6 馬車に乗る、帰宅する

 長い月日を経て再会したような気がした。

 朝、一緒に役場へ連れて来られたときから、まだ1日も経ってないのに。

「ここに用事か? 夕方帰ったって聞いたけど、警察に伝えることでもあるのか」

「えっ、ううん! 大丈夫……」

「大丈夫そうな顔してないぞ」

「や、だ、だって………ほら非常事態だし」

「まぁ、そうか」

 何となくふたりとも俯き、その場に佇んでいた。優しい風が頬に当たる。

 玄関で待ち構えていた新聞記者が、ショーンの方へ向かって来たが、話を聞く前に州警官らにホールドされて、どこか遠くへ連れて行かれてしまった。


 しばらくして南から馬車がポクポクとやってきた。静かに夜の役場の前で止まる。

「警察が用意してくれたんだ。紅葉も乗ってく?」

「うん……馬車なんて何年ぶりだろう、凄いね」

 ショーンらを馬車に乗せた警官たちは、軽く会釈し、役場へと帰っていった。

「お客さん、どこへ?」

「酒場ラタ・タッタ。北大通りの西端のとこ」

「あいよ」

 席の後ろに立つ御者へ道を告げ、馬車は滑るように出発した。



 軽量馬車キャブリオレ。

 屋根がなく、幌も畳まれた座席からは、市街地の様子がよく見える。そのぶん夜風が強く当たり、歩くよりも肌寒い。だが、タカタカと道を走る蹄の足音は温かく、馬の鼓動が聞こえるようだ。

「ギャリバーよりずっと高いね、いい眺め……」

 紅葉がうっとりしていると、隣の席のショーンが急にもぞもぞと動きだし、自分のターバンを外しはじめた。

「ど、どうしたの?」

「今日、角花飾り忘れてたろ」

 ショーンは自分の取り外したターバンを、両手でグルグル巻きにして、紅葉の頭に軽く乗せた。羊角用の大きなターバンは、紅葉の角までスッポリ包んで覆い隠す。

「わ、いいよ、いいよ。すぐ着くし……」

「いいんだよ。馬車だとタダでさえ目立つんだから」

「……ん、んん……っ」


 困惑した紅葉は、慣れないターバンに手を掛けた。布の重みと熱を頭に感じる。急な出来事に恥ずかしくて眉を寄せてると、それを不満と受け取ったのか、ショーンがプンスカ怒りはじめた。

「何だよ! 乗せるだけでいいだろ。隠すだけなんだから」

「え……ええっ?」

「それともちゃんと巻こうか?」

 違う、そうじゃない。紅葉はブンブンと顔を横に振り、今度はターバンを両手でギュッと、自分の頭に押し付けた。

「ああっ、そんな押し付けて破るなよっ」

「これくらいじゃ破れないよ!」

「一番良いやつだからな、それ! 汚すなよ!」

 せっかく良い馬車だったのに、ギャアギャア喧嘩しながら帰宅した。





 時刻は深夜11時ちょっと過ぎ。

 酒場はまだ開いていたが、2人は裏手にある下宿の玄関へまっすぐ帰った。下宿ラタ・タッタのキッチンは、いつもよりシンとした空気が漂っている。

「はぁ〜っ、僕は明日もまたきっと役場だ」

「えっ、まだ行くの?」

「州警が協力してくれってさ」

 ショーンがダルそうに右肩を揉んだ。

 肩掛け鞄のサッチェルがいつもより重そうだった。

 彼は早々と着替えを用意し、シャワー室へ飛びこんだ。その間、紅葉はヤカンを沸かしてお茶を淹れる事にした。疲れの取れる白胡麻茶だ。


 シュンシュンとお湯が沸くまでボーッと座っていると、どうしても新聞社での会話が思い起こされる。

『——アルバの力を見るために、事件が起こされたと思ってる』

 ゾクッと背中にまた悪寒が走った。アーサーの言うのが本当なら、ショーンの身の安全はどうなるんだろう。傍にいた方がいいんだろうか。砂時計のシールに書かれた「start!」の字が、あまりにも爽やかで不吉だった。

 紅葉は次のシャワーを頑として断り、部屋に帰ろうとするショーンを、無理やりキッチンに留まらせて話を聞いた。



「——ねえ、町長の尻尾ってどうなった?」

「どうなったって、警察署にあるよ」

「……呪文を使って何かした?」

「いいや、立ち会っただけ」

「治せるの?」

「なおすっても本人がいないんじゃなあ……ファああぁ」

 眠たそうに目を閉じて白胡麻茶を啜るショーンを、紅葉はむりやり起こし、今日は何があったのか矢継ぎ早に質問した。


 紅葉は、ユビキタスが拘束されたと知ると、胸を押さえて叫び、町長室の窓に呪文が使われたと知ると、脇を抱えて考え込んだ。

 途中で酒場から帰宅したオッズとロータスが、順にシャワーを浴びて自室へ去っていっても、2人の話はまだ続いた。

 新聞記者アーサーの推理のくだりで、ショーンの眠たげな目が丸々と開き、くだんの推察を伝えたところ、面倒臭そうに深く唸った。

「アルバの力を見るため? なんだそりゃ……」

「……心当たりは」

「ない、ないよ!!」

 ついに限界の訪れたショーンはキッチンテーブルに突っ伏した。

「わけの分からないことが多すぎる……」

「……うん」

 疲れきったショーンは『明日になったらまた考える』と言い残し、トボトボと2階へ上がっていった。



 紅葉も湯呑みを片付け、着替えを持ってシャワー室に入った。

 洗面台の鏡を見て、ショーンのターバンをずっと乗せたままだったのを今さら気づいた。彼女はゆっくりとそれを外し……彼の一番お気に入りのターバンを、シャワー室でギュッと握って座りこんだ。

『オレは事件の解決を目指してる!』

 新聞記者アーサーが、揺るぎない意志でそう言った。

 紅葉は、ターナー夫妻も、ショーン・ターナーも、大事な大切な存在だ。

 もし一連の事件が、彼らと関係しているというのなら……


「私が、事件を解決しなきゃならない……!」


 紅葉が意識を覚まして10年目。

 彼女がこれほど強い意志を持ったのは初めてだった。

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