第400話・忍びの知らせ。
遠州天神山城 武田勝頼
腹が減った、一日一回の薄い粥しか食していない。はやく船が来ないものか。
馬場が出て二日だ。敵の襲撃に遭っても何名かは駿府に到達したはずだ。まさか全滅ということあるまい、釣間斎のように。それが不安だ・・・
「勝頼様、兵糧はあと二日で無くなりますぞ」
「分っておる。何とかならぬか」
「なれば,更に駿府へ向けて兵を出すしか御座らぬ」
「あまり兵を減らすと、いざという時に不利だ・」
「いや、そもそも腹が減っては戦は出来ませぬ。飯食い虫の兵など最小限で良かろうと・」
「・・・ならばやってみよ」
「はっ」
「皆の者、馬場隊は今頃駿府に到着して腹一杯飯を食っているであろう。ここにいる者にもその機会を与えよう。大井川まで六里だ、そこまで歩けば飯が食える。指揮は金丸玄蕃。希望者は支度して明朝、門前に集まれ」
「頼んだぞ。金丸」
「はっ・・・」
「空きっ腹で六里も歩くだか・」
「しかも敵中の六里だ。生きて到着できるか分らぬ・」
「・・・」
「おら、行くだ。行って飯を食うだ」
「おらも行く」
「おらもだ」
翌・早朝、門前に多くの兵が集まっている。
五百ほど減らそうと思ったが、希望者は七百を越えたか、半数だな・・・
七百余の兵は金丸に率いられ、直ぐさま出発していった。何人が追手を逃れて辿り着くだろうか?
「跡部、予想外に多かったの」
「七百三十で御座る、思ったより上手くゆきましたな。これで半数となりさらに二日は何とかやりくり出来ましょう」
実は、馬場らが今頃駿府に到着して腹一杯飯を食っていると跡部が言った言葉が某にも刺さったのだ。
ひょっとして、いや多分にそれは当たっているのでは無いか、馬場と行動を共にすれば今頃は・・・
「薄粥一合で三日か・・・残った者の士気も一段と落ちているな」
「ならば勝頼様、乱取りです。兵糧と士気が回復致しまする」
「・良かろう」
乱取りは後の治政の妨げになる。だがこの困難な状況では、兵らの気力向上を優先した方が良い。
その夜、百名一組で四組が四方の村に乱取りに出た。得た食料は多くないが、村人を蹂躙して兵の士気は一気に上がった。
翌朝の食事は戦利品により少し多くなり、昨日行かなかった者は、今夜の期待でギラギラしている。
「勝頼様、駿府よりの使者と申す者が参っております」
「駿府よりの使者か・・・通せ」
昼頃になって訪れた者は、日焼けした山師のような男だ。忍びの者か、そう言えば忍びの者がいれば色々と役に立ったな。もっとも従軍していた忍びの者は、人数が限られている船に乗せずに吉田城に置いて来たのだが。
「某、武田家執政・穴山様よりの伝言を預かっております」
[・執政とは何だ・兄上の使いでは無いのか? ]
「武田家は、行方不明の義信様に代わって嫡子の太郎様が当主の座に着かれました。しかし太郎様ご年少故にお方様の命で、穴山信君様が執政を行なっております」
「・・・兄上が戻らぬとは、戦で討ち死になされたか? 」
「討死なされたとは聞いておりませぬ。ただ、戻らぬと」
「義信様が戻られぬのならば、次のご当主は勝頼様であろう」
「某の考える事ではありませぬ」
「・・・跡部、取りあえずそれは棚上げしておけ。して穴山の伝言とは? 」
「水軍船はこちらに来る途次、御前崎で朝比奈水軍と交戦して敗走。二隻が航走不能、船の装備に大差があって船での救出は不可能と」
「なんだと! 」
「・・・」
なんという事だ。怖れていたことが現実となった。船が来ないとなれば、敵が待ち受ける陸地を移動するしか無い。あの時馬場の言葉に従えば、とうに髙遠に戻っていただろうに。しかも馬場に次ぐであろう勇将・金丸玄蕃を半数の兵と共に出した・・・
「では某はこれで」
「ま・待て。駿府から・いや、大井川からの敵の配置を教えてくれ」
「某が来たのは山間の間道。故に軍が動く道のことは分りかねますが、敢えて申せばここより東に二里の横地城と中尾砦の間は剣呑ですな」
「その二里を越えれば何とかなるか・」
「時は無いかと。こちらに集結している気配を感じまする」
「・・・」
「跡部、聞いたな。明朝全軍で駿府を目指して出発する。準備せよ」
「はっ」
明朝出発と決めたところ、兵が騒ぎだした。
「約束が違うだ! 」
「今宵はおらたちの番だ! 」
「待て。明朝の出発だぞ、乱取りしている暇はねえぞ・」
「乱取りは夜のうちに済ますだ・」
「それに昼間休んでるだ。寝なくてもかまわね・」
「そっだ。一晩寝なくとも一日くれい歩けるだ! 」
今夜乱取りに行く者達だ。まるでご褒美を取られた犬っころだ。
このままでは五月蠅くて眠れぬかも知れぬ・・・
「分った、行くが良い。但し卯の上刻(5時)までに戻らないと置いて行く」
「合点だ! 」
「乱取りだ! 」
「よし、集まれ。策を練るぞ」
「「おお! 」」
たちまち三組の集まりが出来て、あれやこれやと相談を始めた。
やれやれ・・・
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