11-16 アルマナック
気付けば、兄さんの部屋だった。息継ぎをするように、息を吐き出す。
目の前のローテーブルには、ゲームボードの本が開かれていた。『ドラゴンの都』の『中庭広場』のページで、ページ上に人の形をした赤と黒と青の駒が置かれている。
わたしの目の前には、種類ごとにまとめられた金貨と、たくさん並んだ隊商カード、三枚の契約カードと盾の形の護衛トークンが二つ、丸い方位磁石のようなガイドトークン、それから赤いドラゴンの像が描かれた四角いトークンが並んでいる。
隊商カードには商品はもう乗っていないけど『古の武器』が二つ乗っていた。
隣には角くんが座っているし、ローテーブルを挟んだ向かいには兄さんが座っている。そして、ちょっと向こうを向けば、ボードゲームがたくさん並んで積まれた棚。
帰ってきたと思ったら、なんだか脱力してしまった。自分の目の前にある五十金貨にそっと触れる。まるで、それが本物の金貨みたいに、そっと。
もちろんそれは、ボードゲームの箱の中に入っていたもので、厚紙でできている。しっかりはしているけど、重くはないし、触ると紙の感触がする。
隣で同じようにぼんやりしていた角くんが、ようやく戻ってきたみたいに瞬きをして、溜息をついた。
「悔しいな」
兄さんが、さっきみたいに『ドラゴンの都の鍵』を持ち上げて、それを眺めた。ボードゲームの『ドラゴンの都の鍵』は、大きな鍵の形をしていた。背中の、さっき宝石が付いていたところに大きく『10』と書いてある。手に入る名声の数を表しているらしい。
「カドさん、頑張ってたじゃないですか」
「いや、でも、ミスばっかりだったなと思って。最後の露滴葉もそうだけど、『魔術師の虚ろ』でももうちょっとうまく立ち回れたなと思うし、『天空門』も割と後手に回ってた気がするし。いやでも、そもそもが『坑道』のあれだよな。それ以前に『書簡』にこだわらないでスタートプレイヤー取りにいかない方が良かったのかも。いやでも、でも、スタートプレイヤー強いんだよな、それで十二
角くんはまるで何かに言い訳するように喋り続ける。兄さんは真面目な顔付きになって、それを遮った。
「カドさんのプレイ、ちゃんと上手かったと思いますよ。名声で勝ってたってのは、そういうことでしょ」
兄さんの言葉に角くんは何も言わずに目を伏せた。でも俯いたその口元が緩んでいることに気付いてしまった。角くんはもしかして、褒められて喜んでいるのかもしれない。
兄さんは真面目な顔のまま、『ドラゴンの都の鍵』をテーブルに戻して、それからゲームボード上の『大市場』を指差した。人の形の駒が並んでいる。
「初手で露滴葉を売っていれば八個で四十八
「それは……そうですよね。自分でもなんで炎胡椒を売っちゃったのか……いろいろ考えてるうちに焦って組み立ててたアクション飛ばしちゃって」
「まあ、考えが先走っちゃってプレミはあるあるですけどね」
角くんがまた大きく溜息をついた。角くんの言葉を聞いて何か考えていた兄さんが、不意にわたしの方を見る。目が合って、何か言われるかと思ったけど、そのまま何事もなかったかのようにまた角くんの方を見た。
「カドさんは瑠々のフォローもやってたから。それで混乱したんじゃないですか」
兄さんの言葉に、わたしは慌てて隣の角くんを見上げた。角くんも慌てたように、わたしを見る。
「わたしのせい?」
「大須さんのせいじゃないからね」
その言葉はほとんど同時だった。そしてなぜか、兄さんが溜息をつく。角くんは焦ったような早口で、そのまま言葉を続けた。
「いや、ほんと、俺が勝手にミスっただけだし、大須さんのせいじゃないから」
「でも……」
角くんがさらに何か言おうとするのを遮って、兄さんがまた言葉を挟む。
「それにカドさん、ずっと長考どころか、自分の手番で思考時間取らなかったですよね。最初に『長考しない』って言ったの、守ってるの律儀だなとは思うけど」
兄さんの言葉に、角くんの頬がさっと赤くなる。
「いや、だってあれは。勢いで言っちゃったことだけど……言ったからには、と思って……」
「それでも、もうちょっと時間とっても良かったのに」
角くんの視線がわたしの方に向けられる。一瞬、目が合ったかと思ったらすぐに逸らされて、角くんはそのまま俯いてしまった。
「ひょっとして、それもわたしのせい?」
そっと聞けば、角くんは飛び跳ねるような勢いで顔を上げて、わたしを見た。
「違う! 大須さんのせいじゃないから、本当に。あれも俺が勝手に言っただけだし」
「そうじゃないとしても、角くんにいろいろ教えてもらったのは確かだし。……大変だったよね、きっと」
「いや、それも気にしないで。大変だったとは思ってないし、むしろ、もっとフォローできたら良かったって思ってて」
角くんが気まずそうに顔を伏せて、そのまま目を合わせてくれなくなったので、わたしは下からその顔を覗き込む。
「その……難しかったし疲れたし大変だったし怖いこともあったけど、楽しかったよ。角くんが一緒にいてくれたおかげだと思う」
角くんの顔はまだ赤くなったままだった。そのままわたしを見下ろして、口を開いたり閉じたりしてたけど、何も言わないままだったので、わたしは言葉を続ける。
「ずっと、わたしのこと気にしててくれたよね。飛空魚のときだって……あの、びっくりしちゃったから、どうして良いかわからなくなってたんだけど……ありがとう」
「あれは……でも、だけど……あのときは……」
角くんは小さな声でまとまらない言葉を呟いて、やっぱり視線を逸らしてしまった。
最初は大変なゲームだと思ってた。ルールは多いし、考えることも多い。やることはずっと早い者勝ちの競争で、疲れるし、うまくいかないことも多かった。怖いこともあったし。
でも、少しずつ何をしたら良いかがわかってきて、一つの取引が次の取引に繋がって、それがさらに別の取引になって──そんな連鎖が見えたときは、なんだか自分がすごいことをしている気分にだってなれた。隊商が大きくなってお金が増えるのだって楽しかった。
それに、旅の景色も面白かった。不思議な場所で、不思議なものや綺麗なものをたくさん見た。それはやっぱり、角くんがずっとわたしを気にかけてくれていたからだと思うし、角くんが隣で楽しそうにしていたからだとも思う。
だからわたしは、視線を合わせてくれない角くんを見上げて、もう一度言った。
「角くんのおかげで楽しかったよ。ありがとう」
角くんはやっぱり視線を逸らしたまま、それでも口を開いてくれた。
「俺は……俺も、とても楽しかった、です」
小さな声だったけど確かに聞こえて、わたしは笑ってしまった。角くんはずっと楽しそうに見えてはいたけど、それでもこうやって言葉で聞くのは嬉しい。角くんがいつもわたしに「楽しかった?」って聞いてくる気持ちが、少しわかった気がした。
テーブルの向こうで、なぜか兄さんが大きな溜息をついた。
「お前らほんとめんどくせえ」
みんなで改めて「ありがとうございました」と頭を下げて、それで目の前のあれこれを小袋に入れて片付ける。箱の中には今回使わなかった小さなチップが他にもたくさんあった。それから、少し大きめのラクダのタイルなんかも。
そういうものを見ていると、今回辿ったのとは別のルートも見てみたかったな、なんて思う。
もしも、もう一度このゲームを遊ぶとしたら、今度は海の方に行ってみたい。海の中に街があって、そこには人魚のような人たちが暮らしているって、角くんが言っていた。それを見てみたい。
そしたら次はもう少しうまく遊べるだろうか。そんなことを考えて、大きな五十金貨を持ち上げてそれを眺める。それは丁度、兄さんとの点数差だ。
「どうかした?」
同じように、金貨を種類毎に分けていた角くんが、わたしを見て首を傾けた。
「何でこんなに点数差がついたのかなって思って」
わたしは持っていた五十金貨を角くんに渡す。角くんはそれを他の五十金貨と一緒にして、小袋に入れながら、考え込んだ。
代わりになのか、兄さんが口を開く。
「瑠々は一手一手のコスパが悪いんだよ。その辺りの差が積もり積もって、だろうな」
「コスパが悪いってどういうこと?」
金貨を入れた小袋のジップを閉じながら、今度は角くんが口を開く。
「例えばさ……大須さんは『商店』で『護衛』を雇ったよね。『護衛』は戦力は持っているけど、名声としては一点しかない。ワーカー……行動回数一回で名声一点分。でも『商店』で、例えば商品をどれか一箱手に入れたとする。その商品が次の場所で金貨五枚で売却できたとしたら、それは五点分の価値があるとも言える。その辺りは状況次第ではあるけど、『古の武器』で名声が上がっても、普通に商品一箱の方が大抵は価値が高いんだよね。だからあの時点ではもっと他に、金貨や名声に繋がるやり方があったってこと」
「そういえば、ゲーム中にも言ってたね。『護衛』は効率が悪いって」
「その分、戦力ってものがあるんだけどね。それだって『遭遇』イベントが戦力関係ないものだったりしたら、本当になんの意味もないんだよ。ただ、大須さんは今回『古の武器』で『護衛』一つが名声三点になってたし、二回の戦闘で商品を五箱手に入れてるから……結果的には悪くなかったと思うよ」
そういうものなのか、と思い返す。それでも、ドラゴンや樹木這いずりといった恐ろしいイベントのことを思い出して、今回は『護衛』の人たちがいて良かった、と思ってしまった。
「後は、タイミングだな。商品を売却するにしても、六箱を一回で売ったのか、二回で売ったのかだと価値が変わる」
兄さんの言葉の意味がわからなくて、首を傾ける。
「同じ値段で売れるなら、手に入る金貨の枚数は同じじゃないの?」
「二人のプレイヤーが同じように十点手に入れたとして、片方は二回アクションして十点、もう片方は一回のアクションで十点。この場合、一回のアクションで手に入れた十点の方が強い」
「なんで?」
「残ったもう一回のアクションで、もう一回十点手に入れば二十点だからな。行動回数が多い方が強いってのは、そういうことだ」
兄さんの言い方は、なんだか騙されているみたいな気分になる。うまく飲み込めなかったけど、これにもそんなものかと頷いた。
「まあ、その辺りはタイミングだよね」
角くんが、今度は五金貨をしまいながらそう言った。そしてすぐに、何か思い付いた顔で言葉を続ける。
「あ、タイミングで言うと、今回ほとんど俺がスタートプレイヤーで、それだと大須さんが必ず最後になっちゃって……そういうのも影響してるかもね。ラスト手番が続くの、割ときついから」
言われてみればそうだった。わたしとしては、最初でも最後でも悩むのはあまり変わらないから気にしてなかったけど──でも確かに、順番が最後で選ぶのに困ったり、先を越されてやりたいことができなかったりしたな、と思い出す。
「カドさんがスタートプレイヤーで、逆に俺はずっと二番手をキープできてて、それは楽でしたね。俺と瑠々の順番が違ってたら、多分俺はもっと必死にガイド役取りにいくことになってただろうし、そしたら展開変わってた気もしますよ」
「そうですよね、二番手ならお金減らないし。あ、てことは大須さんが『書簡』をとってスタートプレイヤーになってくれてたら良かったのか」
「誘導したらさすがに引きますよ」
「そんな! 誘導は! しないように、ずっと気を付けてて! ただ、ちょっと、そういう展開になったらどうだったのかなって思っただけで」
兄さんと角くんはそのまま、もしあのときにこうだったらとか、あのときあれをしてたらとか、そんな話を始めてしまった。
わたしにはわからない部分も多かったのだけれど、角くんが──ついでに兄さんも──楽しそうだったから、わたしは二人の会話を聞きながら片付けを続けていた。
わからない言葉に「どういうこと?」と聞けば、角くんは嫌な顔もせずに答えてくれた。兄さんも、わたしが会話を止めることをあれこれ言ったりはしなかった。
最後に、アルマナック──ゲームボードになっていた本を閉じる。赤い表紙に金の文字と模様が描かれたその本は、ゲームボードではあるけれど、わたしたちの旅の記録だ。
今は閉じられて箱の中にそっと戻るけど、次に開いたときにはまた『ドラゴン街道』の旅が始まる。
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