15-8 『金曜日』は恥ずかしくて
「俺が最終的にデパートで七十……八十ポンドくらい稼げるとして」
「俺は今、路面店で十四ポンド売り上げてる。残っている注文を見ると、大型店の注文を全部履行できれば、三十四ポンドで合計四十八ポンドだね。デパートの注文もあるし路面店の注文がどこまでいけるかはわからないけど……まあ最終的に五十ポンド超えるくらい、は売り上げたい、とは思ってる」
そう説明する顔を見上げて、そうか、と思う。
「そうすると、デパートと路面店で合わせて百三十ポンド。ちょっと大きめに見積もってるけどね。
「百三十……」
「ただ、路面店の注文を一番たくさん履行した人には、十二ポンドのボーナスがある。このボーナスはどう考えても
今のわたしの売り上げは四十五ポンドだから、あと七十ポンド以上を売り上げないといけないってことだ。
可能なんだろうか、と不安で俯きかけたわたしの顔の前で、
「
「それって、土曜日に四十五ポンド売り上げが必要ってこと?」
「そう、あと四十五ポンドあれば良いってだけだよ。大型店の注文はもらえるお金も多くて、俺のとかもそうだけど、全部履行できれば四十ポンドくらいになる注文もあるんだ。あとは、小型店か中型店の注文で五ポンド売り上げたら、もう四十五ポンドだ」
それはわたしの四日間の売り上げと同じ額。それを土曜の一日だけで売り上げるってことだ。それを
本当にできるんだろうか、無理じゃないだろうか。
「注文の引きもあるから絶対にとは言えないけど、でも
「……本当に?」
そっと見上げると、
「本当に。俺がデパートの注文を頑張るのはいかさんに勝つためだけど、路面店の注文で五十ポンド目指してるのは
「俺だって大須さんに勝ちたいし、勝つつもりってこと」
それから
「割れて売り物にならないやつ。ちょっともらったんだ。
そう言いながら、
何が出てくるんだろうと
その瞬間は、何も考えていなかったのだ、本当に。後から思えば、どうして、と自分でも思うのだけれど。
自分が何をしたのか気付いた時には、唇に触れた指先がびくりと引っ込められた後だった。ばさばさと音がして、
わたしの口の中には甘いチョコレートの欠片が残されていた。
「ご、ごめん、その、手に乗っけるつもりだったんだけど……」
そんなことを言いながら、
その指先の感触がまだ残っている気がして、わたしも口元を手で覆う。
「わたしこそごめん、その、目の前に出てきたから、思わず……何も考えてなくて……」
「いや、俺の方が……ごめん、その、ちゃんと手を出してって言えば良かった……」
言葉を発するたびに、口の中のチョコレートが甘く溶けてゆく。甘さが舌に絡みついて、わたしはもう何も言えなくなってしまった。
ボードゲームの世界の中で、時間の感覚がよくわからない。その後、
金曜日、紅茶と一緒に出てきたのは、青い六角形のギフトボックスだった。色とりどりに飾られたチョコレートの粒が、箱の中に上品に並んで収まっている。
美味しそうと思う前に
相変わらず
新しい装置は、すごい。上級チョコレート二箱で、全部の上級チョコレートが一箱ずつ生産できる。つまり『チャンクバー』『フィンガーバー』『キャラメルチョコ』『ナッツチョコ』『ギフトボックス』が一箱ずつ、全部で五箱だ。『石炭』は四箱必要だけど、その分チョコレートの数も増える。
注文をたくさん履行するためにはチョコレートの数が必要。だから、数が増えるこの装置は、きっと良いはず。
それをどこに設置するかは少し悩んで、最初からあった『加工』の装置を上書きしてしまうことにした。上書きして『加工』ができなくなるのは少し不安だけど、『加工』だけだとチョコレートの数が増えないから、もう必要ないんじゃないかって気がした。
工場の端っこ──四マス目に置いてしまうと、せっかくの装置が使えない。だから、これで良いはず。
それから、今回わたしが雇うことになった『従業員』は『ソルターズ・エンポリアム』の『路面店エージェント』。路面店の注文一回で、注文のチョコレートとは違う上級チョコレートを納品できる。水曜日に雇ったのと同じ能力だ。
わたしの後に、兄さんが、それから
一口で含むには少し大きいそれを、半分かじる。唇に触れる自分の指先を
ギフトボックスのチョコレートは柔らかな口溶けの上品な甘さで──でも昨日の夕方のチョコレートの方が、ずっと甘かった。どうしよう、もう工場に行ってしまいたい。
「
「大丈夫。なんでもない」
それだけ言って、わたしは半分残ったチョコレートを口に放り込んで立ち上がる。自分の書類をまとめて胸の前に抱える。
「もう工場に行くね」
そう言い残して、工場に向かう。
工場で、働く人たちを見ていたら、気持ちは少し落ち着いてきた。あるいは、
工場の入り口で、見取り図と路面店からの注文状況を広げて、今日生産するチョコレートのことを考える。そう、わたしは今から仕事をしないといけない。わたしの仕事は、チョコレートの生産だ。
小型店の新しい注文は『キャラメルチョコ』と『ナッツチョコ』。中型店と大型店の残りの注文は『ナッツチョコ』三箱と『フィンガーバー』三箱。『路面店エージェント』の能力で、この中のどれか一つは、別の組み合わせで納品することができる。
倉庫には『フィンガーバー』が一箱残っている。使える『石炭』は九箱。
新しい『カカオ豆』を『フィンガーバー』二箱にして、それを新しい装置で上級チョコレート五箱に変換したとする。必要な『石炭』はそれで七箱だから、ここまでで残りの『石炭』は二箱になる。
工場の端まで流れていった『カカオ豆』を『変換』したいと思ったけど『石炭』が足りない。もう一つの『カカオ豆』を『石炭』に交換したとしても三箱。今回は『カカオ豆』を『変換』するのは無理かもしれない。
わたしは路面店からの注文のリストを眺める。どれか諦めるとしたら、手に入るお金が一番少ない小型店だ。だとすれば、わたしは『ナッツチョコ』か『フィンガーバー』三箱、それとなんでも良いから上級チョコレートを三箱用意できれば良い。
それならできるだろうか。『フィンガーバー』は倉庫に一箱ある。だから後二箱あれば良い。でも、最初に『ココア』を『フィンガーバー』二箱に『変換』しても、それは二箱とも次の装置の材料になってしまう。この装置では、チョコレートの数は増えるけどその中に『フィンガーバー』は一箱だけだ。
最初に『変換』した『フィンガーバー』を一箱残しておけたら──そのためにはもう一箱チョコレートがあれば良いのに──そこまで考えて、『チャンクバー』一箱を『キャラメルチョコ』二箱に『変換』できることを思い出した。
できる。わたしは顔を上げて、工場の稼働を開始した。コンベアが動き始める。
最初の『カカオ豆』を『ココア』に、その『ココア』は『チャンクバー』と『フィンガーバー』一箱ずつに。
昨日の『カカオ豆』は『出荷』して、そのまま『石炭』と交換してもらう。これで『石炭』は差し引きで残り七箱。
次の『シフト』で、さっきの『チャンクバー』を『キャラメルチョコ』二箱に『変換』。そして、その『キャラメルチョコ』二箱を使って上級チョコレートを一箱ずつに『変換』。
もう一つあった昨日の『カカオ豆』をまた『石炭』に。『石炭』を五箱使って一箱増えたから、残りは三箱。
そして最後の『シフト』。新しく生産したチョコレートを全部『出荷』する。そして土曜日のために、新しい『カカオ豆』を『ココア』に、そして『チャンクバー』二箱に『変換』した。
これで、金曜日の稼働はおしまいだ。『石炭』の残りももうない。
倉庫の中でチョコレートの箱を確認する。『フィンガーバー』三箱は大型店の注文に。中型店の注文は『路面店エージェント』に任せる。納品するのは『チャンクバー』と『キャラメルチョコ』と『ギフトボックス』。『ナッツチョコ』一箱は倉庫に残す。
これで今日は二十二ポンドの売り上げだ。
全部思った通りにはできなかったし、売り上げも思ったよりも伸びなかった。でもこれが今日できる精一杯だった。
今の売り上げは六十七ポンド。土曜日一日で五十ポンド売り上げないといけない。
できるだろうかという気持ちもまだあるけど、なんだかできるような気もしていた。
だって、
だからわたしも、
でも、こうやってお互いに勝とうとすることが、一緒に遊ぶってことなのかもしれない。
そう考えて、ふと、
そんなことしたら思い出すに決まっているのに。
工場の稼働は終わって、賑やかだった装置も今は静かだ。でも、工場の中はまだチョコレートの香りでいっぱいだった。
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