第395話・武田の別動隊。


 東海道 日阪付近


今、数名の兵士が東海道に設けられた柵を撤去すると森に消えた。

東海道はここから山あいに向かう迂回路を使っていて、しばらくの間この先の本道は通行止めだった。


 その少し後、東から怒濤の様な地響きが聞えてきた。


諏訪原の陣城を発った武田騎馬隊八百である。大将・土屋昌続隊三百騎と武藤喜兵衛率いる五百騎だ。

彼等は武田義信本隊の進軍に合わせて、朝比奈勢の後方に素早く展開する為に進軍して来た、朝比奈勢の動揺を誘うためと手薄であろう掛川城を封鎖することを目的にしている。


この辺りは東海道の山間からようやく掛川の平野に出る手前で、幅半丁長さ一丁ほどの平地。この短い距離に北の山地から流れてきた谷五つが次々と合流している所だ。谷と谷の間は尾根が伸びていて、街道はその山裾を縫うように蛇行している。


南向きで水が豊富な平地は隙間無く田が作られていて、稲刈りが終った田は人や動物が容易に立ち入れない深田となっている。



「これは、無理だな・・・」

「左様。無理で御座る」


 その山裾を一目散に駆けてきた騎馬隊は、平地の端に立ち塞がる光景を前に停止した。

平地は一際大きな尾根が幅広くなった川の至近まで伸びて終わっている。ここを越えるとあとは広い掛川の平野だが、そこに関所が作られていたのだ。


左手は川、右手は切り崩した山。閉じられた門の上には狭間がびっしりと並ぶ頑丈な関所だ。さらに関所の前は川に転げ落ちる四間幅の大掘切で、その向こう半分の跳ね橋は上げられていた。

 もはや城門といってよい。火縄の匂いもしている。ここを通過するのは城攻めをするのに同様な覚悟がいる。素早い展開が必要な彼等には無理だろうし、そもそも騎馬隊だけでは突破出来る関所では無い。


「この山を回り込めば平野の筈で御座る。最近はそのような迂回路があったと聞いておるが・・・」


「左様。大雨の都度流れを変える暴れ川の逆川(さかがわ)は、この夏の野分けで街道が崩れ、急遽出来た迂回路と聞いて御座る・」


「この様子では、その迂回路も潰されておろうな・」


「急がば回れ。ここは戻って富田城経由で本隊に合流するしか御座るまい・」


「是非も無い。だがそう簡単に通してくれようか・・・」


「行きはよいよい・帰りは怖いで御座るな・・・」


 見通しの効かない山裾の道は、敵にとって絶好の襲撃地点だ。ここまでは無事に来られたが、無事に戻れそうには無い。

 馬鎧を着けた本来の騎馬隊は、土屋の三百騎だけ。武藤の五百騎は隊内より急遽集められた寄せ集めだ。弓矢の攻撃には弱い。


「深田といえ、人ならば畦を行け申そう。そこでまず、土屋殿が一気に駆け抜けて平地の出口で待つところに、馬だけを駈けさせましょう」


「なるほど。それならば被害は最小限で済もう。よし、駆け抜けるぞ! 」


 言うや土屋は先頭で猛然と駆け出した。残りの兵もバラバラとなって追う。山から弓矢が飛んできたのが見えた。鉄砲の音も聞え、丸太や岩も落ちて来ている。

 だが土屋の動きは急で待ち受ける敵は十分に反応出来なかった。忽ち出口で手を振る土屋がいた。


「我らの番だ、馬を降りてバラバラとなって駆けよ! 」

「「おお!! 」」



 尻を叩かれた馬が猛然と土屋隊の後を追って駆け出した。同時に兵が歓声を上げながら畦を駆ける。

 畦を走る兵にも矢が飛んでくる。それに気を取られ田に落ちて泥まみれになる兵が続出する。



「怪我をしたのは二十名か。馬も五頭が戻らぬがよくそれで済んだな・・・」


 怪我人は諏訪原城に戻し、富田城へと南下した。敗走して来た本隊の兵と出会ったのは富田城間近だ。


「敗れただと・・・義信様は? 」

「血路を開くために、旗本隊と敵本隊に向けて突撃したのが最後であとは分かり申さぬ・・・」


「なんと・・・。内藤隊は? 」

「壊滅。内藤殿御討ち死にと聞いており申す」

「・・・」


 これは悪夢か…

とにかく最悪の事態だ。

武田家の遠州侵攻は失敗。のみならず内藤隊は壊滅、当主義信様は行方知れず。領国は一揆多発で百姓逃散、はたして武田家は・・・


「ならば武藤殿、某、あの平地に戻ってみまする」

「左様で御座るか。某は・・・ここで敗走兵を収容し申す」


 今の某に出来る事は、一人でも多くの武田兵を纏めて国に戻ることだ。他の事は戻ってから考えたら良い。


「では土屋殿、諏訪原で落ち合いましょうぞ」

「承知」




 南遠州 菊川河口 馬場信春


船を下りてすぐに斥候隊を放ち、百人頭に命じて整列させ四組を四方に展開させて警戒させた。


「ここは敵地だ。油断するなよ」

上陸した安堵で兵の緊張が緩んだのをみて引き締める。甘利隊と合流するのが第一だ。不意に現われた我らを歓迎してくれれば良いが・・・


「甘利隊、見当たりませぬ! 」


「なんだと・・・」

 何故だ。どこに行った・・・


「天神山城、僅かな城兵しかいませぬ・」

「・・・」


「馬場、両軍ともいないとはどう言う事だろう? 」

「分りませぬ・・・」


「野戦で戦ううちに場を移動したとか・・・」

「あり得ない事ではありませぬが・・・」


「勝頼様、馬場殿、ここはまず城を抑えましょうぞ」


「うむ。・・・そうだな。それが第一だな」

「某も異存はありませぬ」


「進撃。天神山城へ! 」

「「おう! 」」




 天神山城 居残り守備隊


「南から新たな敵が押し寄せてきます! 」


「何、何処の兵だ? 」

「武田です。諏訪武田の旗! 」


「諏訪だと・・・それがどうしてここに・」

「隊長、船でねえか。水軍の船に乗って来ただよ・」


「船か。武田は水軍を持っておるから有り得るの。数は? 」

「およそ二千、大軍です! 」


「二千・・・」

「隊長、俺たちは百五十。ここは逃げるっぺよ」

「そだ。多勢に無勢で抗っても無意味だべ、ここは逃げの一手」


「よし。ならば善は急げだ。全員、何も持たずに、このまま北口から走れ! 」

「おお! 」


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