第407話・甲斐の病。


諏訪高島城  金丸玄番


 駿府より兵を率いて諏訪上原城に戻ると、すぐにこの地の有力者に事情を知らせた。

 勝頼様が亡くなられたことを知ると有力者らは大いに動揺したが、上社の大祝・諏訪頼忠様が高島城に入り諏訪を取り仕切る事になった。


諏訪は諏訪大社の神人が力を持つ特殊な土地だ。武田家執政の穴山様には諏訪を取り纏めてくれと言われたが、単なる武家に過ぎぬ某などが仕切れる土地では無い。某は戦に赴く時のみ重宝される役割だ。

それに駿州が北畠家に替わり、柳生家が甲斐に進出して来て武田家は柳生家の一家臣となった。


 僅かの間に世の中は大きく変わったのだ。諏訪もそれに対応しなければならぬ。諏訪頼忠様が高島城に皆を集めて評議中だ。


「皆の者、この先・諏訪はどうすれば良いと思うか? 」


「何処かに付くしか御座るまい・」

「左様。いっそ昔の様に自立したいものですが・」

「しかし三国の境とはな・いずれについても他の二国と争う羽目になるのか・」

「・・・」


 諏訪は今、列強三国の狭間にいる。何処に属すか、或いは諏訪だけで自立するか、それが出来るか・・・


「金丸殿。諏訪国として自立する事は出来ぬか・」

「畿内から遙々来た柳生家は精強な兵だと聞いております。信濃高坂隊を打ち破りあっという間に伊那を傘下に治めた井伊家、尾張から延々と勢力を伸ばして来た斉藤家。いずれの軍が侵攻して来ても勝てませぬ」


「では、傘下に付くとして。何処が良かろうか? 」

「順当なところは伊那の井伊家で御座ろうな」


「左様。また甲斐に振り回されるのは嫌ですからな」

「某もそれが良かろうと・」

「・やむを得ませぬな」


「では、どなたか井伊家に打診して貰えぬか」

「傘下に付きまするで、今の態勢を認めよと言うことですな・」

「しかし、家臣に統治させると言われたら・・・」

「それはありますな・」

「直接、頼忠様が行かれたら、任される可能性もありますな・」

「儂がか・・・」


 やれやれ。煮え切らぬお方らだ。


「殿、高遠城に山県殿がおられると聞いておりまする。そこで相談なされたら如何か」


「山県殿か・・・儂は話した事が無い。ならば金丸殿、同行して呉れるか? 」


某に殿をつけて呼ぶのは、兵の多くが某に付いているからだ。外交は某の役割では御座らぬが、仕方無かろう。山県殿らにお会いしたいし、伊那の状況に興味があるからな。


「承知致した」




甲府 武田於松


 躑躅ヶ崎館一帯を柳生様に明け渡し、私ども武田家旧臣は近くの屋敷に入った。多くの将が戦死したり他領に移ったりして、城下には多くの武家屋敷が空いたままです。

その一画に柳生様は大道場を作られるとか。甲府がまた賑やかな街に戻れば良いのですが。


 今は柳生様の持って来られた兵糧を配るのに大わらわです。その間にも各地の国人衆が来て、腕試しを望んでいます。武石や丸子の武川衆、津金衆・御嶽衆や小山田、穴山も来ました。それだけです、きらびやかだった幾多の将や伊那衆・諏訪衆・信濃衆や駿河衆はもういません。腕試しというのは形式の様なもので、結局は皆、主を変える切っ掛けが欲しいようです。


柳生様・いえ殿が『はらっぱり』を見学なさると聞いて私も同行を願いました。案内は武藤喜兵衛殿です。

 はらっぱりとは甲斐で蔓延する病で、大人になっても成長せず、重症になると腹が膨れて動く事が叶わず死に到る。原因不明の恐ろしい奇病です。旧臣の小幡もこの病だと聞いています。

 近くの百姓屋でその者は寝ておりました。肌は黄色く手足は細り目は虚ろで腹が大きく膨れて死が近い事を現わしています。


「酷いものだな・・・」

「はい。あの者の背丈は子供の頃のままで御座る」


「この病の事は聞いてきている。何でも小さな貝にいる目に見えない虫が皮膚から体内に入り食い荒らすのだと・」

「・・・なんと。それはどなたに? 」


「山中殿だ」

「山中国の御当主の山中様ですか。その山中様が何故甲斐の病のことをご存じなので? 」


「夢に見たと。なに、山中殿は偶にこういう神懸り的なことを言われるのだ。家臣らはそれを微塵も疑わない。それで山中国は大きく躍進したのだ」


「・・・ならば、治療のやり方を聞かれておられますか? 」

「残念ながらそれは聞いておらぬ。ただ新たに発症しない方法は教わった」


「是非、それをお聞かせください! 」


 なんと、山中様は不明だった原因を知っているだけで無く、新たに発症しないやり方をご教授頂けるとは・・・


「無論だ。まず水を抜く事。つまり田を畑に変えるのだ。水が無ければ貝は生きられぬからな。次に水路などに居る貝を集めて燃やす。素手で触らずに箸で集めよと。とにかく素足・素手で田に入らぬ事だ」


「承知しました。すぐに掛かりまする! 」


「それにな。畑では果樹などを作ってはどうかと・」

「果樹で御座るか・・・」


「桃・栗・梨・柿などだ。出来が良ければ高く売れる。畿内で見るようになった蒲萄も甲斐の気候に会うだろうと言っておられたな」

「蒲萄とはどのような? 」


「南蛮渡来の蔓で。熟れれば甘い親指ほどの粒が房なりして、酒も造れるそうだ」

「まあ。それでしたらおなごでも出来ましょうか? 」


「うむ。栽培や収穫に力は要らぬ故に、おなごは元より老人子供でも出来ような」

「ならば。わたくしが女衆を集めて蒲萄を作りまする! 」


「うむ。於松殿期待しているぞ」

「お任せ下さい。しかし山中様とは神様ですか・」


「・神様では無かろうが、不思議なお方だ。軍神と呼ばれておるな。奥方様は女神と・・・神か・某に取っては神様のようなお方じゃな」


 兵糧を与えて下さり、柳生様を寄越してくれた。その上に甲斐の病をうつらない方法を教えて下さる。

山中国の山中様は、甲斐に暮らす者にとっては神様で間違いありませぬ。


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