3 オレンジケーキ

 現在時刻は10時半。パーティーを始めるのはお昼過ぎ。

 2日間寝ていないアーサーは、流石に疲労で首を振り、眠気覚ましに切ったばかりのオレンジを齧った。メモリアル・パーティーには、故人の好物、神の好物、家族料理を並べるのが習わしだ。フェルジナンド家の定番は、レーズンとクルミ入りの大麦パンに、香草とスパイスをたっぷり入れた雉肉パイ、そして今つくりかけてるオレンジケーキ……全部ジーンもアーサーも大好きだった。


「……ふぅ」

 ついつい3切れほど食べてしまった。酸味と甘みで目が冴える。

 子供の頃、オレンジの成る季節になると、毎週のように家族持ち回りでオレンジケーキを焼いた。祖母のジーンは、ケーキの周りにオレンジスライスを乗せるのを得意とし、母のジェシカはスポンジに紅茶の汁を混ぜて作るのが好きだった。親父のフィリップは甘党で、蜂蜜クリームのたっぷりケーキ。俺は……ラム酒を入れると大人になった気がして、ドバドバ入れた……弟たちは、


「おーいアーサー、今日の喪主はお前さんかい? 弟たちに連絡は?」

 椅子をかかえた隣の部屋の爺さんが、玄関ドアの小窓から顔をヒョッコリ覗かせた。

「お久しぶりです、ゲランさん。残念ながら、みんな消息不明なんですよ」

 キッチンテーブルの前で、オレンジ剥きを再開したアーサーは、隣人にニッコリ笑顔を向けた。

「こらアンタ! そんなの聞いちゃダメじゃない、デリカシー無いったら! アーサー、困ったことがあったら何でも相談してちょうだいね!」

 彼の奥さんが、オタマでパシパシとゲラン爺さんの肩を叩きながら、大量に抱えた丸テーブルを持っていった。……嫌な予感がして庭を覗くと、思ったより人が集まっている。



 今日は3月10日、風曜日かぜようび

 風曜日を信仰する職業は、運輸、旅行、新聞業など。本来、休みのない職場がほとんどだ。とうぜん新聞関係者は欠席で——といっても、貧民街じゃヒマな爺さん婆さんばかりな上に、ジーンはこの辺の長老ポジションだったから、アパート住民以外にも、続々と近所の人が集まっていた。

「…………これじゃあ材料が足りない、か?」

 果物箱いっぱいに購入したはずのオレンジは、小窓からそよそよと吹く風で起きる、小さなさざなみとなって揺られている。アーサーはふたたび外を覗いて、水甕に浮かぶオレンジを交互に見た。想定のおよそ3倍の人数が、庭を行ったり来たりしている。

「……うーっむ」

 アーサーは再度ため息をついて仰け反った。大麦パンと雉肉パイはともかく、家でいちばん大事なオレンジケーキは、全員に行き渡るよう振る舞いたい。


「取り皿とフォークが足りないわ!」

「誰かもっとレモンビールを持ってきてちょうだい!」

「やだ、ちょっと、こぼさないでよ!」

 喧騒が徐々に殺気立ってきた。古びた丸椅子、歪な形のテーブル、色褪せたテーブルクロス……エプロンをつけた貧民街の住人たちが、せっせせっせと運んでいる。火をつけたローソクの燭台が危なっかしい。縁の欠けた皿に盛られた、出来立てホカホカの料理たちに、大小銘柄さまざまな、飲みかけかも分からぬ酒瓶たちが、賑やかに並んでいる。

 主役のジーンは真っ白なおくるみに包まれて、緑色のキルトを肩にかけ、周りの喧騒などどこ吹く風で、穏やかそうに眠っていた。



「…………参ったな。これは、だいぶ……大所帯だ」

 もはや全員席に座れるとは到底思えず、立席パーティーの様を呈していた。庭の花壇のレンガを積んで作った風の神様の祭壇が、とても “つつましい” ものに感じられる。

 ……何せ、このところ痛ましい事件が続いていた。

 不安とストレスを解消するよう人が集まり、あるいは料理や酒に釣られて、お茶会どころか、貧民街あげての大宴会が開催されようとしていた。

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