4 クレイト市の秘密

「そ、そういえば僕の眼鏡と鞄は……!?」

 あれから不覚にも二度寝してしまったショーンは、クレイト駅に着く直前、ようやく己の本分を取り戻した。

 私服刑事のラルク・ランナーは、黙ってサッチェル鞄を差し出した。

「うわ……」

 災害のような事件に巻き込まれたはずの鞄は、ダンロップ警部が修理職人を手配してくれたのか、埃を払われ油を塗られ、却って前よりも艶々としていた。

 あまりの頑丈さにボヤきながら中を見ると、凹んだ水筒、長財布、手拭い、【星の魔術大綱】など、いつもの私物が入っている。唯一見慣れぬ眼鏡ケースを開けると、ショーンの真鍮眼鏡が収められていた。


 やれやれと眼鏡を掛けようと、すると急にラルク刑事が制した。

「待ってくれ、本部に着くまで身分は隠して欲しい」

「いつでも取り出せるようにしておけ、小僧!」

 見ればペイルマンも真鍮眼鏡でなく、普通の額縁眼鏡をかけている。

 ショーンは慌ててコンベイ製・竹細工の眼鏡ケースを、ジャケットの内ポケットにしまった。ケースに焚き染められた白檀のお香が鼻をつき、グション! と盛大にくしゃみをした。



 わざわざ、私服刑事とアルバ様に同行してもらった鉄道の旅は、何事もなくクレイト駅へ到着した。

 客でごった返す中、ラルク刑事のふさふさな尻尾を追って、御一行は出口……ではなく、なぜか駅の奥へ向かわされた。

 廊下の一番奥にある部屋に入ると……なんとVIP用の休憩室だった。高級そうな皮張りソファにゴールドの鏡にシャンデリア。ギャルソンのような格好をした駅員が、カウンターでグラスを磨いている。


 ショーンは尻尾をムズムズさせてラルク刑事に聞いた。

「……ここで待てばいいんですか?」

「シッ」

 駅員が黙ってカウンター奥の床を開けた。そこはポッカリと土管のような丸い穴が開いており、地下へ通じる梯子が取りつけられていた。

「気をつけていってらっしゃいませ──決して口外しないように」

 ギャルソン駅員は90度腰を折り曲げ、丁寧に挨拶しながら一行を送り出す。

 ショーンはゾワゾワする尻尾を、体にキュッと巻きつけながら、地下へ降りた。



「……こんな所があったんですね」

 美しく整然と磨かれた石畳を持つクレイト市。

 そこにひっそりと存在した地下トンネルは、無骨でゴツゴツした大石が積まれてできていた。

 身長こそ高めに確保してあったが、横幅は大人2.5人分くらいの狭さで、むき出しのパイプや照明は、さながら鉄山坑道を思わせた。

「州議会堂まで直通だ。州警察の本部はその右隣にある。最低限しか明かりを点けないから、足元に気をつけて」

 秘密の地下通路は白銀三路のちょうど真下にあるようだった。時おり地上の愉快な音がパイプを伝って聞こえてくる。


 パチン、パチン。パチン、パチン。

 狭くじめじめした暗黒のトンネル内で、50m間隔に並ぶ電灯スイッチを切り替えながら、一行は直列に並んで進んでいった。

「紅葉……体の方は大丈夫か?」

 ショーンはたまらず、前にいる紅葉に話しかけた。

「……平気だよ。アルバ様に治癒してもらったから、もう指も使えるの。ショーンこそ具合はどう?」

「ああ……」

 気分はとうぜん悪かったが、平気だと言うしかなかった。せめてお日様の下でワイワイした人混みを歩けたら、少しは気も紛れただろうが……。



 暗いトンネル内にいると、昨日の出来事がユラユラと走馬灯のように蘇る。

 ユビキタスの護送、仮面の男との戦闘、ペイルマンの治癒室、マルセルとの会話……オーガスタスが見つかったのは幸いだが──アーサーとは二度と会えなくなってしまった。

 いまだに実感がわかない、吐き気がしてきた。

 白い石塀の肌寒さが胸に染みる。水滴まじりの靴音が不快さを増して響いた。

「ねえショーン。帰り、無事に終わったらクレイトでお買い物したいね」

「え?……あ、ああ」

「私、いつか白銀三路で買い物するの、憧れだったの」

 紅葉の長い黒髪が静かに揺れた。

 先頭のラルクや最後尾のペイルマンに小言をいわれるかと思いきや、特に注意はされなかった。 

 パチンパチンと灯りのスイッチが切り替わり、2人の影が一瞬交差する。


「そうだ……角花飾り買ってやるよ。昨日つけたのは壊れただろ」

「いいの? あれ結構高いよ。2、30ドミーくらいしちゃうけど……」

 角花飾りの値段は、子供の小遣いから超高級ブランド品までピンキリだが、紅葉はいつも、自分の給料より若干高いものを身につけている。

「それくらい良いよ。何の花が欲しいんだ?」

「ん~、そうだね、今度はガーベラにしようかな。それともカーネーションとか……ふふ、見てから決めるね」

 紅葉が肩で笑った。暗いトンネルで顔は全く見えないが、どんな表情をしているかは頭の中にくっきり浮かぶ。

 ショーンは今までずっと、自分に巻き付けていた己の尻尾を、ようやく体から離して、フリフリ地面で振った。

 そして狭い地下通路の距離感を、失念していた猿の尻尾は——背後のペイルマンに思いきり踏まれてしまい——断末魔のような悲鳴が、クレイトの地下にしばらく響いた。

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