10-7 めでたし めでたし

 リスを追いかけて森の木漏れ日の中を進んで、急に光がいっぱいの場所に出た。

 木が生えていない、ぽっかりと広い場所。柔らかな地面と草と、それから大きな切り株のテーブルが並んでいる。

 その場所には甘酸っぱいにおいが漂っていて──切り株のテーブルの上には、たくさんのタルトが並んでいた。『イチゴとミカンのタルト』は、最初に作ったあのタルトだ。見回せば、いつ運んだのか、さっき作ったばかりの『ブドウとバナナのタルト』と『ブドウとイチゴのタルト』もあった。

 他のタルトも、わたし以外のプレイヤーが作ったタルトみたいだった。

 ここまで案内してくれた、緑のエプロンのリスがきゅうと鳴くと、周囲の草むらや木々のどこかから、たくさんのリスがやってきた。

 それから、ナイフやフォークやスプーンやお皿たち。ナイフが切り分けてお皿に取り分ける。そのお皿は、人間にとってはきっとちょうど良い大きさのケーキ皿なんだろうけど、リスたちにとっては大きいものだった。取り分けられたタルトのお皿を何匹かで運んでゆく。そして、思い思いの場所に置くと、そのまま囲んで食べ始めてしまった。


「これが、得点計算?」


 何が起こっているのかわからなくて、角くんを見上げる。角くんもぽかんとしたまま、わたしを見下ろした。


「ゲーム的にはそのはずなんだけど」

「食べてるね」

「うん、食べてるね」


 二人で顔を見合わせて、笑ってしまう。それでしばらく笑った後に、角くんがタルトを食べているリスたちを見て、考え込むような顔をした。


「わからないけど、せっかく焼いたタルトなんだから食べようって、そういうことじゃないかな」

「え、そんなことで良いの?」

「絵本みたいなゲームだし。最後はみんなで美味しいものを食べてめでたしめでたしってのも良いと思う。それにさ」


 角くんがわたしの顔を覗き込んで、にっこりと笑う。


「やっぱり作るだけじゃなくて、食べたくない?」

「それは……食べたいけど」


 それでまた、二人で笑い出してしまった。

 そうやって笑っていたら、緑のエプロンのリスがまたやってきた。右の前足を差し出して、きゅうと鳴く。わたしはその前足を握って、握手をした。

 リスと握手をするなんて不思議な気分だったけど、絵本みたいなこのゲームには似合っている気もした。

 握手が終わると、リスは走り去って──向こうの方でタルトを食べているリスたちの中に混ざってしまう。


 それから、わたしと角くんはどのタルトを食べようかと思って周囲を見回して──まるで夢から覚めるみたいに、そこでゲームは終わってしまったのだった。




 気付いたらもう、兄さんの部屋だった。隣に座っている角くんと目が合う。角くんはぽかんとわたしを見ていて、きっとわたしも同じ表情をしてる気がする。

 テーブルの上には、木のイラストが描かれたタイルが並んでいて、その木の上にはフルーツの駒が置かれている。わたしの前には赤いリスの駒が二つ。それから、タルト台の上にカラフルなフルーツの駒が積まれて──それが三つ。

 これは『ブドウとバナナのタルト』で、その隣は『ブドウとイチゴのタルト』。その駒の紫色を見ただけで、あのブドウの甘酸っぱいにおいを思い出してしまう。


「え、え……ひどい」


 思わず、声が漏れてしまった。それで角くんが吹き出して、笑いながらだったけど、頷いてくれた。


「確かに、あそこで終わりはひどい」

「そうだよね、期待したところだったのに。せめて一口食べたかった」


 わたしの言葉に、角くんはますます笑って顔を俯けてしまって、それでもその合間に「俺も食べたかった」と同意の言葉をくれた。

 そのうちに、角くんは落ち着いたみたいで、はあっと息を吐いて顔を上げた。それからわたしを見て、嬉しそうに目を細める。


「大須さんが楽しそうで良かった」

「え……それは」


 さっきまでのゲームの内容を振り返って、確かに楽しかったなと思う。森の地図にシールを貼るのも、どのフルーツを採りにいくのか悩むのも、そうやってフルーツを収穫するのも、収穫した甘酸っぱいフルーツのにおいも、注文を受けられるのかそわそわするのも、タルトを焼くのも。

 タルトを食べたい気持ちはまだちっとも収まってなかったけど。


「そうだね、楽しかった。すごく悩んだけど。それに、タルトは食べたかったけど」


 わたしの言葉に、角くんは俯いてまた笑い出してしまった。




 二人で笑いながら「ありがとうございました」とゲーム終わりの挨拶をして、散らばった駒やタイルを集めて片付ける。

 ブドウの駒を拾い上げて、その紫色を眺めた。勝ったのは嬉しいけど、どうして自分が勝てたのかと思い返しても、たまたまとしか言いようがなくて──なんとなく落ち着かない気持ちだった。


「最後にブドウの注文がなかったら、タルト三つ作れなかったよね」


 角くんはリスの駒を集めているところだった。角くんの手のひらの上で、カラフルなリスたちがころんと転がっている。


「そうだね。運が良かった」

「運が良くて勝っちゃうのって、どうなのかな」


 手の中のブドウを巾着袋に入れて、隣の角くんを見上げる。


「んー……そっか。『運が良かった』とは言ったけど、別な言い方をすれば『読みが当たった』なんだよ。このゲーム、注文の種類は決まっていて、どのフルーツも同じだけ登場するようになってるんだよね。あのときは注文がだいぶミカンとバナナに偏ってたから、確率的にはブドウの注文が入る可能性は高かった。だからそれに賭けたって考えるなら、運だけで勝ったわけじゃないよね」

「でも別に……わたしはそんなに考えてたわけじゃないし」

「木に実るフルーツも、注文も、状況はすぐ変わるよね。他のプレイヤーだって動いてるから、思う通りにはならないし。だから、ゲームの最初の時点でそんなに先のことまで考えて動くなんて限界はあるし、そういうものだと思うけど」

「そういうものか」

「そう。大須さんはそのときそのときでちゃんと考えてたと思うよ。それが今回はうまくいったってことで、良いんじゃないかな」


 角くんは、手のひらの上のリスたちを小さなジップ付きの袋に入れる。きゅう、という鳴き声が聞こえてきそうだった。

 わたしは、太陽のようなタルト生地を摘み上げる。角くんの言葉はわかるような──でもまだ頷けないでいた。

 リスの駒を片付けた角くんは、今度は木のタイルをまとめて、箱に詰める。


「大須さん、フルーツを三つ収穫できるときにはそれを選んでいて、今回はそれが良かったんだと思う。フルーツの数が足りなければ、タルトは焼けないんだから」

「それは……でも、角くんが教えてくれたから」

「大須さんが考えて選んだんだよ」


 角くんの大きい手が、テーブルの上のフルーツの駒を集め始める。そのまま、角くんは言葉を続けた。


「運要素も賭けも、ボードゲームの要素の一つなんだよね。カードの引きが良いとか、ダイス目が良いとか、リスクのある選択肢を選ぶかどうかとか。ゲームによってバランスはいろいろだし、俺も『運ゲーだこんなの』って言いたくなる時もあるけどさ。でも、それも含めて勝敗なんだから、大須さんは素直に喜んで良いと思う」


 集めたフルーツの駒を、角くんの手が掬いあげる。その手を角くんはわたしの方に向けた。


「嬉しいのは、嬉しいんだけど」

「だったらそれで良いんじゃないかな。それに、良いゲームだったと思うよ」


 持っていたタルト生地の駒を巾着袋に入れて、そっと見上げる。角くんはいつもみたいに穏やかに笑った。


「大須さんと遊べて、楽しかったよ」

「それは……わたしも、楽しかったけど」

「それは良かった」


 角くんの差し出すフルーツの駒を受け止めるために、わたしは両手で巾着袋の口を開ける。色とりどりのフルーツは木の駒がぶつかり合う軽い音と共に、角くんの手の中から、わたしが持っている巾着袋の中に収まった。




 その後、お茶を新しく用意して、角くんがお土産に持ってきてくれたアップルパイを二人で食べた。

 兄さんのところに遊びにくるのに、角くんは律儀に手土産を用意してくれていたのだ。しかも、この艶々とした網目のアップルパイは、角くんの手作りなのだという。

 パイ生地の網目の綺麗な並びに、なんだか角くんらしいなと思ってしまう。角くんの手は、ボードゲームの駒を扱うとき、いつも丁寧だ。この網目もきっと、そんなふうに作ったんだろうな。


「さっきはいか・・さんのこと待つって言ってたけど、本当に大丈夫?」

「だって食べたい。兄さんが遅いのが悪い」


 角くんの言う通り、最初は兄さんを待ってから食べるつもりだったんだけど、どうしても我慢できなくなってしまった。タルトを食べ損なったせいだ。角くんが作ってくれたアップルパイは大きいから、先に少し食べてしまっても大丈夫だと思う。

 角くんは少し不安そうな表情で切り分けてくれた。角くんは兄さんのところに遊びにきたわけだし、兄さんへのお土産だろうから、わたしが先に食べるのは良くなかったのかもしれない。でも、タルトを食べ損なったのは角くんも同じだから、その気持ちはわかってもらえてると思う、きっと。

 そして我ながら単純だと思うのだけれど、アップルパイを一口食べたらタルトを食べたい気持ちは吹き飛んでしまった。

 さっくりと膨らんだパイ生地。シナモンのかおりの甘いフィリング。噛むとじゅっと酸っぱいリンゴ。リンゴの一切れが大きくて、口の中いっぱいなのが幸せだ。

 やっぱり甘いものを食べると笑ってしまう。


「美味しい」

「良かった」


 わたしが思わず漏らしてしまった言葉に、角くんはほっとしたように笑った。けど、角くんは自分でも一口食べると、ちょっと難しい顔になってしまった。


「でも、こんなことなら、タルトにしておけば良かった」

「え、大丈夫だよ、美味しいし。わたし好きだよ、これ」

「……それなら、良いんだけど」


 角くんはちいさい声でそう言ったけど、そのまま目を伏せて、まだ何か考えているみたいだった。その横顔を見て、今のやりとりを思い返して、ふと気になって聞いてみる。


「角くんて、ひょっとしてタルトも作れるの?」


 フォークをお皿に置いて、角くんはわたしの方を見た。ちょっとためらうように視線を揺らしてから、口を開く。


「作れるっていうか……タルト台も市販のを買っちゃうからほとんど材料を乗せるだけだし、作れるうちに入れて良いのかわからないけど」

「え、それでもすごい。食べたい」


 角くんは何度か瞬きをした。


「じゃあ、次はタルトにしようかな」


 そう言って、角くんはすぐに手元のアップルパイに視線を戻してしまった。

 次っていつのつもりなんだろう。本当に作ってきてくれるつもりなんだろうか。角くんがあまりに当たり前のようにしてるものだから、聞いて良いのかどうか、楽しみと言って期待して良いのかもわからなくて、ぼんやりと角くんを見てしまった。

 角くんは何事もなかったかのように、フォークでアップルパイを切り崩し始めた。


 わたしもまたアップルパイを一口食べて、リンゴの甘酸っぱさを堪能して、唇の端に付いてしまったパイ生地の欠片かけらを指先でつまむ。そのときにふと、こうやってまた遊んでも良いかもって思っていることを自覚した。

 それはなんだか、ゲームの中で味見したカスタードクリームが甘かったとか、角くんが作ってくれたアップルパイが美味しいとか、次のタルトも楽しみとか、つまりは甘いものを食べたい気持ちと混同しているような気はするんだけど。

 ゲームの中では楽しいも美味しいも一緒だったから、それも仕方ないのかもしれない。

 わたしにとってずっと、ボードゲームは怖いものだったし、ゲームはみんな好きじゃなかった。だからこれまでは、ボードゲームを遊ぶことにどうしても積極的になれなかった。でも、怖いだけじゃないって、角くんが教えてくれた。どうやって楽しんだら良いのかってことも。

 ぼんやりとそんなことを考えながら、アップルパイをまた口に入れる。さっくりと乾いたパイ生地に包まれた甘酸っぱいリンゴのフィリングに、わたしはすぐに思考を奪われて、考え事はどこかに追いやられてしまった。






□□□□□


先日、角くん視点の短編を投稿しました。

game 10 の前日譚で、角くんが手土産に手作りアップルパイを持ってくるに至った理由のお話です。


アップルパイを焼いたら勝利点は獲得できますか

https://kakuyomu.jp/works/16816700427048505084


ボドゲは遊んでいませんが、よろしければどうぞ。

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