第396話・武田の別動隊2。


 飯田街道 山県昌景


「ふう。室賀、やっと武節宿に着くな・」

「ですな。なんとか生きて戻って来られましたな・」

「全くで・」


 某、吉田城からの敗走は二度目だが、此度は精も根も尽き果てた。

吉田城を出たときは馬場隊より援護があってすんなりと脱出出来たが、それからが執拗な追撃に遭ったのだ。

 我ら三千五百は負傷者も多く素早い撤退が出来ぬ。吉田城から豊川右岸を進んで来た。見晴らしの効く街道を進むよりは、木々のある山の方が隊を守りやすいからだ。


 待ち伏せや追撃してくる敵を躱しながらの撤退戦。もう嫌になるほどの味方の死骸を乗り越えてきた。

 そして五日経って、今この時にいるのは二千八百、七百の兵を失った。誰一人として怪我をしていない者はいない。それが如何に過酷だったかを物語っている。


「山県殿、長きに渡る敵中での孤立。難儀でしたな。それにしてもよくお戻りになりました。これからも大変だとは思いますが、とにかく今宵はごゆっくりお休みなされ」


 武節城主・菅谷殿が敗残兵そのものである我らを城に快く迎え入れてくれた。堪らなく嬉しいその好意に縋ることにした。


「菅谷殿、傷につける薬や布を戴けないか。銭はとうに尽きてしまいましたが・」


「心得ました。代金のことなぞご心配なさるな。城にある薬は全て出して、足りぬ分は町に人をやって購わせましょう」

「忝い。この山県、この借りは必ずお返しします」


「何を仰る。今は同じ武田家中では御座らぬか。借りを返すことなどご無用に」


 ん・今はと言ったな・・・それに先ほどは、これからも大変だと。どう言う事だろう・・・


「それで山県殿、勝頼様は如何なされましたか? 」


「おう、そうでありましたな。勝頼様・馬場殿らと分かれたことは随分以前の事の様に思えるがつい最近の事でした。救援の武田水軍の船が豊川湊に着き、勝頼様と馬場殿、諏訪衆・甲斐衆ら二千が天神山城の援軍として南遠州に向かって御座る。今頃は甘利隊と合流して天神山城を攻めていると思われます」


「左様ですか・・・天神山城に・・・」


 沈んで考え込む菅谷殿、それを見て某は嫌な予感がした。孤立している間に事態が悪い方向に動いたのだろう。四方に街道が繋がる武節宿には色々な情報が集まるからな。



「菅谷殿、貴殿が聞き知った武田隊の戦況を聞かせてくれぬか」


「・・・宜しかろう、心して聞かれよ。まず甲斐で餓死者が出始めて一揆が起こり、他領に逃げ出す百姓らが出た」

「一揆・・・」


 餓死者から一揆か、無理も無い、ここ数年は得る物がない戦が続いているからな。我が家は、妻や子らはどうなっているか・・・


「北遠州に攻め入った高坂隊と井伊隊が激突して高坂隊が敗北、撤退したのが十日ほどの前の事だ。それを追撃した井伊隊が伊那に入り、これに多くの伊那国人衆が従い短期間に伊那を制圧したのだ」

「伊那が井伊家に・・・」


 我らの兵の殆どが伊那衆だ。ということは我らには戻る場が無い・・・

 いや、待て。伊那の国人衆が従ったと・・・


「南遠州・天神山城と対陣した甘利隊は、敵から甲斐の餓死者や一揆のことを吹聴されて戦線維持が困難な程士気が下落。本隊に伺いを立てた。義信様は甲斐の一揆鎮圧をさせようと撤退を許可なされた。ところが甘利隊撤退その途次に、隙を突いた敵に襲われて大きな犠牲者を出したので御座る」


「なんと・・・撤退・甘利隊は遠州にもういないと・・・」


 となると天神城攻めの援軍に向かった勝頼様らはどうなるか・・・


 うむ。いなければいないで駿府に向かえば良いことか。それにしても戦巧者の甘利殿が撤退戦を失敗するとは・・・


「義信様は事態打開の為に侵攻を早く終らすことを決断、全兵での掛川城攻めに踏みきり南・東・北からの三隊で掛川城に迫ったのが五日前で御座る」


 五日前か、我らが吉田城を脱出した時分だな・・・

 して、その結果は・・・


「まず横地城から先発した内藤隊二千は、半数の敵に手こずっているところに背後からの挟撃で壊滅。内藤殿は討死したと」


「・・・まさか」


「富田城からは義信様本隊三千が進軍。待ち受けていた朝比奈泰朝隊三千と激突。状況不利の本隊に背後からの奇襲と内藤隊を破った隊の合流で総崩れ。義信様らは敵本隊に果敢に突撃して行方不明と」


「なんと・・・・・・」


「掛川城を包囲すべく東海道を進んだ騎馬隊八百は、掛川平野手前に築かれた城門の様な関所を見て断念。引き返して敗残兵を収容したと、これが伝わってきた話で御座る」


「・・・」


 あまりの出来事に声も出ない。とにかく武田家の遠州攻めは失敗したのだ。並の失敗では無い、考えられない程の大失敗だ。



「・・・山県殿は、この後はどう致しまするな? 」


 気がつけば、菅谷殿が傍で心配そうに覗き込んでいた。

 どうやら某、頭の中が真っ白になってしばし時間が止まっていたようだ。


「・・・どうといっても、戻ろうと思っていた伊那は既に他国だと言う。甲斐に戻るにしてもその敵国を通過しなければならぬ。どうすれば良いかな、木曽谷を廻るか・・・」


「敵国といっても、武田の残党狩りをしているわけではありませぬぞ。伊那は元々武田兵ばかりで御座るからな」


「あっ・兵らはバラバラになれば国に帰れるか・」


「左様。山県殿も徒党を組まなければ通れよう。ついでに言うと、木曽は斉藤に寄して信濃高坂家と小県真田家は独立するようで御座る」


「木曽が斉藤に・・・」

 高坂と真田の噂は聞いていた。義信様と勝頼様の対立に嫌気がさしたのだ。遠州侵攻が最後のご奉公だと。

 ああ、そうか。菅谷殿の『この後はどうするな』は、そういう事を含めてのことか。


「某の今後の動向はまだ考えられぬ。まずは兵らを国に帰すことだな・」


「左様、それが第一で御座ろう」


 そういえば今後の事は、菅谷殿も同様だと気付いた。ここは斉藤・徳川・井伊にはさまれた地だ。武田家としては維持出来まい。


「菅谷殿は? 」


「左様、某とて斉藤に頼るしか生きて行けませぬ」


 徳川で無く、斉藤で良かったと思った。徳川とはここ何年か命を削り合ったのだ。もう三河には行きたく無い・・・




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