第378話・地蔵原の戦い。


 相良家臣団が立て籠もっていた人吉城は、内通者が出てから内部分裂がありあっさりと落城した。落城の際に相良義陽、赤池長任、深水長智、丸目長恵らは日向伊東家に向けて落ちた。

その後肥後国は次々と島津家に制圧されていき、肥後侵攻軍の総大将・島津歳久により徐々に統治されつつあったが、国人達の反抗は根強くいまだ完全制圧にはほど遠い戦況だった。



永禄十四年(1571)六月 日向岩瀬川上流 伊東義益


 我が伊東家は盟友の相良殿の危機に兵を出したが、島津の厳しい警戒と守りについに国境を越える事が出来なかった。

そうしているうちに、あっという間に肥後は島津に蹂躙されのだ。真に無念で残念だ。辛うじて相楽殿と僅かな者達が日向に落ちて来られたのが救いだ。


 相楽殿らの要請を受けた兄上(伊東家当主)は、肥後の混乱が治まらぬうちに真幸院奪回をする決意を固めて兵を興した。無論、志布志の堀内殿の了解を得てのことだ。旧領奪回とはいえ山中国の許可を得ずに他国に侵攻するのは躊躇われるからだ。


 右翼は一門の裕安殿一千、左翼裕信殿一千、本隊は某が七百五十で前衛に又次郎の五百の総勢三千二百五十で出陣してきた。皆伊東の一門衆だ。

なお前衛には人吉城から落ち延びてきた赤池殿ら相良家臣二百と、本隊には街道普請の指導に来られた松山殿らも某の助言方として参陣して貰った。山中兵は全部で五十、驚く程の精兵だが少数なので戦力にはならない。



「松山殿、島津は伏兵を用いてくるのですな」

「左様。大将が堀内殿にわざわざ助言したのだ。間違い御座らぬ」


 『島津には十倍の敵を壊滅するほどの伏兵策がある』これが山中国から届いた助言だ。そのことは各将に伝え、追撃は慎重にせよと伝えてある。敵の策が事前に解っておればよもや嵌まることはあるまい。



「おん大将、敵陣まで半里で御座る! 」

「そのまま前進せよ。右翼・左翼は周囲の警戒をさらに密に」

「はっ! 」


 陣を敷いているのは真幸院を守備する島津義弘勢五百。『鬼島津』の異名を持つ島津一の猛将の率いる精兵部隊。六倍の兵を持っても決して油断出来ぬ相手だ。


「距離三町、一旦停止します! 」


 矢玉の射程の外で停止する。敵の顔が見える距離だ。左は山裾が迫って来ており右は川、その間に小広く開けた原に陣を敷いている。

 その中でも一際大きい黒駒に跨がっているのが島津義弘・鬼島津だろう。兵の誰もが六倍の敵に微塵も動揺していないようだ。


 オオオオオーと雄叫びを上げて敵は矢合わせもせずに盾を翳して突撃してきた。


「放て! 」


 弦音を発して無数の矢が空を染め駆けてくる敵に吸い込まれる。幾人かが矢に当たり倒れるが突っ込んでくる敵陣は変わらぬ。まっこと揃いも揃って命知らずのぼっけもんらだ。

 距離は詰まって来て、奴らの表情が見えている。獲物を前に興奮している獣の様な顔つきだ。その臭い吐く息が匂いそうな近間だ。


「弓隊下がれ。槍隊前に。掛かれぃ! 」

「おおおおお!! 」


 剣戟の音が沸き起こった。先陣の又次郎隊と右翼左翼の隊が細長い縦列となって移動してぶつかっている。敵も一歩も引かぬ激しい攻防だ。見る間に後方に運ばれてゆく負傷者が続出した。敵もご同様だ。

 しかし、このままでは多数の利を活かせぬ。別隊で戦線を広げて敵を消耗させるのだ。


「右左翼から別隊を送り込んで、包み込め! 」

「はっ! 」


左右の外側を一隊が細い流れとなって敵に向かう。伸びた戦前に敵がじりじりと下がり始める。敵の数が半数近くに減っている。移動したあとに残る負傷兵の姿が目につく。又次郎隊の負傷者も多い。


「本隊から兵を出せ。又次郎隊の負傷者と交替するのだ! 」

「はっ! 」


 二百兵が向かうと又次郎隊は息を吹き返した。それは、味方全体の士気をはっきりと上げた。


「島津隊、後退し始めましたな・」

「松山殿、鬼島津でもさすがに半数まで減れば後退しますか・」


「ですが、敵にはまだ少し余裕がありまするぞ・」

「・まさか・・・」


「肥後の恨み、思い知れぃー!! 」

 後退する島津勢に相良隊が猛然と突撃した。


 後退する島津の足が、相良勢を躱すために早くなった。

 猛然と追撃する相良隊に全力で逃げる島津勢。他の隊は申し合わせのためにそれに追従しない。


 拙い・・・相良隊が孤立する。

 いや、左翼・裕信隊が追った。


「左翼から伝令。相良隊を孤立させない様に追撃すると」

「うむ」


「裕安様から伝令。右翼隊も慎重に追従すると」

「・そうか」


「松山殿。やむを得ませぬな」

「こうなった以上は本隊もゆるりと進むほか御座らぬ」


「負傷者を残して本隊も前進する。ゆっくりとだ! 」

「はっ。ゆっくりと前進! 」



 我らはゆるりと半里ほど進んだ。すぐに追撃する隊は見えなくなり、どこかしこから戦の響めきが微かに伝わってきている。本隊があまり闇雲に進むと危険だ。見晴らしの良いこの辺りで隊を止め追撃隊が戻って来るのを待つ。


だがそうなると不安が兆して来る。追撃する側面や背面からの伏兵に襲われているのでは無かろうかと・


「松山殿、敵に伏兵はあるかの・」

「必ず」


「そうなると、相良隊を連れて来たのは間違いだったか・・・」

「それは仕方御座らぬ。我らが伏兵有りと知っているだけ僥倖かと」


「知らなかったとすれば? 」

「本隊も壊滅。敵の追撃は佐土原城まで及びましょう。或いは日向全土」


「・・・それ程に」

「はい。ひと戦の勝敗だけでは、大将がわざわざ助言しないと感じまする」


 某の考えが甘かった。それ程重大な結果になるとは思っていなかった。

 なるほど。山中様が日向の戦にわざわざ助言されるほどの重要事なのだ。



「兵が逃げて来ます! 」

「左翼隊です! 」


 兵が、槍も陣笠も身に付けていない兵。武器を投げ捨てて体一つで、てんでバラバラに逃げてくる兵たち。その顔は恐怖に歪んでいる。

敗走だ。目も当てられないほどの大敗走だ。


「左翼本隊、来ます! 」

「裕信殿は無事か? 」

「無事のようです! 」


「右翼隊も敗走して来ます! 」

「右翼本隊も固まって来ます! 」


「敵! 」

「敵の追撃です! 」

「敵三百、猛然と追撃してきます! 」

「先頭は鬼島津! 」



「来たか。戦える者は前に出よ。鬼島津を止めるのだ! 」

「待たれよ、義益殿。敵は我らが止める。その間に逃げて来た兵を収容して陣列を整えられよ」


「し・しかし松山殿、敵は三百、しかも鬼島津ですぞ・」

「ならば相手にとって不足は御座らぬ」


「いや、その・・・」

 そうでは無い。三百に五十では劣勢過ぎる、相手にならぬと言おうとしたが、松山殿は行ってしまった・・・


「山中隊、前に出よ」

「「おう! 」」


 一気に半丁ほど走り出て並んだ山中兵五十。何と持っているのは長さ二間の稽古槍(棒)だ。それなのに皆が皆、嬉しそうに微笑んでいる。


 何故だ・・・


「ものども、久し振りの実戦だ。日頃の鬱憤を晴らせ! 」

「「おう! 」」


 そこへ急追して来た新手を加えた鬼島津の一隊三百が土埃を上げて猛然と突っ込んで来た。思わず目を塞ぎたくなる凄まじさだ。


 だが、土埃にまみれて打ち倒されているのは、皆島津兵・・・


「洩れなく突き倒せ! 」

「「おうー! 」」


 普段、普請で土に塗れている山中兵が水を得た魚の様に躍動している。


「キャッホー! 」

と奇声を上げているのは松山殿か。ただその姿は目に止まらぬ。

 いや、山中兵の手の動き・足さばき全ての動きが残像を纏ったようだ。早すぎてはっきり見えないのだ。


 敵三百兵が全て打ち倒されたのは、あっという間の事だ。鬼島津の乗っていた黒駒だけが当たりを所在無くウロウロしているが、立っている鬼島津の姿は無い。


 倒されたのか・・・鬼が呆気なく・・・



「敵、来ます! 」

「およそ三百! 」


 再び敵。その前に味方の兵が必死の形相でバラバラと逃げ戻って来ている。何もかも投げ出して武器すら持っている者は少ない。



「よーし。体が熟れたところで次だ。遠慮なく打ち倒せ! 」

「「「「おおー!! 」」」


 なんと松山隊は減っていない。六倍の鬼島津隊を壊滅させたのに。それどころか、さっきより士気が上がっている・体が熟れただと・・・



「しゃー!! 」「おりゃあ! 」「でえぃ! 」「キャッホー! 」

 倒れた兵を避けて前に戦場を移した松山隊は、又してもあっという間に三百兵を打ち倒した。


その間にも逃げ戻って来る兵がいる。合わせて四百程になった。

その中から動ける者に、転がっている敵の手足を縛らせて武器を取り上げさせた。

敵を打ち倒したのは松山隊だ。棒で打ち倒したから半数以上が生きているが、他の者が首を取ることは出来ない。

運ばせた武器は無い者にもたせた。



「さらに敵! 」

「敵三百来ます! 」


「おーし。数百の味方が討たれたのだ。少々荒くなっても構わぬ。打ち倒せ! 」

「「「おおー!!! 」」」


 松山殿の指示に松山隊の意気が更に上がる。少々荒くなると言うことは、疲れたと言うことか。

 多勢を軽々と打ち倒すその光景を逃げて来た兵が呆然と見ている。ここいらに横たわる数百の敵を打ち倒したのが彼等だと知って驚愕している。


 そりゃあそうだ。松山隊はたった五十だ。ケタが何倍も違う。目の当たりにした某でも信じられぬ思いだ。


 しかし、はっきりと解る事は、松山隊がいなければ、間違い無く我らがそうなっていたということだ。



 しかし強すぎる松山隊・・・


 そうか。

 山中様がわざわざ助言され、堀内様がこちらに派遣してくれた隊だ。

 それなりの強者を寄越してくれたのだ。


  それなり・・・

 いや、最強だろ。


 いるのか?

 彼等を凌ぐ者が、

 山中国には・・・


 兵に支えられながら漸く又次郎も戻って来た。傷だらけだが命に別状無い。転がっている薩摩兵を見て嬉しげに微笑んでいる。


「義益様、只で道普請をやらせる人夫が大勢出来ましたな」

「むう、そうか・・・」


 荒くれのぼっけもんが大人しく捕虜となって道普請するだろうか・・・

 あとで松山殿に相談すべしだな。


追撃した左翼隊五百、戻って来た兵二百、将の裕信殿も無事。

右翼隊五百、戻って来た兵二百五十、将の祐安殿と御子息の現四郎は討死した。

先陣五百、戻って来た兵百五十、将の又次郎は無事だった。

相良隊二百の内戻って来たのは五十、赤池殿、丸目殿は辛うじて生きて戻った。尚、当主相楽様と深水殿は佐土原城で参陣しておられない。


 緒戦の分も入れて、死者五百・負傷者一千五百もの大敗戦だ。戻って兄上に詫びなければならぬ。それでも松山隊がおられたお蔭で大勢の命が助かったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る