4 姫と騎士

 ユビキタスの服が、鎖が、心臓が、意思が、黒い一塊になったようだった。

 紅葉はこれが何なのか知っている。

 【殺意の塊】だ。

 以前、見たことがある。

 それは普段、深い井戸の底に沈んでいて、姿形はちゃんと見えない。

 でもずっと昔に、確かに目にした物だった。

 そして、私も、【なったことがある】。



 あれは8年前の夏だった。

 夕方、授業の終わった校庭に、アイスクリームの屋台が来ていた。

 その時、校庭で魔術の練習をしていたショーンは、教室にいた私をアイス屋さんに誘ってくれた。

 私は当時、酒場のお手伝いのおちんぎんで、ようやく角花飾りを買えたばかりで、1ドミーも余裕がなかった。でもショーンが自分のお小遣いから買ってあげるよって、言ってくれた。


 屋台へ行くと、ちょうどアイス作りの最中だった。冷えた石桶で囲われた無骨な鉄の手回し機が、ゴウンゴウンって音を立てて、中のミルクが練られていく。どんどん研ぎ澄まされて、美しくなる様子は、魔法みたいな光景だった。

 最終的に絞り出てきたクリーム色のミルクアイスに、真っ赤なさくらんぼを乗せて完成。手回し機を動かしてるのは、大きな青羆熊族のお兄さんで、トッピングをしてくれるのは、実洗熊族のお姉さんだった。色とりどりのフルーツにキャンディにチョコやパウダー……なんとシュークリームもあった。



『わ、私はいいよトッピングなんて、お金かかるし……』

『いいって、いいって、2つでも3つでもいいぞ』

 そういって、ショーンも山盛りのトッピングを追加していた。今思えば、12歳で学校を去るショーンの最後の贅沢だったのだ。私は当時ショーンがいなくなる事を知らなくて、いつまでも彼と一緒にいられる気がした。

『ほら、えらんで、選んで!』


 どうしようか少し迷って、チョコクッキーとキャラメルビスケットにした。1つで2枚入ってるから全部で4枚。赤いさくらんぼの周りに綺麗に飾ってもらった。ダイヤ型をした黄色とチョコ色のクッキー&ビスケットは、まるでお姫様の周りを守る騎士みたいだ。キュウゥッって胸が締めつけられるくらい、ときめいた。

『きれいっ、見てショーン! きれ…………ショーン?』

 振り向くと、校舎の前でショーンが揉めていた。

 夜行性で、登校してきたばかりのアントンが、山盛りのショーンのアイスを奪おうとしていた。



『——ああ? 一口くれって言っただけだろお⁉︎』

『お前にやるもんなんか飴粒一つさえねえよ! 土くれでも食っとけ!』

『ちょっと……! やめて』

 チビでひ弱なくせに、口だけは大きいショーンが、2つ年上で乱暴者のアントンに突っかかっている。激怒したアントンは、ショーンに襲いかかった。ショーンはすかさず呪文を使う体勢をとったけど、


【いずれ安定へ向かっ——うわああ!』


 とうぜん間に合うはずもなく、ショーンの小さな体はアントンに胴体を攫まれ、投げ飛ばされた。

『やめて!』

 ショーンがトッピングしたカラーパウダーが、パラパラと周囲に舞った。シュークリームが割れて飛び散る。校庭の土くれに横たわり、痛みでうめいているショーンの──あろうことか顔をめがけて、アントンが靴の裏で踏もうとしていた。

 怒りで視界が黒くに染まった。





「やめろおオオオ————!」

 紅葉の目がカッと見開いた。

 ユビキタスが飛ばしてきた、横殴りに襲い掛かる護送車を、紅葉は斧の柄を縦にして身構えた。

 ドシャアアンと屋根が丸ごと吹っ飛んできたかのような、恐ろしい轟音と衝撃が辺りを包む。

 ッズシシシシ! と、恐ろしい運動量と負荷が紅葉の両腕にかかり、彼女は全身の筋肉を使って押し留めた。額の角花飾りが全部壊れて、パラパラと花びらが視界に振ってくる時も、彼女は車から目を離さなかった。靴底が一気に大地と摩擦して異常な熱を発している。


「はあ……っ、はああ……ッ!」

 車の部品が飴玉のように降ってくる。リュカのくれた革手袋の中で、指の先が全て砕かれていた。服のあちこちが破れ、顔も首も腕も足も、血と土と砂が混じり、眼球と額の角は異常な色で染まっていた。靴の裏底はほとんどなくなり、代わりに火傷状態の皮膚が大地にへばりついていた。斧の柄は歪みきり、ねじれて真っ二つに折れてしまった。

「クァあ、あ、あああ——っ」

 紅葉はもはや意思だけで、目の前に留まる車体を突き飛ばした。

 囚人護送車は完全に壊れて割れて、あの日のシュークリームの残骸のように、地面に朽ちていった。



 8年前のあの夏、アントンがショーンを投げた距離より、はるかに遠く、紅葉はアントンを投げ飛ばした。

 ショーンは全治1週間、アントンは全治2ヶ月。

 紅葉はサウザス警察に厳重注意をくらった。

 アイスの姫と騎士たちは、踏まれてぐちゃぐちゃになっていた。


「ユビ、キ、タ、スウウウウウ!!!」 

 先生が町長を殺したかなんて知らない。

 犯人かどうかさえ知らない。

 でも確実にこいつは紅葉とショーンの敵だった。

 騎士なんていても一緒に倒されるだけ。弱いものは淘汰されてしまうのだ。

 大事なものや大切なものは、自分の力で守らなきゃならない。


「死ねえええええええっ————!」


 だから——こいつはここで私が、【殺さなきゃ】。

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