第377話・北薩摩大口城。


その頃、北薩摩の大口城下は多くの人々が集まりごった返して、混乱していた。


そうなった原因は、島津家が突然・本拠地を南の内城からここ大口城への移転を決めた事だ。それに呼応した大勢の家臣団が山ほどの物資と郎党家族を伴って無秩序に大口城下に雪崩れ込んで来ていた。

人が急造すると食べ物や日用品の需要が増える。更に木材・石材などの普請の材料も無数に必要だ。またその人夫や人夫の生活を支える物資も必要ともうとにかく、てんやわんやの状況になっていた。


その渋滞に遭遇し長く待たされている者達は、隠しようも無いほどイライラが募っていた。今も遅々として進まぬ混雑に騎乗の侍を先頭に進んできた一行が、殺気だちながら前を塞ぐ百姓らに怒鳴っていた。


「どけっ、どけ、退かぬか、百姓ども。いつまでちまちまとしているのだ。御家老様の一行が通る。道を開けよ! 」


「・・ほったらこと言われたって、渋滞しているのはおら達のせいじゃなかよ・」


「戦だ! 我らは殿の命で戦に出向かねばならぬ。一刻を争うのだ、とにかく今すぐ道を開けよ! 」


「・・そんつらなこと言っても動けねえのは見りゃあ分るべ。・・ったく、狭い道に大勢で押し掛けたのは御家臣衆だべ。それで迷惑しているのはおら達だがや・」


「そっだ。お侍衆が急に押し掛けてきて、おら達の食いもんも無くなっただ」

「ふんだ。そのうえこの大混雑。おら達は畑に行かねばならね。困っているのはおら達だべ」

「そっだ。そっだ」



「おのれ、百姓の分際で。・・・許せぬ、そこになおれ! 」

「と・殿、なりませぬ。ここは大殿のお膝元で御座りますれば、穏便に・」

「ぐ・ぐぬぬ・・・」



 島津貴久が隠居して、島津義久が家督を継いだのが永禄九年・五年前の事である。

その前後から島津家の動きが目に見えて活性化していた。調略と武力により、じわじわと勢力を広げて既に領地は倍増してその勢いは更に増していた。

 南は、北大隅の廻城から庄内そして飫肥城へと侵攻して肝付家を圧迫していて、北は南肥後の諸城を攻略して自軍に組み込み、ついに相良家を人吉城に一気に追い詰めていたのは少し前の事だ。

 今の島津家はまさに『飛ぶ鳥を落とす勢い』があった。



 大口城 島津義久


 数年を掛けて相良領南部の制圧と、他の国人衆の調略を密かに進めた。それがおおよそ成ってから、歳久が一挙に雪崩れ込んで相良と重臣らを人吉城に押し込んだのだ。急な侵攻と援軍を断ち切った事で人吉城の城兵は五百ほどしかいない。

それを三千の兵で取り囲み、寝返った国人衆の兵を中心に揉みに揉んでから調略を仕掛けている。既に守兵は半数ほどに減っているだろう。最早人吉城は風前の灯火だろう。



「家久、人吉城はもうすぐ落ちるな? 」


「はい。城内の者も調略で寝返る者が出始めておりますれば、次は誰かと城兵は疑心暗鬼になっておりましょう。内に敵を抱えれば、籠城は続けられませぬ。ですから半月も持たぬと思いまする」


「半月か・・・人吉城が落城した暁には一気に肥後を制圧する。それには更なる兵と多数の内政方が必要だ。内政方の手配は進んでいるか」


「はい。既に内政方とその警護方の選抜・通告を終え、いつでも召集派遣できる状態です」


 島津は三方に敵を持つ故に、相良領の制圧にそう時間を掛けていられない。その為に肥後にはさらに一千兵を派遣して一気に制圧する。

当然その間にこちらで動ける兵は少なくなるがそこはなんとかやり繰りするしか無い。

 今薩摩の動かせる兵は六千程。歳久が三千を率いて肥後に、さらに一千兵を派兵する。庄内は北鄕が五百、義弘が真幸院に五百、内城に五百、ここ大口城にも五百兵を配置している。


相良領の仕置きは、歳久に全て任せておけばよい。問題は東の伊東と南の山中国だ。日向国・伊東は相良と同盟関係にある。我らの相良侵攻を知り国境に兵を集めてこちらを伺っている。

伊東は何時攻め込んで来てもおかしくない。伊東が本気になれば、動かせる総兵力は一万を越える。それに対してこちらは真に心許ない数だ。

肥後全土を掌握するまで本格的な戦は避けたい。まして今は田植えの時期だ、あと三ヶ月は戦地が広がるのを割けなければならぬ。



「鎌田、伊東の様子は」


「はっ。国境に集まった日向兵一千の数は変わりませぬが、その殆どが道普請に転じておりまする」


「道普請か・道を整備すればいつでも大軍がすぐに駆け付けてこられると言う訳だな。つまり伊東は大軍動かす準備をしているのだな」


「間違い御座いませぬ。それに、どうやら山中兵が道普請の指導をしている模様で御座る」


「肥後の制圧をしながら伊東や山中を相手には出来ぬ。ここ三ヶ月は争いにならぬようにしたい」


「・こちらからは静観するしか御座りませぬ。しかし三ヶ月もたてば街道は庄内を通過して山中国と日向国が結ばれましょうぞ・」


「む・それは拙い。・・・ならばひと月だ。ひと月をなんとかやり過ごすのだ」


「それでも山中国からの街道はふた月と待たずに庄内に達しましょう。それを庄内の北郷が黙って耐えましょうか? 」


「是が非でも耐えさせよ。もし争っても小競り合いで終わらせよと」


「・その様に通告を出しまする。山中国は道普請と自由通行を許せば争わぬと利いております故に」



 ここ大口は、薩摩・大隅・肥後・日向四州の要衝だ。

その四州を制圧して豊後の大友と覇を競うつもりの島津は、いずれここに拠点を移すつもりであった。

 それが早まったのは大隅が山中国になったためだ。相手が山中国ならば海沿いの内城など船からの攻撃で簡単に壊滅する。山中国の水軍は強く、島津水軍では太刀打ち出来ないのだ。

それで内陸地の大口に急遽本拠を移すことにしたのだ。なあに、ちと予定が早まっただけだ。;



「ふむ。問題は伊東じゃな、伊東は相良と同盟している。いつ攻めて来てもおかしくない。家久、策はあるか? ・」


「はっ。大軍の伊東には油断がありましょう。我らが練った策で吊り出して叩けば大打撃を与える事が出来ましょう」


「釣り野伏の策か・・・良かろう。その方向で義弘と進めてくれ」


「お任せを! 」


 『釣り野伏の策』とは複数の伏兵を潜ませておき、少数でもって大軍を打ち破る策だ。これが決まれば敵に大打撃を与える事が出来る。決め手は薩摩の剽悍な兵があっての策だ。

 こと戦の立策に関して家久は大いに優れている。相良侵攻の仔細も家久の策が元だ。それで強力な相良軍団を分割調略することが出来たのだ。そして歳久は

あらゆる物事の判断をするのに優れて、義弘は実戦にすこぶる強い。いずれも我が頼もしき兄弟たちだ。

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