6 迷える羊を救う杖

 大教室はしばしの間、生徒の詠唱が鳴り響いた。教授はコツコツと机と机の間を縫って、呪文の指導に回った。ショーンの机もちらりと見た。彼は運よく、《ノーザンクロス》を成功させて、二枚貝のごとくボタン同士を ピタリ と合わせられたとこだったので、教授は長い顎髭を触りながらニッコリ頷いた。


 教授の顔を見てショーンはホッと一息したところ、先生はそのまま親指と人差し指をクルンと回して、反転させるポーズを取った。すぐに顔が固まったショーンは、ボタンがどこかへ吹っ飛ばないよう、眼球に全神経を集中しながら、《サザンクロス》を唱えたが……成功する前に、教授はもう次の机へと移っていった。

 その後もボタンは机の上を元気に飛び交い、最後にゲオルギーのボタンが、バロメッツ教授の顎髭へ勢いよく潜り込んで──実技が終わった。



『よし、もう良いだろう。この呪文は磁場系の呪文の中で最上位のものだ。今うまくいかなくても問題はない。もう少し簡単で平易なものもある。エリ、代表的なものを挙げて』

 教授は教室の左手にいる少女、エリを名指した。彼女はショーンと同期の中で、最も優秀な生徒のひとりだ。


『はい教授。《マグネス》はいかがでしょうか。この呪文は、まず自身の体に磁極を発生させ、次に望む場所を強磁性体に変化させて磁気誘導を起こす呪文のため、比較的平易です』

 エリ・エクセルシアが、黒色のおかっぱ髪を揺らしてキリリと答えた。それのどこが平易なんだ。ショーンは物理とも不仲だった。



『そう、磁力牽引呪文 《マグネス》。自身の指を磁石に見立て、狙った箇所に磁気を発生させ、磁気誘導を可能にする呪文だ』

 教授は先ほどの棒磁石を1本だけ取りだし、垂直に立てて、自身の人差し指に見立てるジェスチャーをした。次に小さな鉄釘を取りだし、棒磁石の先へと近づけた。鉄釘の頭は棒磁石にくっつき、ユラユラと宙に揺れている。物理の力だ。


『見てごらん。棒磁石の磁気誘導により、この鉄釘は一時的な磁石となっている。これは鉄の内部に含まれる小磁石——普段は微小でバラバラなため、磁石としての力はないが——こうして強力な磁石を近づけると、磁場の力によって内部で磁極が整列し、一時的な磁石へと変化する。磁石だから他の鉄釘も……ほれ、くっつく』

 教授はポケットからもう1本、釘を取り出し、先ほどの鉄釘へと近づけた。鉄釘達は、まるで崖に落ちた仲間を助けるかのように、上下でくっつき風にゆらゆら揺れた。



『これが強磁性体と言うものだ。先ほど述べたように鉄以外もニッケル、コバルトなどがそういう性質を持っている。今、彼らは磁石に変化している』

 鉄が磁石に変化する……なんだか不思議な感覚だ。

『さて、ここまではごく一般的な物理の話だ。私のボタンを用意しよう。これは貝を削って作ったもので、反磁性体のため、この通りくっつかないが……』

 貝ボタンは棒磁石につくことはなく、教室の床にぽろりと転げ落ちたが、オーストーリー・バロメッツ教授は、間髪いれずに、呪文を唱えた。

 


【迷える羊は杖に引きつけられ道を正す。 《マグネス》】



 右手の人差し指から、スルスルと黄色い光が伸びてボタンへくっつき、ボタンは宙へと浮かび上がった。あっ…と生徒たちから感嘆の声が漏れる。程なくして、先ほどの棒磁石と鉄釘の関係のように、人差し指の先っぽにボタンがひとつ揺れていた。

『このボタンは今、強磁性体へと変化している……ほれ、磁石にも吸着する』

 右手の人差し指を、左手に持つ棒磁石へと移し変えた。一時的に磁石となった貝ボタンは、地面に落ちることなく、棒磁石にもユラユラ浮かび始める。


『これは私の好きな呪文のひとつでね』

 教授は棒磁石を左の手で持ちながら、もう一方の右手で白いチョークを掴んだ。

『マグネスとは、昔、磁石を見つけた羊飼いの名だ。彼は山で家畜の放牧中に、靴の鉄釘や杖の先端が山の石にくっつくのを発見し、磁石を発見したとされている。迷子の羊は登場せず、呪文の文章自体は作り噺であるのだが……この文言は美しい』

 白のチョークで、カツンと、黒板にマグネスの呪文が書かれた。


【 迷える羊は杖に引きつけられ道を正す。 】


 流麗たる見事な綴り字だった。

『君たちも、どうか迷える羊を救う杖となりたまえ』

 バロメッツ先生の人差し指と顎髭がゆらりと揺れる。

 ——ショーンはコンベイの大地で、ふと目を覚ました。


絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16816927859299081070

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