第404話・永禄十五年。


永禄十五年(1572)正月 大和多聞城


 静かな正月だ。

 年が開けてから降り出した雪が庭を深山の趣に変えた。俺は雪見酒をしようと、どてらを着込んで縁に出て支度中だ。抱え込むようにした手あぶりで鯣を炙っている。


「父上、お燗が出来ました」

「うん。貰おう」

 傍で同じ様に手あぶりを抱え込む様にして燗酒をみてくれているのは、七つになった娘の花鼓だ。今日はさすがに娘らしい振り袖姿でしおらしいが、普段は稽古着の袴を着ていることが多い。誰に似たのか最近剣術に夢中なのだ。

こうして娘が付合ってくれる雪見酒はまた格別だ。この先あるかないか分らぬ幸せだな・・・




 十一才になった太郎は年始の挨拶の練習で大わらわだ、指導役は舅の木津重右衛門で嫡孫にたいする想いは強く太郎の良い教育係だ。


永禄十三年に生まれ三才になった次郞は、侍女と雪遊びに夢中だ。


 去年は戦国の雄・毛利元就・島津貴久・北条氏康が逝った。好い漢だった肝付兼続も亡くなり武田信玄も織田信長も明智光秀・羽柴秀吉も既にいない。

 皆、歴史を動かした男たちだ。俺が来た時はまだ皆生き生きと活動していたのにな・・・


「あら、勇三郎様。何を思い詰めているのです・」


 これまた普段とは違うしっとりと艶やかな着物を着た百合葉がきた。


「うん、昨年に亡くなった方々を思い出していたのだ。人生五十年、そろそろ儂も節目の年が来るでな」


「勇三郎様にお迎えはまだまだ来ませぬ。もしお迎えが間違って早く来たのならば、妾が追い返しまする。それより、ご家老様方が見えていますよ」


「そうか。ならばここに呼んでくれ。皆で飲もう」


 山中家の正月はのんびりしている、家中の挨拶が始まるのは七日過ぎてからだ。仕事始めは十五日、今はまだ皆家でのんびり過ごしている時期だ。この時期にここを訪れる者は、暇なので俺と酒でも飲もうとやって来る遠慮の無い輩らだ。


「大将、明けまして御目出度う御座りまする。今年も宜しくお願い致しまする」

と、入って来たのは十蔵に新介、藤内に清興・梅谷・有市の身内ばかりだ。


皆すぐ近くに屋敷があり散歩がてらに歩いて来る。陸奥に残っていた新介と大和で見かけるのは珍しい三雲賢持がいる。まあ、杉吉はいて当然のような顔でしっかりといる。


「おう、皆良く来たな。一緒に飲もう、適当にそのへんに座ってくれ」

「へい。遠慮なく」



 庭を眺めている俺の隣に、本当に適当に座った彼等に、女衆が手あぶりと膳に乗った酒肴を運んでくる。


「太将、此度は真に有り難う御座りました。お蔭で朝比奈国は無事存続出来る事になりました」

と、三雲賢持が平伏した。


「ん・儂は何もしとらんぞ。焼津湊に拠点を設けた他はな、逆に朝比奈の敵・武田隊にも兵糧や火薬を売って儲けたしな・」


「いや、そうでは御座りませぬ。井伊家の躍進や山中国の存在は(朝比奈殿らの)大きな力になっておりました」


「井伊家に肩入れしたのは百合葉と帰蝶殿だ。礼なら百合葉に言え・」



「百合葉様、真に持って忝く・このご恩、三雲賢持、生涯忘れませぬ」


「三雲、全ては妾の勝手な思いでしたこと。其方からの礼など要らぬし恩などは勘違いです。忘れなさい」


「はっ」


「これで名門・甲斐武田家は滅びますか・」と新介が感慨深げに言う。


「うむ、大名としての武田家は無かろう。だがお家が滅ぶかどうかはまだ分らぬな。三雲、義信はどうだな」


「はい。一時は重篤でしたが薬と食料が手に入り、少し持ち直しています。だがまだ油断出来ぬ状況にて・」


 朝比奈本隊に突撃して朝比奈泰朝殿と刃を交えた武田義信殿は、殺到した朝比奈勢に刃傷矢を受け、敗走中の伊那山中で倒れた。共は出浦守清と長坂昌国だ。二人の懸命な介護により持ち直したが、冬の山中故に薬どころか食べ物も無い。

 それを三雲は密かに援助しさらに井伊家に交渉した。話を聞いた井伊虎繁は敵である武田義信に密かに薬師と食料を届けたのだ。


「その事を朝比奈殿は知っておられるか」


「はい。回復した暁には義信殿と酒を酌み交わしたいと仰せです」


「ふっふ。酒の味が旨くなる話だのう」

「でんなっ。義信殿も泰朝殿も良い男で! 」


「金子玄蕃という男も面白いな・」

「左様。某、話を聞いて思わず膝を打ちましたな」


「ところで新介、陸奥はどうだな? 」

「はい。国人衆・というより民のやる気が国を根底から変えつつあります。陸奥の者はこちらの者より辛抱強く粘り強い、いずれ陸奥は大きく発展致しましょうな」


「そうか。それならば我らが出張った甲斐があったというもの」


 年貢が大幅に下がった陸奥国は、民のやる気が爆発している。今までと違って戦に狩り出されることも無くなり、やればやるほど豊かになれるからな。

多賀国府の総指揮を取っている蒲生賢秀は、武も政も申し分ない逸材だ。民や国人衆も頼りになるだろうな。


「陸奥・奥州では、北の津軽と南部、南の蘆名と伊達が残ってまっけど、これは放置で宜しいな」

「うん。周囲には広がらないのならば好きにさせておくが良い」


 北の果てで南部から津軽を奪い取って独立した大浦為信と九戸が独立して領地が半減した南部とは争いが止みそうに無い。

それと南の伊達・蘆名も情勢不穏だが、肝心の伊達の政宗君はまだ五歳でわんぱくになるにはあと十年ほど掛かろう。その時には陸奥の戦国も終っているかな。

 知らんけど・・・


「東海の様子はどうだ。有市」

「はっ。長島を整備した浅井は収穫が大きく増え、信濃の一部まで領地を伸ばした斉藤は内政で手一杯です。武田の脅威が去った徳川は懸命に農地を増やそうとしておりますがまだまだ。それを見かねて周辺の浅井・斉藤・井伊は食料を送っている状況です。我らも食料や古い農具を送って御座る」


「そうか。問題は九州だな」

「へえ。勢力を広げる龍造寺に対して、大友は何度も進軍するもうまく躱されて引き上げてますな。一昨年には宗麟殿の弟・大友親貞を討たれたにも関わらず、まだ決定的な対立には到ってまへん。ほんまに龍造寺と大友の争いは、訳分りまへん・」


「両者の争いを狼がじっと伺ってるしな」

「ほうでんな。島津は軍資金が無くなったにも関わらず北進してますな。島津義弘はどないでしたか? 」


「うむ。なかなかの男だったわ。頭も良い」

「左様でんな。自力で大口城下まで街道整備をして、馬車で志布志まで品物を購いに来るとは、なかなかやりまんな」


 島津義弘は、熊野丸に乗船して志布志湊から紀湊に来た。さらに大坂・京に上がり大和を経由して薩摩に戻った。その際に多聞山城に立ち寄り俺や百合葉と面会したのだ。

九州に戻るや薩摩勢にて街道を大口城下まで延ばして、志布志湊で馬車・荷馬車を購いお買い物に来る様になった。といっても今の島津には銭が少ない。義弘を含めた捕虜を救うのに大銭を使ったからだが、高価な鉄砲には手が出せずに数打ちの足軽セットなどがお目当てだ。

そもそも薩摩には山中銭が普及していない。これを何とかしようと商人らを巻き込んで動いているらしい。


「大友家の重臣・立花道雪にもお会いになったと聞きましたが」

「うん。赤虎として京で会った。道雪殿は想像通りのお人だったよ」


 立花道雪は伝説的な武将だ。大友家宿老で豊後・鎧岳城に居住し北方面に目を光らせている。つまり毛利や山中国担当だ。

大隅・氏虎の街道整備に連動して、博多湊からも街道整備が南に延びている。太宰府から日田郡を通って府内に繋げる街道整備は、既に大友領の日田郡に入っている。

そこで大友家としては、畿内の山中国の様子を探ろうとした。兵を派遣している京都守護所の見学を兼ねて、重臣を来京させたのだ。足が不自由な道雪だが畿内では馬車で往来出来る事からな。


俺は「道雪来たる」の知らせを受けて会いに行った。歴史上の人物に是非会いたかったからだ。

その道雪の印象は想像通りで、猛将・一本気・豪傑といった剛直な感じ。ただ名将であるだけに新しい物を受け入れる柔軟さをも持っている。馬車がお気に入りで、京から近江・石部拠点を馬車で往復してご機嫌だったと。


 帰りは大友水軍の船ではなく、熊野丸に乗船して博多湊に回った。京都守護所関係者として、無料の乗船手形を与えたのだ。この熊野丸の乗り心地も気に入った様だ。博多湊で早速、馬車と荷馬車を購入して、整備できた日田郡までそれに乗って帰った。

以後早く馬車を使いたいのもあって街道整備に全面協力してくれている(^0^)。


 立花道雪が見学したのは、京・大坂と近江の石部拠点だ。大和や紀伊湊を見なければ山中国の実態は分り難いので片手落ちと言わざるを得ないな。大和・紀伊湊まで見学した島津義弘とは温度差があろうな・・・


今の大阪は水路が張り巡らされて或いは埋め立てられて、蔵が建ち並び無数の荷馬車と商船が行き交っている巨大な物流拠点・生産拠点だ。巨大過ぎて見物しても退屈なだけだろう。


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