9-4 角くんを追いかけなくちゃ
生垣、三マスの後にまた生垣。二マスの後に今度は川。川と次の生垣の間は一マスしかない。
短い距離の中に何度も出てくる障害物に邪魔されて、どの馬もスピードが落ちる。馬同士の距離も近くなって、すぐに追いつかれて、後ろに退がることになって、障害物を跳び越え損ねることになる。
一つ目の生垣と二つ目の生垣の間で、お互いに邪魔し合うことになって、全体的に失速する。
その中で後ろから追いかけてきた蹄の音に振り向けば、角くんだった。あんなに離れていたのに。その驚きは焦りになった。
そのさらに後ろから栗毛の馬が追い上げてくる。もたもたしている間に他の馬たちにも追い越されて、でもわたしは五のカードでそれを全部追い越した。栗毛の馬と入れ替わるように、角くんの前に出る。それで栗毛の馬は失速する。
追い越すときにちらりと振り返ったら、角くんは笑っていた。
一マス先は生垣、四マス先は川、六マス先はまた生垣。さっき五のカードを使ってしまったから、選択肢は二か三。
角くんは一マス後ろだから、角くんが一を出したらもう追い越されるしかない。そうなったときに二を出してると、生垣に引っかかって進めなくなる。だから、実質選択肢はないようなもの。
三を選ぶ。もし角くんが一以外を出しても、普通に三マス進むだけだから大丈夫。
角くんより後ろには、四マスと五マス離れて月毛と栗毛が並んでいる。どのカードが残ってるのか、やっぱり覚えられてはいないけど、追い付かれるとしても四マスは必要だから、わたしが三を出せば先に動ける。大丈夫。
世界が動き出して、生垣を飛び越した。
飛べた、と思った次の瞬間に気付く。わたしの方が先に動いた、ということは、角くんはその後から追いかけてくるってことだ。
後ろから迫ってきた蹄の音が、わたしを追い越してゆく。黒い乗馬服を乗せた白毛の馬。前に入られて、わたしの馬は速度を緩めてしまう。
角くんは追い越しざま、ちらりとわたしの方を振り向いて、少しだけ目を細めた。ほんの一瞬。
さらに後ろから栗毛の馬と月毛の馬がほぼ同時に駆けてきて──気付けば最後尾になっていた。
そして、世界が止まる。
鹿毛の馬に乗った青い騎手が先頭で、どうやらもう川を飛び越えてしまっている。六マス差だ。さっきまでは先頭だったのに、と思う。
止まった世界の中で、わたしは首を振る。角くんがいれば慰めてくれたと思うけど、今は角くんの背中も見えなくなってしまった。落ち込んでる場合じゃない。
角くんだったらきっと、「これから追い付けるよ、大丈夫」って言うだろうなと思う。そう、これから追い付ける。角くんを追いかけなくちゃ。
それに、最後尾になって気付いたことがある。最後尾は後ろに馬がいないから、追い付かれる心配をしなくても良い。当たり前のことだけど、実際になってみてわかった。他の馬に邪魔される心配がないから、好きな数を選べる。
それで、さっきまでの角くんの遅れ具合を思い出した。もしかしたら角くんは、最初はわざとゆっくり走っていたのかもしれない。こうやって、後から追い付いて追い越せるように。
だったら、無理にスピードを上げる必要はないのかも。まずは障害物に気を付けて、確実に進む方が良いのかもしれない。
だから次は一のカードを選んでみた。すぐ目の前の栗毛の馬を追い越して、まだ川は見えてこない。
それで次は二のカード。栗毛の馬に追い越されて、また最後尾。だけど、川が見えてきた。
そこから、川を飛び越える。次の生垣を飛び越えた先に、角くんがいる。先頭の鹿毛の馬はさらにその先の、煉瓦塀の手前まで進んでいるみたいだった。
煉瓦塀を超えたらハードルがあって、それを越えるともうゴール。今はゆっくりでも良いけど、それまでには追い付かなくちゃいけない。
次の生垣を越えて二つ目の川の手前まで来たとき、角くんは煉瓦塀のところで、鹿毛の馬と争っていた。鹿毛の馬が越えるよりも先に、角くんの白毛の馬が煉瓦塀を飛び越える。
そこで、手札を全部使い切った。六枚の手札が戻ってくる。
川の手前から六のカードを出して、一気に距離を詰める。ハードルの手前、角くんの背中が見える。角くんの馬はどうしてか、スピードを落としていた。角くんがちらりと後ろを振り返る。
一瞬、目が合ったかと思うと、角くんはにいっと笑って、またすぐに前を向く。
このまま追い付けるかと思ったけど、横から月毛の馬が飛び出してきて、追い越されて、角くんとの間に入られてしまう。
月毛の馬を追い越せないでいる間に、角くんはそのままハードルを飛び越えた。
五のカードを選ぶ。それでハードルを飛び越えて、角くんを追い越して、そのままゴールできそうだと思っていた。でも、栗毛の馬に追い越されて前に入られてしまった。鹿毛の馬がそのさらに脇から追い越していって、角くんに続いてハードルを飛び越えて行ってしまう。
もう六も五も使ってしまった。角くんに追い付けない。それどころか、目の前の栗毛の馬だって追い越せなかった。
角くんが次に出したカードは五で、六を出した鹿毛の馬と争っていたけど、先にゴールしたのは角くんの白い馬だった。
追い付けなかった。
それだけじゃない。わたしがゴールラインを越えたのは、五頭の中で最後だった。
悔しい。その悔しさをどうして良いかわからなくて、なんだか泣きそうな気分になる。
レースが終わって、急に、歓声が聞こえるようになった。今までも歓声はあったんだろうけど、きっとレースに集中してたから聞こえてなかったんだと思う。ゴール前のコース沿いに客席があることも、今になってようやく気付いた。
ぼんやりしたまま、客席の方を振り返る。たくさんの人が座席に並んで、笑顔で歓声を上げている。ほとんどの人が立ち上がって、拍手したり、手を振り回したり、みんな楽しそうだ。
客席の向こうで、子供たちがレースごっこをしているのが見えた。馬を真似た足取りで、ころころと走り回っている。中の一人が転んで、でもたいしたことがなかったのか、すぐに起き上がってまた走り出す。
わたしは大きく息を吐いて、それから馬の体を撫でた。こうやっているととても大人しくて良い子だ。それは多分、ボードゲームの駒だからだと思うけど、でもわたしはこの子が走ってくれたことを労いたかった。
「お疲れ様」
艶のある黒い体を撫でると、暖かい。脈と息遣いまで感じられて、まるで本物の馬みたいだと思う。本物の馬をこんなに間近で見たことがないから、本当のところはわからないけど。
「走ってくれてありがとう」
わたしのこの言葉はボードゲームの駒に言ってることになるのかな、と思って、自分が木の駒に話しかけてるところを想像する。物を大事に使ったり、感謝したりすることもあるし、ぬいぐるみを撫でたりだってするんだから、ボードゲームの駒にお礼を言ったって良いはずだ。
それに、角くんはこの黒い馬を贔屓していたと言っていた。だったらもしかしたら、この子はずっと勝ちっぱなしだったんじゃないだろうか。わたしが負けさせてしまった。
「ごめんね、今日は勝てなくて」
そうやって馬に乗ったまま撫でていたら、馬の蹄の音がして、顔をあげれば白馬に乗った角くんがそこにいた。
角くんが着ている黒い乗馬服はすらりとかっこよくて、そんな姿で真っ白い馬なんかに乗ってるものだから、それでなんだか穏やかに微笑んでいるものだから、雑誌を飾るような絵とか写真とかみたいだと思ってしまった。
角くんは白い馬からさっと降りて、わたしの黒い馬のすぐ隣までやってくる。それで、わたしを見上げて、手袋をした手を差し伸べてきた。
「大須さんも、お疲れ様」
角くんの手を取って、馬から降りる。乗るときにそうだったように、降りようと腰を浮かせたら、わたしの足はもう地面についていた。
すぐ目の前、鼻がぶつかりそうな位置に白いネクタイがあって、びくりと、重なったままの手が強く握られた。お互い手袋をしているのに、その感触の向こうから体温が伝わってしまいそうだった。
見上げればほとんど真上、角くんのびっくりしたような顔。近い、と気付いたけど咄嗟に動けなくて固まってしまったまま──それで、ゲームは終わったみたいだった。
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