第409話・龍造寺家の戦準備。


永禄十五年(1572)この頃の九州の石高は、

豊前二十八万石、豊後三十七万石、

筑前 五十万石、筑後三十七万石、

肥前五十六万石、肥後六十八万石、

日向三十三万石、大隅二十七万石、

薩摩二十五万石ほどで合わせて三百六十万石余あった。


その内最大の支配地を持つのは豊後大友家で、豊前・筑前・筑後・肥前・肥後など全体の半分以上の土地を勢力下に収めていた。特に大国である肥前・肥後を支配下に置いていてその石高は二百万石を越えていた。

だが、麾下である肥前・龍造寺家が周辺の地を収奪して勢力を伸ばしていた。再三にわたり詰問するも言い逃れに終始して改善しない。大軍を発して囲んだ前回の遠征では、龍造寺の強い反抗を受けて進展しなかった。

そこで事態打開の為に弟の大友親貞隊三千を出したが、今山で布陣中に龍造寺に強襲され討ち取られた。結局、決着がつかぬまま終ったのだ。



 いっぽう龍造寺家は先の戦の後、その時に反抗していた国人衆を次々と討ち、或いは追放して十四万石から二十二万石までに短い間に勢力を倍増させていた。かといって大友家の麾下から離れた訳では無い。それにも関わらずに主家たる大友家の勢力を食いちぎっている訳で、その傲慢さに大友家の怒りも倍増していた。


 龍造寺家は二十二万石ほどになったとはいえ、奪取した新領地は馴染んでいない故に、まだ大友家の一割ほどの勢力でしか無い。それなのに何故これほど無謀な動きが出来るのか。


まず家臣に勇猛な将が多い。

百武・成松・江里口・圓城寺の龍造寺四天王と呼ばれる猛将がいる。特に百武は百人並の武勇を有すると言われ名付けられた無類の武将だ。

さらに四人の槍柱と言われる犬塚・上瀧・大村・石井の巨魁の勇将。そして知略に優れた軍師の鍋島信生。

それらを率いるのは覇気・鋭気溢れる巨漢の猛将・龍造寺隆信だ。彼等が十倍の敵にも怯まずに一致団結して対抗して来たつわ者どもだ。


対する大友家、いかに勢力が大きいとはいえ、実質の領地は豊前豊後の四十万石程度。あとは召集した国人衆の集まり、つまり寄せ集めの軍団だった。


 因みに、島津家はこの時点で、薩摩国二十五万石、大隅国で十一万石、日向国南部の八万石、肥後の元相良領十二万石と天草四万石を加えて六十万石ほどを領していた。

 山中国は当初博多湊六万石を復興しただけだったが、豊前の筑紫惟門を討ち、高橋鑑種・秋月種実の臣従を受け、大友家からの割譲された豊前半国十三万石を得た。さらに山中国の善政を知った周囲の国人衆が臣従してきて領地は四十一万石まで増えていた。南の大隅領を入れると六十一万石だ。

他には日向国の伊東家二十万石、種子島家一万石、松浦家五万石などだ。龍造寺家と山中国に喰われた大友家の現在の勢力は百五十万石ほどに減少している。


(石高はその時によって大きく異なる)




五月 蒲田江城 犬塚鎮家


「えっさ、ほいさ。えっさ、ほいさ」

「こっちだ。こっちにもっと土を運んでくれぃ!」

「がってん承知だ。すぐ行きまー」


「もっとだ。もっと強く土を固めろ。弱ければ雨に流されるぞ! 」

「あいよ。もう一回締めときまっー」


 ここ蒲田江城では大友来襲に備えて防御を構築中だ。大勢の人夫が声をあげて賑やかに働いているが、その中でも兵たちの表情は真剣だ。今度の戦に負ければ後は無いと知っているからだ。


先の戦から二年が経つ、今年は必ず再び攻めて来るだろう。田植えが終れば兵を集めて進軍してくる、間もなくだ。


前回は敵の前線大将大友親貞の愚かな行為に助けられたが、今回はそんな温いことにはならぬだろう。恐らく和睦も降伏も許されない、目的は我ら龍造寺家を討滅する気で来るだろう。


 我らの対抗策はこうだ。

周辺の城塞を強化して、中心の水の江城と結んで一つの城と化すのだ。知らずにその中に侵入してきた敵は、囲んで殲滅だ。そうやって敵の数を減らして隙を見て敵本隊を襲うのだ。


大友軍の進路にあたる東に配置する城塞は、北から横武城・大門城・直鳥城とこの蒲田江城の四城だ。そのうち三城は水郷に囲まれた水城で容易には近づけぬ堅城だ。

この蒲田江城は敵正面となる位置にある。そんな重要な地点を某が守るのだ。

ここは平城だが空濠を広げその土をどんどん積み上げて高くしている。構造は単純で良いのだ、いざとなれば城を捨てて他の場所に移動する予定だ。廓周囲の柵には無数の弓狭間や鉄砲狭間を設けて中には大きな投石機を置く。飛び道具で兵を失うことなく敵の数を減らすのだ。敵から見て裏面・西側に向いた出撃口から囲みの中に侵入した敵を攻撃する。つまりは籠城するかに見えて籠城戦では無く、囲いの中に敵を誘い込んで倒す策だ。




「殿、百武殿がお見えで御座る」

「そうか。ではあとの指示を頼むぞ」

「お任せを! 」


「犬塚殿、大分出来上がりましたな」

「左様。あと五日と言うところで御座る。間道は如何で御座るか?」

「既に道の整備は終わって、今は罠を拵えて御座る。それで犬塚殿らも道筋を覚えておいて欲しいと思ってな」


 百武殿らは水之江城を囲む支城との間に道を作っている。土を削り或いは盛って敵から見えぬ様にした間道だ。道は放射状だけで無く南北にも結ばれ、支城間の移動も素早く出来る。罠や兵を隠せる場所も無数にあり、侵入して来た敵を攪乱して挟撃・包囲できる間道だ。

 無論、以前の街道はそのままだ。民らはその道を使う、既に避難した民も多いが。敵の隊も街道を来るはずだ。


「・・・と言うことは、敵に動きが? 」

「左様。大友家が兵の召集を始めたと報告があった」

「それは大変で御座るな・・・」


 兵を集めるのに三日、進軍三日、少なく見積もっても七日目には会敵する。それまでには城の整備を終えて武器弾薬・兵糧を運び入れなければならぬ。将兵らを交代で出して、間道を覚えさせることも絶対に欠かせぬ。それなりの訓練もせねばならぬ・・・

 ぎりぎりだ。最早猶予は無い・・・



 水之江城を中心に放射状にある支城の内、大友軍の進路に当たる東にある城塞は、北から横武城・大門城・直鳥城・蒲田江城の四城。ここを龍造寺四柱の大村弾正・木下昌直・上瀧信重・犬塚弾正が守る態勢だ。

 それに加えて北の小城に石井周信、南の鹿江城にも兵を入れている。これらの諸城に配置した二千ほどの兵が以前より増えた兵だ。



 大友軍二万五千は犬塚の予想より一日早く、五日後に高良山に布陣した。中央・立花道雪五千、右翼・志賀親度五千、左翼・吉弘鎮信五千が布陣して、大友宗麟本隊一万は側近の田原親賢らと高良山に陣を張った。


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