第398話・海戦?


 甲斐 山県昌景


 久し振りに甲斐に戻って来た。諏訪からは下り坂というのもあって足が弾む。戦の傷を諏訪の湯で癒したからだが、三河から伊那・髙遠・諏訪と遙々経て来た感慨が足を急かせた。


 だが、それも束の間だった。下るにつれ田畑は荒れて気持ちは沈んでゆく。

「殿、あれは・」

「うむ・」

 数名の者が真新しい土饅頭の前で合掌している。話に聞く餓死者だろうか・心の中で合掌して先を急いだ。途中の村や田畑は荒れていたが甲府に入るとさほどでも無かった。ただ以前より商家が少なく目抜き通りが寂れている。行き交う人もはっきりと少ない。

 躑躅ヶ崎館で留守居役の飯富虎昌(兄)に面会する。


「山県昌景、只今戻りました」


「昌景、無事によう戻ったな。怪我はどうだな」

「諏訪の神湯に五日浸かって癒しました」


「諏訪の湯・・・ふむ、伊那の者らは無事であったか・」

「はい。屋敷は移りましたが、皆普通に暮らしており驚きました」


 伊那には妻や子を連れて赴任していた。さすがに城主屋敷は移動させられていたが、家臣らの家族と共にごく普通に暮らしていたのだ。それどころか監視されているのでも無く何の縛りもないと、引っ越しも自由だという。それで安心してのんびりと諏訪の湯に浸かることが出来たのだ。伊那でもなく甲斐でもない地で、心の迷いを納得させる時間でもあった。


「井伊領は何事も無く通過出来たのか? 」

「我ら二千八百の殆どが伊那の者でした。某も含めて誰一人咎められること無く井伊領内に入り、それぞれ在所に帰りました」


「なるほど。井伊家は徳政を敷いているという評判通りか・・・」

「左様。某がいたときよりも民が明るく活気があり賑わっており申した」


「兵糧を供出した井伊家のお蔭で伊那は餓死者を出さなかったからの。制圧してすぐに田畑の整備・開墾や道の拡張を始めたと聞く」


「はい。その善政をみた高遠城の保科殿も井伊家に臣従するつもりだと言われておりました」


「井伊家と言えば、遠州と三河境の国人衆であったが高坂隊を敗走させてその余勢で伊那を制圧するとは、当代は余程の者よな・昌景は井伊家に臣従するか」

「妻が甲斐に帰るのを拒んでおります。某の元配下らも全て井伊兵となっておりますれば・・・」


「それはよい。儂とて善政を敷きたいが今の甲斐にはその力も無い。おまけに甘利が戦を始めるつもりじゃ・・・」


「戦と言われたか、何処と? 」

「義信様方とじゃよ。義信様方と、ほんの少しの行き違いがあったのじゃ。怒りに任せて南の関所を封鎖しておるわ・馬鹿な事じゃ」


 戦意を失って引き上げ中の甘利隊に大被害が出た。それは本隊が総攻撃のために退路を守る兵を引き上げたからだという。だがそれは甘利隊に油断がなかったら防げた事だ。甘利殿の気持ちは分らぬでは無いが内戦は困窮した甲斐の傷口に塩を擦り込むようなことだ。某は賛同できぬ・・・


「兄上、隠居して某と伊那に移りませぬか・」

「・・・考えておこう」

 

 実の兄上とは言え某とは親子ほどの差がある。とうに隠居しておかしくないお歳だ。義信様の傅役を務めて信頼深き故になかなかに離れられぬのだ。


 その義信様が行方不明、勝頼様もまだ戻って来られぬ。さらに木曽・信濃高坂や真田が離れて伊那を失ったなかで、本拠地甲府で争うか。

 武田家の行く末は暗い、いや既に破綻している様に感じる・・・




 駿河湾 武田水軍・岡部治部右衛門


「よーそろー」

「よーそろー! 」


 船は順風を受けて帆走りしている。富士のお山から吹き降ろしてくる風は冷たいが気持ちの良い航走だ。

 駿府に穴山殿らが戻って来られた。遠州に侵攻していた武田隊が全軍で総攻撃を掛け敗れて敗走してきたのだ。総大将義信様の行方が分からぬ大惨敗だったらしい。

 儂らはそんな遠州に勝頼様方を降ろして来たと知り、慌てて清水湊を発って迎えに行くところだ。なにせ勝頼様は、義信様に万一の事あれば次の当主となられるお方だ。そんなお方を敵中に降ろして来たとは、知らなかったでは済むまいからの。


「大将、御前崎湊に船だ! 」


 うむ。たしかに船が二隻いるのが見える…あれは、


「敵。朝比奈の水軍だ! 」


 そうだ。朝比奈の水軍だ。最近は天竜の河口に籠っていると聞いたが、武田軍の撤退で出てきたか…


「戦闘準備をさせよ」

「大将、やりまっか」

「おうよ。陸戦の運び屋ばっかは飽きたでな」

「そうでんな。奴らは二隻、こちらは五隻。おまけに風上だときた! 」

「そうとも。あの二隻を分捕れば、我が水軍の方が圧倒的に有利になる」


「ようし。一発ぶちかますか。皆の者、戦だ! 」

「「おおおおお!!! 」」


 久しぶりに皆のギラギラした目を見る。獲物を前に興奮しているのだ。このままでは船を燃やしかねないな、ちと釘を刺しておくか。


「よいか。分捕って我らの物にする。船は壊すなよ」

「がってんだ! 」


 五隻が横一線になり順風に乗ってみるみる近づいてゆく。敵はまだ気づいた様子がない。我らは漕ぎ手の半数も武器を持って待ち構えているのに。湊に突入接舷して乗り込めばこっちのものだ。


「甲板の敵が気付いた様でがす。慌てて右往左往してま! 」

「甲板で何をするのだ。がっはっは! 」

「「ぐ・わっはっは!! 」」


 いやこんなに爽快な気分は久しぶりだ。だから海賊は辞められぬわ。



「なんだ…」ポン・ポンと音がして敵船が煙に包まれた。


 途端に船団の前で大きな水しぶきが上がり海水をかぶった。


「大砲だぁ! 」

「敵は大砲を持っているだ!! 」

「逃げよ。転回!! 」

「舵を切れ。逃げるのだ!!! 」


 相当な船速で進んで来たのだ。そう簡単に転回出来る筈がない。櫓を出して舵を切る、船は流され大きく傾き接触しながらも横を向いた。

 そこに再び砲音。ドーンと音がして二隻の舷側に命中、木っ端が舞い上がった。


「やられた!! 」

「とにかく逃げよ。死ぬ気で櫓を漕げ!! 」

「たしけてくれ! 」

「おっかぁ!! 」


 朝比奈水軍は関船の船首に二門の大砲を設置していた。熊野屋から購い砲手の調練もしていた。ただ砲撃すると船が暴れて次がなかなか放てないのが欠点だ。それでも敵にとっては大いなる脅威だ。

 関船の大和砲は中古とはいえ一里も飛ぶのだ。関船なぞ簡単に貫通するほどの威力がある。


「被害は? 」

「二隻の舷側に大穴。幸いにも喫水の上で航海に支障なし。十名負傷」

「…清水湊に戻る」


 奴らいつの間に大砲を積みやがった…

 これで御前崎を越えて航海は出来ぬ事となった。勝頼様方は・陸を歩いて戻ってもらうしかねえ。


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