第379話・戦の帰趨


 薩摩大口城 島津義久


 伊東が出兵して来た。総大将は当主伊東虎裕の弟・伊東義益、率いる兵は三千数百兵だ。それに対するのは義弘の五百、そしてあちこちから掻き集めた兵一千二百を何カ所にも埋伏させた。昔からある伏兵策だが、それを家久と義弘が究極まで練り上げ「釣り野伏せり」と名付けた。


釣り野伏りは、少数で多勢の敵を壊滅する必殺の策だ。だが同時に途轍もなく難易度が上がり、釣り込み役は壊滅寸前まで戦い尚且つ息も絶えるほど駆け回らなければならぬ。薩摩最強の義弘隊がいなければ出来ぬ策よ。


 そして戦が始まった。


絶妙の釣り込みをしたという報告もあった。だがそれ以降の報告が無いのだ。無論伝令を出すどころでは無いほどの激戦なのだろう。

それにしても、一刻がたち二刻が経っても一向に報告が無いのはおかしい。まさかいまだに激闘中などと言う事はあるまい。人はそれ程長くは働けぬ・・・


 すぐさま兵を派遣して、領界の防備を固めた。そして新たに何組もの物見兵を派遣した。そうして待つ間にも最悪の状況が頭をよぎる。


 まさか、義弘が討たれたのか・・・鬼島津と言われたあいつが伊東如きに討たれるとは信じられぬが・・・もし島津の軍神たるあいつがいなければ、これからの戦いは難しくなる・・・いや、それよりも・・・




「殿、逃げ戻って来た数名の兵を物見が収容し、それらからの聞き取りによって、戦の詳細が分りまして御座る」


「申せ」


「緒戦ですが、待ち構えた義弘様隊五百は敵三千と互角以上に戦いを進めたと。しかるのち敵左右からの別働隊投入と先陣部隊の入替、さらに相良勢の突撃などがあり四割近くを失って疲労していた隊はやむなく後退を始めたと」


「それは筋書き通りだ。敵がうまく後退する切っ掛けを作ってくれたのに過ぎぬ・」


「はい。島津隊の後退は敵の追撃を誘い、直ぐに雪崩を打った猛追撃となりました。義弘様隊は巧妙に敵を引き連れながら移動、伏兵で敵を囲んで次々と粉砕したと。伊東裕安、源四郎始め名のある将二十五、雑兵五百もの首を討ち取ったと」


「そうか。ならば予定通りの勝利だな。だがそれならば何故、報告が無かったのだ? 」


「それには、まだ続きが御座いまする。義弘様隊は敵隊を粉砕したその勢いで、後方に進出している敵本隊を蹴散らすべく、三百の三隊で逃散する伊東兵を追撃した模様で御座る・」


「うむ。大勝利目前だな。その光景が目に浮かぶ・」


「はい。さすが義弘様、ここまでは完璧な戦ぶりで御座いました。島津隊は敵本隊をも殲滅する為に逃げる伊東兵を煽って追撃。敵本隊から足止めすべく出て来た少数の部隊と勢いのままに激突したと」


「そうか。うむ・・・して? 」


「その少数の隊は固い巌の様であったと。逆に跳ね返されて意識を失ったと・」


「なぬ・・・」


「その時の後続部隊の兵によれば、大勢の兵が倒れている前に数十人の棒を構えた隊がいたと。それに向かって三百で突撃したがあっという間突き倒されて意識を失ったと・・・」


「何と、続く二隊も同様に打ち倒されたのか・・・」


「はい。状況を考えるまでも無く、敵の数十名の部隊に追撃した三百兵三隊が打ち倒された模様で・・・」


「・・・・・・まことか。まことに九百もの兵が・・・義弘が討たれたのか・」


「いえ、逃げて来た者によれば、その部隊が使ったのは棒で大勢の者が生きて捕われたと申しまする」


「・捕われた・・・」


「はい。義弘様も生きて捕われたと聞きまする。それが事実であればと願っておりまする・・・」



「何処にいるのだ。捕われた者は? 」


「岩瀬川を渡った先の地で小屋立てをしている模様で御座る」


 ならば、地蔵原とは目と鼻の先だ。伊東は何を考えているのだ。いや、義弘や大勢の将兵が生きているのは僥倖だが・・・

 こちらは五百を越える兵を討ち取ったのだ。掴まった全員が首を刎ねられても仕方がないが・。何が狙いだ・・・




「殿、伊東家の使者だという僧が参りました! 」


「・通せ」



「拙僧は無斎と申す。伊東裕益様の言葉を伝えに参った」


「儂が島津義久だ。申せ」


「此度の出陣は旧領を取り返す為。出兵は山中国堀内様の承認を得てある事。しかし残念ながら我が方の武威が足らず旧領を取り戻すことは為し得なかったが、薩摩兵五百の捕虜を得た。ついては、双方の遺体の引き渡しと捕虜の交換をしたいと」


「・・・遺体の引き渡しに関して異議は無い。直ぐに始めよう。捕虜の交換か、鎌田、当方に捕虜はいるか? 」


「いえ。名のある将二十五の首のみ、首を取る価値も無き雑兵は放置しておりますれば」


「そういうことだ、無斎殿。当方に生きた捕虜はおらぬ。もし義弘が生きておれば名のある将の首二十五と交換しよう」


「生きてある者と死んだ者の価値は比べものになりませぬ・が、義弘殿は生きておられる。その条件は受けましょう。義弘殿は二十五名の首と交換致しましょう。さて後の四百九十九名の者は、生きた捕虜がいない場合は一人五貫文の銭と交換すると仰せです」


「銭か、よかろう。将の命が銭で買えるのなら安いものだ。鎌田、銭を用意せよ」


「殿、将一人五貫文(25万円)は安かろうが、雑兵に五貫文は勿体のう御座います・」


「鎌田、薩摩は僅かの銭を惜しんで大事な兵の命を捨てたと言われたいのか」


「い・いえ、それは・・・。解りまして御座る。銭約二千五百貫文(約2.5億)某がなんとしても用意致しまする」


「重慶。これにて拙僧の役目、無事に終えました。ではこれにて失礼致す」




「ふむ。捕虜を銭に変えるか・・・理に叶っているかも知れぬな。だが、しかし何となく腑に落ちぬ。肝心なことが、奥歯に物が詰まったような、分らぬ歯がゆさ・がある・・・」


「たしかに。肝心の領地交渉は御座いませなんだ・」


「うむ。あの辺りは元から領地の曖昧な所だ。無理に線引きする要は無いということだろう。それにしても双方、大きな痛手を負っても領地の進展は無しだ。共に痛み分けか・ん・山中国の承認とか言っておったな・」


「それです。日向の道普請の指導に五十名ほどの山中兵が入っていると聞き及びました! 」


「それは道普請の為だろう。まさか・」


 まさか。山中兵が参陣していたのか。だとすれば、少数の部隊というのは山中兵か。我が隊三百三隊を破ったのは・・・だがたかが五十兵では、しかし義弘を打ち倒すほどの猛者が伊東家に居るとは聞かぬ・・・肥後の丸目とてそこまでの者ではない、義弘ならば負けることはなかろうが・・・



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