第389話・武田隊の転策。


「甲斐では食いもん無くて、年寄り子供が死んでるだ・」

「仕方無えで一揆を起こして、皆処刑されただ・」

「北の方では村を捨て、他国へ逃げたというだ・」


「この冬を越えられるのは、いねえかもしれね・」

「人の土地を荒らすより、国の家族を喰わせるだよ・」

「すぐに帰らねえと、帰る所が無くなるだよ・」


 南遠州・天神山城に対する陣を敷いている甲斐・甘利隊は、朝比奈勢に補給路を遮断されて苦境に陥っていたが、武田本隊の南下により補給が来る様になって安堵していた。


だが少し前から先の様な敵の口舌に悩まされ、再び深刻な事態に陥っていた。

敵の呼びかけのどれもが実際に見てきたような内容で、誰もがそうなっているだろうと思える事だったからだ。

結果、足軽らの士気は地に落ちて浮き足だち、もはや継戦不能だと判断した方面軍大将の甘利信忠は本隊の武田義信に伝令を出して伺いを立てた。




永禄十四年(1571)十一月 遠州諏訪原陣城 武田義信


 やっと富田城が落ちて、朝比奈の本城・掛川城まで目と鼻の先だ。これで遠州攻略も峠を越えた。これからだ、これから一気に遠州を武田のものとするのだ。

ところが三河に侵攻した勝頼の隊は、吉田城を落としたが野田城を奪われて補給路も退路も遮断された。


水軍での補給と脱出を願ってきた。まったく忌々しいことだ。

何が『父上の汚名をそそぐ』だ。結局は我らの足を引っ張っているではないか。

しかし勝頼とその近衆はともかく三千の武田兵を見殺しには出来ぬ。そこで五隻の水軍船に救出に行かせた。



 甲斐で一揆が発生して代官所を襲い、他国へ逃散する民が出ている。祖国の甲斐がそのような事になるとは思ってもみなかった。動揺する我らにさらに衝撃がきた。北条が一方的に同盟を破棄してきたのだ。


「北条が同盟を・・・」


「はっ。甲駿相同盟は今川が滅んだ時に潰えていると・」


「ならば何故今だ・・・手薄となっている甲斐を狙っているのか? 」


「おそらくは、国境の兵を増強しております故に。一揆が横行する今の甲斐は、刀槍よりも食い物で簡単に取れましょうな・」


「まずいな・・・」


「左様、甲斐は武田の中心地。もし甲斐を失えば武田家は瓦解しますぞ」


「・・・」「・・・」


「ならば御屋形様、いっそ甘利隊を甲斐に戻しては如何ですかな。彼等に一揆の鎮圧と北条の抑えをさせましょう」


「それは妙案じゃ。甘利殿と一千五百兵がいれば、一揆鎮圧と国境防衛が出来ましょう」

「某も賛同致します」

「某も」


南の天神山城を囲む甘利隊は敵の口舌攻撃で足軽が浮き足だち、もはや継戦不能だと言って来ておるのだ。こちらも同じ様な状態に晒されているで、甲斐の百姓で構成された甘利隊の苦悩は良く解る。兵も半減して士気も大幅に落ちていたのだろう。

それにしても朝比奈勢は甲斐の状況に通じているな。ひょっとして一揆も朝比奈の煽動かも知れぬ・・・


「ならば、甘利隊を甲斐に戻そう。急ぎ伝令を出せ」

「はっ! 」



「さて、南から攻略していた甘利隊がいなくなる。この後の策を考えよ」


我らは東海道・諏訪原にしっかりとした陣城を構築。目の前に立ち塞がる火剣山砦、南の横地城・中尾砦・朝比奈城と順に落として最後の難関の富田城もやっと落ちた。これで御前崎半島の東を制したのだ。

これから東と南そして北から包囲網を縮めて行くつもりだったが、南の甘利隊がいなくなったので策を練り直す必要がある。



「宜しいか。東の北条が信用できぬ以上、戦を長引かせるのは愚策で御座る。ここは策を転換して一挙に掛川城を叩くべきかと・」



「某も内藤殿の策に賛同致す」

「某もで御座る」


 うむ。某もそうしたかった。実は長引く戦陣がほとほと嫌になっていた。駿府の館でのんびり書でも読みたいのだ。

だが某からは間違ってもそういうことは言えぬ。策の変更も軍議の上で決めることだ。当主とはいえおのれの一存で決めるのは良くない。

だから、内藤と相談して決めたのだ。なにも全土を制圧する必要は無い、本城さえ落とせば後は家臣に任せば良いのだ。


「うむ、良かろう。ならば陣立てを言え」


「守備兵を残さず、五千の全軍で当たります。

まずは某が横地城より一千で北に向かい敵と対峙。

御屋形様は富田城を出てその側面を突く。

その隙に諏訪原より騎馬隊が東海道を急進して掛川城を囲むます」


「敵は籠城せずに出て来るか? 」


「掛川は朝比奈の中心地の町で御座る。我比の兵差が無く町を荒らされるのを嫌うでしょう。そして野戦では我らが有利で御座る」


「うむ、他に何か無いか?」


「出て込ぬのならば、焼き討ちで誘き出すべき」


「いや、これから冬になる。建物は必要で御座れば焼き討ちは避け、城を囲むのみにすべき」


「左様。本城を囲めば遠州を取ったのも同然」

「しかり。すぐに遠州は武田の領地になる。町を燃やすのは剣呑だ」

「いたずらに家を燃やせば民の反感を買うぞ・」

「一揆はもうこりごりだからな・」


 うむ、父上の時代は、戦場では平気で焼き討ち乱取りをしたが某の差配するお家ではそのような野蛮なことをしたくない。それを家臣らは良く解ってくれているようだ。


「良かろう。内藤の策でいこう。決行は十日後。南に出ている兵を呼び戻せ」


「「はっ!! 」」



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