5-3 「シチフクジンメグリ」のはじまり

「納経所があるみたいだね。そこで写経を納めるのかな」


 手水ちょうずで手をきよめた後に、隣にあった案内板を指差してかどくんが言う。その佇まいが、なんだか普段から着物を着慣れている人みたいで、ちょっと変な気分になる。そして、自分はなんだか着物に着られているんじゃないかと不安になってくる。


「まあでも、その前に参拝しないと。まずは本堂でお参りかな」

「ゲームなのに?」

「まあ、ゲームなんだけど、でもせっかくお寺に来たわけだし、お賽銭も用意されてるし、お参りしろってことじゃないかな。ルールブックにも『御朱印のいただき方』ってコラムがあってさ、そこでも書かれてるんだよ『必ず仏さまにお参りをいたしましょう』って。お参りもせずに御朱印だけくださいなんて言うのは、きっと失礼なんだろうね」


 そう言って、角くんが歩き出す。それを追いかけて隣に並ぶ。慣れない着物で歩きにくいのだけれど、角くんはだいぶゆっくりと歩いてくれた。角くんとは身長差も大きくて元々の歩幅もだいぶ違うから、きっとかなり気遣ってくれてるんだと思う。


「なんだか、どこまでがゲームで、どこからが本当のことなのか、ちょっとよくわからなくなってきた」


 わたしの言葉に、角くんは苦笑する。


「俺も、ちょっと混乱してきたかも。今度、実際にお寺に行って、御朱印もらってみようか」

「え、写経するの?」

「写経を納めないといけないのはゲームだけで、実際のところは普通にお参りすれば大丈夫らしいけど。逆に今は、写経を受け付けてないお寺もあるって……お寺にもよるのかな。ちょっと後で調べてみる」


 角くんの言葉に、わたしは瞬きををする。もしかしてこれは、一緒に御朱印をもらいにいく話なんだろうか。それとも、単に角くんが一人で行ってみるって話?

 隣を見上げたけど、いつも通りの穏やかな表情が返ってくるばかりで、その意図はわからなかった。聞いてみようかと思ったけれど、どう尋ねたら良いかもわからないまま、もう本堂に到着してしまう。そのまま、その話は終わってしまった。




 二人で賽銭箱に五円玉を投げ入れて、手を合わせる。そうやって、きちんとお参りをしてから納経所に向かった。

 納経所では、すでに他の人の写経が納められた後だった。それぞれの写経の長さは、一人目の人が一を一枚、二人目の人は二を一枚、三人目の人は、四を一枚。


「これって、わたしがこの御朱印をもらうためには、五以上を出さないといけないってこと?」

「そう。とは言っても、大須だいすさんが最後のこのタイミングで六を出す意味はないから、四と一か、三と二を出せば、この御朱印は大須さんのもの。逆に、今回の御朱印は諦めても良いなら、一だけ出せば大丈夫」


 わたしは、ルールブックの得点表を指差す。


「『毘沙門天』て七福神でしょ。てことは、この『シチフクジンメグリ』になるのかなって思ったんだけど」


 かどくんはちらりとわたしの手元を見て、にいっと笑った。


「そうだね。ここで毘沙門天をいただいておけば、『シチフクジンメグリ』の最初の条件は満たせるから、得点の可能性は増える」

「じゃあ、三と二の写経を納めようかと思うんだけど……」


 ゲームの最初の判断はどうしても自信がなくて、角くんの表情を伺ってしまう。角くんは、いつもみたいに頷いてくれた。


「良いと思うよ」


 わたしはほっとして、三の長さの写経──『衆生しゅじょう本来ほんらいほとけなり』と書かれていた──と、二の長さの写経──『摩訶般若波羅蜜多心経まかはんにゃはらみったしんぎょう』と書かれたもの──を納経所で渡す。促されて、慌てて御朱印帳と、がま口から出した五百円玉を一緒に差し出す。

 やがて、御朱印帳が戻ってきた。開いて最初のページに、朱色の文字──そうか、これが「朱印」か、とようやく気付いた。その上に、太々とした黒い筆文字で『毘沙門天』と書かれている。わたしは手の中の御朱印を、しばしぼんやりと眺めていた。


「ありがとうございます」


 角くんの声に隣を見ると、綺麗なお辞儀をしていた。それでわたしも、慌ててお辞儀をする。


「あ、ありがとうございます」


 納経所から少し離れたところで足を止めて、改めて御朱印帳を開いて『毘沙門天』の文字を眺める。

 角くんも足を止めて、隣からわたしの手元を覗き込んでくる。


「これで、まずは一点」

「そういえば、今回使った三と二の写経は、次は使えないんだよね? いつ使えるようになるの?」

「次は駄目だけど、その次にはもう使えるようになるよ」

「使えないのは一回だけってこと?」

「そう」


 使えない期間が思ったよりも短かったので、わたしはほっとする。そして、次はどんな御朱印だろうか、はずれじゃないと良いな、と思う。


「で、こうやってお寺に行って写経を納めるのを三十六回……今一回終わったから、後三十五回繰り返したらゲーム終了」

「三十六回って、随分たくさんだね」

「遊んでると、意外とすぐなんだけどね。あ、でも、今は実際に歩き回らないといけないのか」

「大変そう」


 わたしの言葉に、かどくんはちょっと笑う。


「大変そうだけど、散歩だと思えば楽しいかもしれない」

「そうか、そうだね。それに、こうやって御朱印をもらえるの、ちょっと嬉しかったし」


 そう言って、御朱印帳をそっと閉じる。角くんはわたしを見て二回くらい瞬きしてから、ゆっくりと微笑んだ。


「それは良かった」




 次の目的地はお寺ではなく、神社だった。『大黒天だいこくてん』という黒い文字が見える。受付番号は三。


「お寺だけじゃないんだね」

「神社でも、御朱印をもらえるところがあるらしいね。七福神は、お寺のところと神社のところがあるらしくって」

「そっか、名前に神って入ってるし、仏さまじゃなくて神様ってこと?」

「どっちでもあるらしいよ。俺も、そんなに詳しいわけじゃないんだけど」


 そんな話をしながら、大黒天を祀っているという神社まで歩く。

 風呂敷包みは中身を取り出す度に解いて結び直すのが大変で、あたふたしていたら、角くんがバッグのようにしてくれた。三角形に折って、両端を結んで、くるりと引っくり返して残りの角で持ち手を作ると、ころんと丸い形のバッグになった。

 それに荷物を入れたら、角くんは何も言わずに、それを持ってくれた。あんまりにも当たり前のようにするものだから、わたしはお礼を言いそびれたままだ。





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