくくり、外の台車へせっせと運んでくれた。

 ショーンは売れるものや捨てるもの、残すものとを選別し……と言っても、手元に残せるものはほとんど無い。トランク一つとサッチェル鞄に入る量だけだ。

 途中、太鼓隊の隊長オッズが来訪し、椅子と譜面台を持っていってくれた。腰痛がひどくて、同じ椅子に長時間座るとキツいらしい。どちらの椅子も気にいってくれるだろうか。


「ショーン、ロータス、差し入れよ……まあ! だいぶ綺麗になったわね」

 銀曜日の午後1時。

 女将さんのルチアーナが、山盛りのハーブサンドイッチを持ってやってきた。ショーン用には白インゲン豆とニンジン、ロータスのはニシンの燻製が入っている。サンドイッチをつまみながら、荷造りの手は止めずに作業した。

「本当に部屋ごと引き払ってしまうの? しばらく置いておいてもいいのよ」

「いいえ、全部処分します。ここに残しておいたら危険です」

「そう……寂しいわね」

 ルチアーナはハーブティーを淹れながら部屋を見回し、魔術師の面影を感じて溜め息をついた。


「……シャーリーが初めて下宿に来たのは25年前だったかしら。あの子、最初は自分がアルバだって隠していたのよ。周りはみんな学者の卵だと思っていたの、キノコ研究のね」

 でもある夜、酒場にギャングが襲ってきてね。10人くらいで武装して……ドアや窓を壊して入ってきたの。2階で飲んでいたシャーリーは、呪文を放ちながら1階に降り立った。ブワッとした服を翻して、両手と眼鏡をキラキラさせて……その時はじめて、彼女がアルバ様だって分かったの。

 ルチアーナは目をつぶり、当時の思い出を語っている。

「すみません……写真だけ、預けてもいいですか?」

 ショーンは家族写真とアルバムを、酒場のオーナー夫妻に譲った。



「——小僧、なんだ引っ越しか」

 だいぶ荷物が減った午後4時。

 アルバの治癒師、トーマス・ペイルマンが来襲してきた。

 すでに見習いロータスは酒場の業務に戻り、ショーンだけが部屋を片付けていた。

「……まだ居たんですか」

「まだとは失礼な! 鉄道が動かんとどうにもならんのだ! 馬車もギャリバーも全ての交通網が閉まっている!」

 コンベイ地区の自宅に帰れない彼は、憤慨しながらショーンの部屋を見回し始めた。

 ある程度、綺麗になっていてホッとした。前日までの汚さだったら、どんな説教を喰らうか分からない。


 ショーンがクローゼットの服をたたむ間に、ペイルマンは長い筒状の真鍮眼鏡をキイキイ鳴らし、本のタイトルをじっくり眺めていた。

「……これがお前さんの蔵書か。シャーリー女史と……スティーブンの分もあるようだな」

 苦々しくペイルマンが頬に手を当てている。

 そういえば彼は、父スティーブンと魔術学校で同期だったか。

「ハッ、アイツめ——苔なんぞ調べて何になるのか」

「苔をコケにすると父にブン投げられますよ」

 10歳までに何回殺されかけたか分からない。思い出して猿の尻尾をブルっと震わした。

 積まれた本の中身は、魔術と呪文についてが約半分。シャーリーが置いていったキノコの本に、スティーブン所有の苔の本。あとは冒険小説や恋愛小説、探偵小説といった普通の本に、ショーンが治癒師として購入した医学書だった。

「まったく、埃まみれで酷い有様だ。新居ではちゃんと本棚にしまっとくんだな」

「いえ、しばらく旅に出ますから……本はぜんぶ図書館に寄付しようと思ってます」

「何ぃ、寄付だと⁉︎……こいつらはどうする」



 ペイルマンは太い指で、ルドモンド大陸を模した【砂月色の天球儀】と、卵型のフラスコである【哲学者の卵】をビシッとさした。

「僕ぁもう要らないですよ。骨董屋に売ろうと思います」 

「骨董屋だと⁉︎ ふざけるな、魔術のマも知らん奴らに売ってはいかん!」

 カエルが両手をガバッと広げるがごとく、ペイルマンは2つの品を抱えた。

 ショーンは彼のコンベイ病院の治癒室を思い出していた。薬棚の隣に雑然と並べられた、数々の動物剥製、民族模型、高級そうな壺……あの珍品コレクションに加えてくれるなら、あげても良いか。

 ペイルマンは今まで見たことのないニコニコ顔で、天球儀とフラスコと風呂敷を包んでいたが……急にハッと我に返った。


「——いかんいかん、こんな用事で来たのではない!」

「何ですか、いったい」

 早く帰ってほしい。イライラを滲ませながら振り返ったが……トーマス・ペイルマンは顔に青い影を落とし、今まででもっとも真剣な表情をしていた。

「……な、何ですか、いったい」

 ショーンは不意打ちを食らったように体をキュッと強張らせた。

「小娘の民族のことだ」

 ペイルマンはギシッと、ショーンの黒檀椅子に腰掛けた。


絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16817139558139002906

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