第410話・龍造寺家攻め1。


永禄十五年(1572)五月 肥前水の江城 百武賢兼


「大友宗麟本隊は高良山一万、山麓に立花道雪五千、右翼・志賀親度五千、左翼・吉弘鎮信五千が布陣。多数の物見を放って我らの陣営を調べて御座る」


と、鍋島信生殿が敵の状況を絵図で説明している。集まっているのは、殿に長信殿と軍師の鍋島殿、それに成松殿・江里口殿・圓城寺殿に某だ。口を開くのは殿と鍋島殿がほとんどで、無骨な我らはもっぱらそれを聞いているのみだ。


「総勢二万五千・・前回の半数か。何か策がありそうだな・」

「左様。他にも隊がいるとみた方が良いですな」


「伏兵か、しかし麓の三隊だけでも我等の倍は超えるな・・・」

「右翼左翼に血気盛んな若手をあて、抑えに重鎮の道雪殿です。手強い敵で御座る」


 いまだに猛将の名が高いが、道雪殿は還暦前なのだ。志賀は三十代で吉弘に到ってはまだ二十代だ。龍造寺の将は総じて若いが、大友家の将も急速に若手に代わって来ている。


「道雪は我らへの抑えに日田に城替えしたのだったな」

「左様。豊後・鎧岳城から筑前・筑後・肥前・豊前を睨む要衝の高井岳城に。ですが苦言が多く宗麟に遠ざけられたとの噂が御座る」


「ほう。興味深い、ついでに隠居してくれれば助かるのだが。がはは」

「全く左様。道雪殿がいるだけで相当な脅威が御座る」


「ならば兄上、道雪をこちらに抱き込めませぬか? 」

「無理だ、長信。道雪の頑固さは折り紙付きだ。それに儂も頑固爺が傍にいて苦言を言われるのは嫌だ。がはは・」


「しかし殿、この戦を凌げなければ終わりで御座る。けして気を緩めてはなりませぬぞ」

「分っておる信生」


 殿は皆を見回して、その場に立った。皆も同じく立ち上がった。


「良いか皆の者。

龍造寺は此度の戦に勝利して大友の袂から離れ自立する。

しかし、負ければ滅亡が待っておるのだ。

まさに崖っぷち・乾坤一擲の戦いだ。儂と共に大友軍を蹴散らかそうぞ!! 」


「「おお!! 」」


 敵は大軍である事には変わりないが、以前は五千対五万だったのだ。それに比べれば策があるとは言え七千に二万五千、気の持ちようが随分楽だ。今までも幾多の困難を乗り越えてきた。この殿と一緒ならば負ける気がしない。

もう、こちらの準備は終っている。今は敵の出方を待つのみだ。殿が牽引して鍋島殿が策を立て、長信殿が物資を調達してくれる。

我ら四天王は、命があれば出撃して敵を叩く事のみ考えれば良いのだ。




五日後 高良山大友軍本陣 立花道雪


「動かぬのう、道雪」

「某も或いはとも思いましたが、動きませぬな・」


 此度の戦は、龍造寺にとっては後が無い乾坤一擲の戦だ。それゆえに我ら一万五千に突撃してくる可能性もあったのだ。龍造寺は七千、戦場に於いて二倍三倍の敵に勝利する事は珍しくないからな。

 麓に展開した我らを追放すれば、その勢いに乗って本隊一万に対しても有利になろう。


ここ数日、それを待っていたのだ。敵が出て来れば、南からの水軍で挟撃出来ると殿はお考えだ。実はその考えには儂は承伏出来かねる。今も当たり前の顔をして殿の側にいる男の献策だろう。田原親賢・お方様の弟で殿には良い話だけをして相槌をうつだけの男だ。

儂は、この様な男を傍に置いては行かぬと御屋形様に諫言した。その結果が、筑後高井岳への移動だった。『要衝の高井岳で龍造寺を抑えて欲しい』とは良い言葉だったが【道雪爺の苦言はもう聞きたくない】という噂の方が大きかった・・・


「龍造寺の備えは? 」

「はっ。こちらへの備えは、北から横武城・大門城・直鳥城・蒲田江城の四城。うち蒲田江城以外の三城は小砦ですが、水郷に囲まれ近寄り難く攻めにくい、兵はそれぞれ二百。

蒲田江城は平城ですが、広い空濠と高い土塁で固めて五百兵。また、北西の小城に各二百兵、南の鹿江城にも五百兵」


「ふむ。それだけの防備を固めていれば出て来ぬ訳だな。どう思うか、道雪」


「龍造寺とて、その様な小砦で我らを止められるとは思ってはおりますまい。つまりは何らかの罠があると思って良い。それが何かを見極めることで御座る」


「どうやって見極めるのだ」


「それは攻めてみる他に御座らぬ」


「お言葉ですが道雪殿、そんな小砦など無視して一気に本城を突くべきかと思いまするが」

「田原殿、ならばお手前がそうなされよ」


「承知。殿、お聞きになりましたか。道雪殿が役目を代わって下さるとのこと。是非にも某に水之江城攻撃の許可をお与え下され! 」


「待て、逸るな親賢。・・・そうだのう。兵站を切られては困るから右翼左翼から一隊を出して四城と鹿江城を必ず抑えるのだ。その上に水軍の到着を待つならば進軍しても良い。道雪、此度の戦はこれからの大友家の礎となる若手を育てたいのだ。良いな・」


「・・承知」

「有り難き幸せ! 」


 こうして本隊より五千兵を率いた田原親賢が中央に出て全体を指揮することになった。道雪にとっては苦々しい事だったが、もうどうにでもなれと思っていた。「この戦が終ったのならば、何処かから養子を貰って隠居しよう」と。立花道雪五十九歳、もうすぐ還暦だが跡継ぎがいなかった。



「では全軍、進軍せよ! 」

 こちらは総大将となり、意気揚々として進軍の命を発した田原親賢だ。


東から水之江城に通じる街道は、横武城傍を通る横武街道、直鳥城が抑える直鳥街道、蒲田江城傍を通る蒲田街道がある。蒲田江街道は城の東で筑後川に出る。川を渡ると筑後へ向かい、川沿いに北東に進むと大友本隊が布陣する高良山麓に出る。

攻撃軍総大将の田原親賢が進軍路として選んだのは、三街道の真ん中で最短距離にある直鳥街道だ。


 その日は街道を四里ほど進み野原で野営した。翌朝寒水川の畔に朝日を背に受けた一万五千の攻撃軍が勢揃いした。


「龍造寺の水之江城まで三里半だが。慌てる必要は無い。まず北の横武城・大門城に五百兵を南の蒲田江城には一千兵の抑えを出す。本隊は前進して二里先の直鳥城を囲む。進軍せよ! 」


三城の抑えに向かう隊が離れて、本隊はゆっくりと直鳥街道を西進してゆく。僅か三里半の距離を一気に詰めないのは、南からくる水軍との連携のためだが、籠城させる前に敵の数を減らしたいのは大友軍も同じだ。


 本隊が直鳥城手前に到着したのは、その日の昼過ぎだった。そこまでは戦闘は無かった。田原は直鳥城にも一隊を出し街道周辺に物見を放って、城源川手前に念入りに野陣を作らせた。

 この城源川は横武城と蒲田江城の四城を南北に結び、龍造寺東の守りの境界線となっている。


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