6 マナ視認呪文《ロストラッペ》
「アントン! いるか、アントン!!」
向かったのは役場職員の男子寮だ。役所のすぐ裏手、公営庭園の隣の南西にある。
(ちなみに女子寮もあるが、男子禁制なので、マドカは嫌がって下宿暮らしだ)
「アントン起きろッ、起きて開けろ!」
事件の疲労で深い眠りについていたアントンは、10数回目のショーンのノックで、ようやく起きてドアを開けた。
「うるさあい! いま何時だと思ってるんだ、昼の10時だぞお!」
「シッ、黙れ!」
ショーンは、スルリと彼の部屋(ショーンの部屋よりさらに汚い)に入り、近くに誰もいないことを確認し……念のためぎゅっと唇をすぼませた。
「アントン、病院の書斎に入りたい」
「はあ、病院? じゃあ父さんに頼めよ」
アントンは寝ぼけ眼でボリボリと腹を掻いていた。
「違う。ヴィクトル先生が寝てらっしゃるうちに入りたい。怪しまれないように」
「……え?」
「行けるか?」
アントンは、冷や水をかけられたように、静かに目を丸くした。
小1時間後、ショーンとアントンは病院を訪れた。
アントンは忘れ物をしたと、受付から書斎の鍵を貸してもらった。
鍵を開けた書斎は、つい2日前に訪れた時と何も変わっておらず、しんとした空気が流れていた。
医学書でひしめき合う中、目当ての本——
【
普段から本の存在は知っていたが……まるで10年越しに対峙するようだった。
ショーンは背表紙の上に指を置き……ゴスッと鈍い音を立てて、魔術書を本棚から抜き出した。
アントンは事情をほとんど理解していなかったが、それでもドアの近くで、誰か人が来ないか見張ってくれた。
ショーンは、恐る恐る古びた本のページをめくった。本の角はすべて擦り切れて、アルバでない者には不必要なほど、使い込まれた形跡がある。
「うわ、あ、あ……っ!」
《単純物体移動》
その項目には、ショーンが見慣れた字体のメモが、青インクで所狭しと書き記され、多くの線と、数字と、簡単な鍵のような図が、ページの余白に小さくビッシリと書かれていた。
「────うわぁああァァああっ!!」
ショーンは、腰を抜かして本棚の前に倒れてしまった。ショックで過呼吸になり、肩の力がずるずる抜ける。アントンが寄ってきて腰を起こした。
「アッ……あ、ああああ、ああっ………!」
「落ち着けよ、ショーン」
「なんで落ち着いてられるんだ! この本見ろよ、おまえは……おまえは息子なんだぞ……!!」
「いいから落ち着け、おまえはアルバ様だろ」
アントンは大きな腕でショーンの肩をバシッと叩いた。
だがショーンの動悸は止まらない。
「なんで…! なんでぇっ……!!」
緊張で声がかすれ、声がどんどん小さくなった。アントンは冷静に、ショーンが捨てた本を手にとり、じっくりと書き込みを見つめている。
「………ふーっ」
「アントン……おまえ…」
「いいか、ショーン。これは父ちゃんの字じゃない」
アントンは右手で本を持ち、左手でショーンの肩を支えながら、そう言った。
「えっ……」
「父ちゃんはこんな字じゃない。もっと、もっと……エレガントな字だ」
エレガント。
いつもなら笑って吹き出しているところだが、腰の抜けたショーンには、何のリアクションも取れなかった。
——ヴィクトルの字ではない?
「僕は…でも……この字を知ってる」
小さい頃、この字をよく見かけた。小さい丸やかな文字の流れを、ショーンは確かに見覚えがあった。
「ボクも知ってる。これは…………ユビキタス先生の字だ」
緑の電流が落ちる感覚を得た。
遠い子供の頃の記憶。
黒板にチョークで綴りが描かれる。
『 Ubiquitous (ユビキタス)』
初めての授業で教わった。
子供にとっては難しい綴りだ。
みんなで一生懸命、その字を真似て、書きとった。
ユビキタス先生は教室を周り、ひとりひとり褒めてくれた。
子供の頃ずっと見ていた。黒板の──あの字。
「ショーン? 大丈夫か、ショー……」
彼はすくっと静かに立ち上がった。アルバらしく。屹然と。
病院の書斎から学校を見る。校舎は普段と何も変わらず、子供が中で勉強していた。教壇に立っているには、新任のリリア先生のようだった。1階には大教室、2階は校長室と特別教室。いずれも格子状の窓が嵌まっている。町長室の窓の鍵と、確か同じ形状をしていた。
ショーンは窓辺に立ち、静かに呪文を唱えた。
空中に残留したマナを見る呪文。
【宙に残るマナは馬の通った
マナの跡が、ゆっくりとショーンの【真鍮眼鏡】に浮かび上がる。
学校中の……特に……校長室の窓鍵に、数日が経過したと思われる、消えかけの残留したマナがあった。
絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16816700427071644878
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