第381話・島津の方針転換。


 永禄十四年(1571)七月 日向池の尾 捕虜宿舎 島津義弘


 あと五日で我ら全員が解放されることが決まった。既に半数の者が解放されて薩摩に戻っていった。

 岩瀬川に架けられる橋は、両岸と川中の石組みは出来上がり手前の橋桁が架けられている。もう少しで出来上がる。幅三間の橋はさぞかし立派な物になろう。 

流れの中に立ち上がる石組みは、実に頑丈に仕上がっている。一つ一つの石にも記憶がある愛おしい石組みだ。

それにしてもこのまま帰るには心残りがある。


「松山殿、お願いがあり申す」

「なんだな、島津殿」


「山中兵の朝調練を見せて貰えぬか」

「構わぬぞ。朝食前一刻半に兵舎前に来られよ」


 某を・薩摩の精兵をあっという間に打ち倒した調練を見たかった。それが心残りだった。こんなにあっさりと許されるのならば、もっと前に願い出れば良かったな・・・



 某たちは目の前に繰り広げられる調練の凄まじさに唖然としていた。山中兵の朝調練を見に行くと言うと、全員が付いてきた。さすがに全員で行動すると不穏だと思ったが、これもあっさりと許された。


行った時は、各個人が思い思いに稽古していた。高い集中力で熟すそれは強兵だと納得出来る稽古だった。だが、小隊を組んでの実戦稽古に入るといきなり空気が変わったのだ。


激しく動いていた小隊同士が唸り声を発してぶつかった。正気か、と思える激しさだ。もっと言えば戦の時より数段凄まじい勢いだ。転じてぶつかり散開して固まり突き破って反転する。目の前で二匹の龍が戦っているような気がした。


 背筋に冷水を浴びせられた気分だ。朝飯前に、某達が惰眠を貪っている間に山中兵は、あの様な激しい調練をしているのだ。


 兵舎からの帰り道、誰も口を聞かなかった。皆打ちのめされたのだ、山中兵の厳しさに。おのれの惰生活に、かれらの圧倒的な力の源は努力だと知った。これでは何度戦っても勝てないと。

 その夕から兵らも自主的に調練を始めた。思い思いに体を動かす彼等の目は真剣そのものだった。某も体が悲鳴を上げるまで動かした。だが焦る気持ちは些かも消えなかった。


翌・朝めし前の一刻、某は一人山中兵の兵舎に向かった。思い思いに汗を流している兵は誰も付いては来なかった。


「松山殿、某に稽古を付けて頂きたく罷り越しました」

「うん。良いぞ」


 頷いた松山殿に稽古槍を渡され簡単な注意を受け、礼を交わし、稽古槍を構えた。すると松山殿が構える穂先が大きく某を圧していて、冷や汗が背を伝った。


 やはり、これ程の力の差があったのだ。

「まいられよ」と声を掛けられるが、とても踏み込めぬ。


「島津殿、体の力を抜きなされ、これは稽古で御座る」と構えを解いた松山殿に悟らせられた。そして両手を垂らして待たれている。


 そうであった。戦の後で、つい力が入っていたわ。

 ふふ・某はまるで初心者だな・・・


 よし。胸を借りる気持ちだ。


 一歩踏み込んで喉元に突き込んだ。



 数日後 薩摩内城下


島津家菩提寺・福昌寺でこの日行なわれたのは島津家前当主・島津貴久の大法要だ。ひと月と少し前、伊東家との戦の最中に貴久はひっそりと亡くなった。急な事で老臣はおろか倅達も間に合わなかったのだ。


 それが無事終った後、内城の大広間に当主義久と三名の弟・一門衆・重臣らが一様に安堵した顔で居並んでいた。


「父の供養を無事終えることが出来た。そして年初よりの侵攻で肥後を得て。伊東との戦で捕囚となった五百の者らと義弘も無事解放され戻った。何もかもが一段落したのだ。それもこれも皆の苦労のお蔭である。次なる戦のためにこれより十日ほどは休んで鋭気を養おうと思う」


「ふう・・・」と、義久の言葉に皆は、安堵のため息を吐いた。


「伊東との戦では双方とも大きな痛手を負った。そこで方針を転換する。日向・大隅の制圧は棚上げして肥後の経営と北を目指す。良いな」


「・・・」

「・・・阿蘇か」

「そして龍造寺・・・」


 肥後の北にある阿蘇家には相良の残党が逃げ込んで激しく抵抗している。当然制圧せねばならぬ。その北の龍造寺は自立して大友家と争う強力な勢力だ。

 一筋縄ではいかぬ。



「ところで御屋形様、北郷がこの場に御座らぬが・」

と言ったのは、庄内と領地が位置的に近い入来院だ。


「北郷は街道普請を潰そうと兵を集めておるわ・」

「それを許されたので? 」


「儂はならぬ。と申したが言うことを聞かぬ」


「しかし街道普請は数百の兵が従事していると聞く。それ程の他国兵を自領に入れるわけにはいかぬと存づるが・」

「某も入来院殿に同意だ。他国の兵は力で阻止するしかあるまい」


 東郷と入来院は二年ほど前に薩摩家に従属した国人衆であるために、島津家内で流れる情報に疎いのだ。


「それが出来ぬから、御屋形様は争うなと言っておられるのだ。それに見方を変えれば多数の他国兵が自領の街道を整備してくれるのだ。街道が良くなれば商いも増えて税も増える。つまり楽して利を得られると言うことだ。一概に悪い話では無い」


「しかし、多数の敵兵を領内に入れるのは納得出来ぬ。北郷殿の気持ちは理解出来申す・」


「二人の言うことももっともだ。儂も少し前まではそう思っておった。だが山中国は強い、とんでも無く強い。その山中国から北郷に通知があった。

『普請への協力と関所の廃止・自由通行を認める事。不同意ならば兵を上げて阻止すべし』つまり街道普請を許可するか戦って滅ぶか選べと」


「なんと、尊大な・・・」


「そう尊大で身勝手な通知だ。北郷はカンカンに怒って普請の手伝いに行く民を捕えて首を晒したのだ」


「まさか、何故? 」


「大隅の道普請には大勢の民が手伝っておる。山中国が出す給金が目当てだ。庄内からも民が手伝いに出ていたようだ。北郷殿はそれが気にくわなかった」


「・・・御屋形様は庄内へ援軍を出さぬおつもりで? 」


「出せぬ。出せば島津家が滅びる。今は耐えるしかないのだ」


「・・・」

「・・・」


 島津義久は北郷家を見殺しにするほか無かった。五万石に近い土地と一門衆最大の北郷家を失うのは痛い、まさしく苦渋の決断であった。


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