15-10 そして日曜日に
気付いたら兄さんの部屋に戻っていた。
「あー、今回全然駄目だった」
テーブルを挟んだ向かいで、兄さんが後頭部を掻き回してそんな声を上げた。そんな兄さんの姿を眺めて瞬きをして、それからテーブルの上に広がったボードや駒やカードを眺める。
目の前にはコンベアタイルが並んだ工場のボード。辺りにはカラフルなチョコレートの駒が散らばっていた。わたしの倉庫には、赤い『ナッツチョコ』の駒と黄色い『キャラメルチョコ』の駒が残っている。それから、最後に使えなかった『カカオ豆』の駒。石炭庫には『石炭』のチップも。
そうやっているうちに、ようやく、気持ちもボードゲームの世界から戻ってきた気がする。息を吐いて、体の力が抜ける。
「わたし、負けちゃったんだ」
「すごかった、ぎりぎりで……あー……」
ぼんやりと呟いたわたしの声に、
「勝てたのめちゃくちゃ嬉しい」
わたしはまだぼんやりしたまま、膝を抱えて丸くなっている
目が合うと、
「
でもいつもとちょっと違って見えるのは、ボードゲームの余韻でぼんやりしているせいかもしれない。それとも、勝利の高揚感でふわふわしているのかも。
その笑顔にわたしはなんだかいつも通りでいられなくて、何も言えなくなって、どうしたら良いかわからなくなって、
それでもう一度目が合って、
みんなで「ありがとうございました」と挨拶をして、片付けを始める。
デパートの注文カードの上に置かれたプレイヤーカラーの駒を片付けながら、兄さんが溜息をついた。
「あれだな、水曜日だ。あのタイミングで『工場装置』を優先して『チャンクバー』作れるようにしとくべきだったんだよ」
兄さんのぼやきに、
「俺はあの時『チャンクバー』作れるようになってだいぶ楽になったから、確かにあれかもですね」
「俺の工場の装置が『フィンガーバー』使うやつだったから、『チャンクバー』だと噛み合わないって思ったんだよな。それに『従業員』の中に『取締役』があったから、それをカドさんに渡すのはまずいって思ったし……いやでも考えたら『チャンクバー』の方がやばかった」
「じゃあ、俺が点伸ばせたのはいかさんのその選択のおかげですね」
兄さんの手が、デパートの注文カードを集めてまとめる。
わたしは『カカオ豆』の駒を拾い集めて小さなジップ付きの袋に入れながら、二人の会話を聞いていた。負けてしまった、と思いながら。
「あとは
突然にわたしの名前が出てきて、わたしは手を止めて瞬きをする。
「え、わたし?」
「
兄さんのその
そうじゃなかったら、やっぱりわたしは勝てなかったのかも。そう思って言葉を返せないでいたら、わたしの隣で
「そうですよね、
「それでどうしてカドさんがドヤ顔なんですか」
「え、いや、別に……そういうつもりじゃ……」
身を乗り出していた
「
「それはわからないけど……でも、工場でチョコレートがたくさん生産できるのも、注文を履行するのも楽しかったよ」
わたしの言葉に、
「いかさんの言う通りかも。工場の稼働は競争の要素がないし邪魔されたりもないから、それが
そう言って、
最初に『工場装置』や『従業員』を選ぶのは、
路面店の注文もそうだ。デパートの注文は競争で大変だけど、路面店の注文は自分だけ。早い者勝ちみたいなこともない。わたしがそのチョコレートを用意できたかどうかだけ。
「そうかも。工場の稼働の間は、あんまり焦らないで考えることができた気がする。いつもはもっと、どうして良いかわからなくてすごく悩むんだけど」
「
「それは……でも結局、
「負けたったって、同点だし実質勝ったようなものだろ」
兄さんの呆れたような声に、わたしは唇を尖らせる。
「でも、負けは負けだよね」
わたしと兄さんの言い合いの何が面白かったのか、
「それでも
「あれは……あの『工場装置』が楽しかったから。チョコレートがたくさんになって」
「ああ、あれの使い方上手かったよね。あれ選ぶのも
角くんの口振りは、相変わらず本当に楽しそうだ。わたしを褒めているというより、本当に本気で楽しかったって思ったことをそのまま言っているんだとは思う。
でも、わたしらしいってどういうことなんだろうか。角くんの中のわたしはどんなことになってるんだろう。
何を返せば良いのかわからなくなって黙ってしまったけど、角くんはいつも通り機嫌の良さそうな顔のままだ。
兄さんが溜息をついて、ぼやくような声を出した。
「路面店の引きも良かったよな、
「まあ、負けた時は引きと巡り合わせが悪かったせいにした方が気が楽ですよね。勝ちは実力ですけど」
「カドさんやたら勝ち誇るじゃないですか」
「今日は実際俺が勝ってるので」
「負けは運だからな」
わたしは
「まあでも、結局デパートではいかさんに勝てなかったですから、俺」
「そう言われても、デパートの勝ちにこだわり過ぎたのも敗因の一つだからな」
「でも、今回は
「え、わたしの話?」
突然名前を呼ばれて、手を止めてしまった。兄さんは軽く頷いた。
「デパートでの競争が三人だったら、また展開が変わってただろうって話。五箇所のボーナスが難しくなったり、デパートでの
「そうですね。そうなってたら『従業員』と『工場装置』の選択ももうちょっと違っていただろうし」
二人のやりとりを聞いて、わたしはデパートの注文を全然気にしてなかったな、と思い出した。今更だけど。
「わたしもデパートの注文を履行した方が良かったのかな。でも、
「今回はデパートなしで点伸ばしてるんだから、それで良かったってことだろ」
兄さんが石炭チップを集めながらそう言った。
「まあでも、デパートの注文も楽しいよ。次があれば、ちょっと挑戦してみても良いんじゃないかな」
「わたしは……うまくできるかはわからないけど、でも確かに、二人とも楽しそうだったもんね」
そう言って
あちこちに散らばった『キャラメルチョコ』の黄色い駒を摘み上げて、ふと、わたしは
わたしは
負けて悔しい気持ちも確かにある。でも、それ以上に楽しかった。こうやって角くんと兄さんの会話に自分が混ざっているのも、嬉しかった。
やりきった気分で、『キャラメルチョコ』の駒を袋に入れる。
「あ、こっちにもまだあるよ、キャラメル」
あの時も、こんな感じで角くんの指がチョコレートを摘み上げて、それで──。
きっと
「……チョコレートじゃない、からね」
「わ、わかってる。さすがに駒は食べないから」
角くんはひょっとして、わたしがボードゲームの駒をうっかり食べるほどに食い意地が張ってると思っているんだろうか。いやでも、実際に目の前にきたチョコレートは食べちゃったし、それも角くんの指ごと──また思い出してしまって、わたしは俯いてしまう。
「
言われて、わたしは慌てて空いている方の手のひらを差し出す。
手のひらに触れた指先の、一瞬の感触。
わたしは慌てて手を引っ込めて、持っていた袋にその駒をしまう。顔が上げられなくなってしまった。
テーブルの向こうで、兄さんの呆れたような声がする。
「お前ら、なんの儀式だよそれ」
わたしは慌てて顔を上げて兄さんを睨む。
「兄さんには関係ない」
「別に何もないですから」
わたしの声に
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