第380話・北郷時久の怒り。
永禄十四年(1571)七月 日向池の尾 捕虜宿舎 島津義弘
「飯だ、飯! 」
「待ってた、ちょー! 」
「わい、もう腹ぺこだが! 」
大八が引かれて来て椀によそおった飯が並べられると、待ちかねた者らが争うように食い始める。ここに捕えられて二十日は経ち暮しにも慣れた。朝餉の後は二刻の働き、そして昼餉・二刻の働き・夕餉と規則正しい暮しだ。
ここにいる者は五十名。屋根だけの宿舎も皆で建てた。飯を作り運んでくる者も同じ捕囚だ。こんな宿舎が周囲に十箇所にあって皆それぞれの働きをさせられている。
宿舎の廻りには見張りの高櫓が点在していて、兵の詰める兵舎もある。働いている所には弓矢を持った兵が遠巻きに並んでいるが、縛めも手足の拘束も無い。武器は無いが働く道具は武器にもなる。五十名で反抗すれば脱走も可能だと思うが誰もそういう気は無い。
何故なら、あとひと月も経たずに解放されることが決まっているからだ。例え反抗したとしても即座に半数は倒されるだろう。彼らの持つ短弓は素早く扱えて、驚くべき速射も出来る事を見せつけられた。
それに我ら大勢でも刃が立たなかった山中兵がいるのだ。
あの日、
猛追をかける我ら立ちはだかったのは、松山殿ら山中兵僅か五十名だった。
それが悉くやられた。某も迫って来た棒先に動く事も叶わずにあっという間に昏倒したのだ。
三百兵三隊が同じ運命を辿った。
薩摩きってのぼっけもんも牙を抜かれたのだ。直ぐに解放されると判れば、反抗する気力は微塵も湧かぬ。
ここには島津家の使者も通され、当初その使者が申すのには、某は討ち取った将の首二十五と交換で直ぐに戻れると言う。
断った。
命懸けで戦った配下の者を残して某一人が戻るわけには行かぬ。戻るのならば最後だ。首の変わりは怪我した者十名を戻した。残りの者は一人五貫文と交換だそうだ。お家は今銭の工面に駆けずり回っているという。
肥後侵攻をしているお家に今、使える銭は無い。商人に借りるしかないが借財が増えるばかりで戦費が無く戦が遠のく。
ふむ。良い思案よの。
伊東も好都合だろう。島津も貴重な兵は銭には変えられぬ。それに某も一兵卒も同じ値なのは愉快だ。今までに無かった考えだ。
これはおよそ、松山殿の入れ知恵だな。
我らの働きは、川に架ける橋桁を支える石組みだ。他の組は石切・石運び・土運び・伐採・材木運び・鋸曳きに小割から飯炊きと分けられている。
石組みの中でも最も難しい川中の石積みが我らの役だ。川の流れを変えて土砂を掘り材木を置いて大石を積み上げる。
「そうだ。その石の平らな面を流れにしろ。今だ、割石鋏め! 」
指揮は山中兵、それも隊長の松山殿が直接指導している。水の流れを考えて洪水でも流されない様々な工夫がなされているのが分る。分るが俄に覚えられるものでは無い。
「山中兵の基本は調練と普請だ。普請には道から建物まで様々な仕事があるが、儂は不器用で大っぴらだ。しかるところ道普請と川普請しか出来ぬで、わっはっは」
道普請はここまで伸びて来ている伊東家が作った街道を見た。広い四間幅の頑丈な道が真っ直ぐ伸びていた。山中国製の数々の優れた道具と指導によって出来上がった感動する道だ。
川普請も大規模だ。新領地の氾濫しそうな川の付け替えを何度も行なってきたらしい。そう聞くと氾濫した薩摩の川を幾つか思い浮かぶ。あれらを治水したいものだ・・・
庄内 北郷忠虎(北郷時久の次男)
「ええい、島津本家は腑抜けと成り果てたか! 」
と父上が蹴飛ばした床几は、襖を打ち倒して共々に庭に転がった。
「忠虎、道は何処まで来ている! 」
「月野原で御座る。どうやらそこらで高隅城から道と繋がる模様で」
「さすれば、間も無く我が領では無いか。妨害が上手く言っておらぬのか」
「闇に乗じて勢を繰り出し、整地した所を荒らし、道に穴を開け、崖から大岩を落とすなど様々な妨害工作をしておりますが、なにせ普請は大人勢で御座る。夜間の工作など直ぐに修復されまする」
山中国が街道普請している兵は五百人規模だ。それに大勢の民が参加して大普請にもかかわらずに思いのほか早く進んでくる。幅四間の広い真っ直ぐな道。割石を敷き粘土で固めた固い道は、荷を満載した馬車が通ってもビクともしない道だ。
その街道が大隅国を志布志から西の錦江湾に横断して、さらに北上して高隅城辺りでこちらに向けて進んでくる。それが月野城あたりで志布志から北上して来た道と合流する縄張りだ。
月野城から我が領内まで二里少しだ、十日ほどで到達することになる。
「民だ。民の手伝いが気に喰わぬ。我が領の民も出ておると聞く、それを止めさせろ」
「街道には関所を設けて通知しておりますが、給金を貰えると知った民は山野を抜けて行きます。全て取り締まるのは無理で御座る」
「給金。それよ。どいつもこいつも銭々と騒ぎやがって。そもそも商人の真似事をするなど武士の風上にも置けぬわ・」
今、島津本家は金策に走り回っている。伊東に捕えられた五百の兵を取り戻すためだ。義弘様をはじめ捕えられた五百の薩摩兵は、北で岩瀬川に架かる橋を作らされているらしい。
島津家は捕えられた兵を取り戻す為に銭を集めている、それも父が機嫌を損ねている一因だ。『島津は強引なやり方が信条だ。銭を払って兵を取り戻すなど温すぎるわ』といっている。
たしかに今の島津家は軟化している。だが、それには理由がある筈だ。それをよく調べもせずに否定して悪し様に言うのはどうかと思う。多くの将兵を討ち取られた伊東家が、島津兵の首を取らなかったのも不可解だ。
「よし。普請戻りの民を捕え、銭を没収しろ。十名ほどは見せしめに処刑せよ」
「処刑・それは悪手ですぞ・・・」
そんな事をすれば民の反感を買う。統治が浅いこの地は肝付家贔屓の民が多いのだ。
「構わぬ。儂の命令だ、良いな」
「はっ・・・」
父上の命はあったが、さすがに勤勉に働く善良なる民を処刑するのは拙い。普請帰りの者を捕えても「次は処刑する。もう来るなよ」と脅かして放免するのが精一杯だった。
だが、三日ほど経って山中国から通知が届いた。
『街道普請の事。
山中国・大隅は志布志湊から博多湊に幅四間の街道を通すことにした。
街道は土地の領主に大きな利をもたらすものである。
故に領主は普請への協力と関所の廃止・自由通行を認める事。
もしこれに不同意ならば兵を上げて阻止すべし。
山中国・大隅差配 堀内氏虎』
とんでもなく強引で無礼な通告だった。こんな通告は、今まで見たことも聞いたことも無かった。当然ながら父上は烈火の如く怒った。
「なんと傲慢な! 」
「お望み通り力ずくで阻止してやるわ。兵を集めよ! 」
各地に召集の伝令が走った。全兵召集だ。最大の兵動員で一気にひねり潰すという。島津家臣最大を誇る五万石近い北郷家の動員は二千兵、たいして街道普請の兵は五百、地の利はこちら、包囲して壊滅する事も難しく無い。
だが、何故か不安が大きい・・・
翌日、街道検問所に整然と並んだ一隊が来た。兄・相久の隊だ。
「忠虎、今日は儂が変わる。お主は戻って戦に備えよ」
「いえ、兄上、戦の備えは済んでおり申す。ここは某が努めまする」
父上の『普請戻りの民を捕え、銭を没収、見せしめに処刑せよ』という命が出ている以上、ここを他の者に任すと民が難儀する。それを何とか穏便に済ませるためにここを受け持ちたいのだ。
「お主の気持ちは分るが、それはならぬ。父上の命令だ。忠虎、戻って戦に備えよ」
「・・・相分かりました」
兄上は父上の命令を受けてきた。父上は見せしめに民を処罰するつもりだ。父上は某が見逃しているのを知っていたのだ・・・
その夜、普請働きに行った民二十名が捕えられて処刑されたのを知った。しかもその首を棒に刺して街道に並べているという。
なんて事を・・・
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