2 風の神様

「見てみてこのキルト、ジーンが好きだった深緑色よ、これも着せてあげましょうよ!」

「アーサーちゃん、ウチからも差し入れ。仔牛のレバーとインゲンのスープ。問題ないわよね?」

「ちょっとォ、椅子が足りないわ! もっと持って来れる人いる⁉︎」

 貧民街の寂れた古アパート『ジュード』は、いつになく活気で満ちていた。

 内庭で行う最期の茶会に、アパートの住民たちが差し入れを持ち寄り、てきぱきガヤガヤ、宴会の準備をしている。


「ジーンは風の神様の信者よね? ウチにニシンの酢漬けがあるの、持ってくるわ」

「見てみて、バゲット買ってきたわよ! サンドイッチを作るわね!」

「じゃあアタシは香草焼きでも作ろうかしら。アンタ、市場からサーモンを買ってきて!」

「ちょっとォ、物干し台が出しっ放しよ! 倉庫にしまってちょうだい!」

 アパート2階の開け放したドアの小窓から、外の喧騒が風に乗って聞こえてくる。

「……やれやれ。フェルジナンド家の特製パイが、一番ショボくなりそうだ」

 アーサーは苦笑しながら、スパイスをたっぷり入れた雉肉パイを包み終わり、オーブンへ投げ込んだ。



 空は晴れ、雲が伸びやかに漂っている。寒さが明けた春の陽気に、小鳥たちが歌いながら羽ばたいている。【葬礼饗宴メモリアル・パーティー】にふさわしい昼の始まりだった。

 パーティーは、フェルジナンド家が長年棲む『ジュード』の中庭で執り行われている。井戸と下水溝に囲まれた中庭は、普段は盛んに洗濯が行われ、洗濯桶や物干し竿が転がっている。亡くなったアーサーの母ジェシカも、ここで洗濯婦として働いていた。

 今日は洗濯は行わず、各家庭から持ち込まれたテーブルと椅子が並べられ、茶会準備が整っていた。隅に置かれた大きな洗濯桶では、子供たちが水を張り、ちょっとしたプール代わりに遊んでいる。まだ3月だというのに子供は寒くないらしい。


 パーティー会場の一番いい位置、藤で編まれた椅子の上に、年老いたジーンが微笑みながら眠っていた。彼女の左隣には、土レンガを積んで作った、風の神様の祭壇が組まれている。祭壇の下には、神の好物であるレモンとオリーブ、ハーブを少々飾る予定だ。祭壇の上には、フェルジナンド家の家宝である、【風の神 リンド・ロッド】の石小像が置かれている。

 【風の神 リンド・ロッド】は、風と旅を司る、情報と自由と運命の神様である。爽やかな青年の姿をし、右手に手紙を持ち、左手で緑の帽子を押さえている。風に乗って旅をして手紙と情報を届けに行く。彼が帽子を手で押さえているのは、運命を風に左右されず、自らの意志で決めることを表している。


 新聞記者を生業とするフェルジナンド家では、もっとも信仰すべき神様であり、毎朝ジーンは暖炉に置かれた石小像へ、家族の無事を願っていた。風神のモチーフカラーである緑色の家具や家財を多く置き、アーサーの付けているエメラルドのピアスも、ジーンが退職金から贈ってくれたものだった。

 そんなジーンの右隣には、夫ロジャーの写真が飾られている。彼は、息子フィリップが生まれてすぐに流行り病で亡くなった。風の神様の石像は、50年前、新聞記者になったばかりのジーンのために、夫ロジャーが贈ったものだ。



「ふふ。ジーンは良い男2人に囲まれてご満悦よ」

「あらやだ、それは良いけど、フィリップとジェシカの写真はどこ?」

「ここよー。ロジャーとアーサーの席の間に置きましょうか」

 ご近所さんは、103号室のジーンの部屋を家族同然に出入りして、必要なものを並べていく。そのキッチンでは、北区に住むジーンの従姉妹ルーミーが、朝からレーズンとクルミ入りの大麦パンを練っていた。


「アーサー、風神様の好物はどうしたの? アタシたちが買ってきましょうか〜?」

「いいえ、市場の馴染みの青果店に頼んでいますー! 12時に届く予定ですー!」

 アーサーは、庭から小石のように飛んできた問いかけに、オレンジを小型ナイフで剥きながら怒鳴って答えた。パーティーのラストに出す予定の、フェルジナンド家・特製オレンジケーキ——その材料はいまだ大量に、チャプチャプと水甕に漂っている。アーサーはため息をつき、2つのピアスを付けた左耳たぶを、爪の先でカリカリ掻いた。


絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16816927860221831759

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