第372話・新春。
永禄十四年(1571)正月 大和多聞城 山中勇三郎
新春を迎えた多聞城の庭は、椿の花が寒々とした風景に彩りをつけてくれている。花びらがポトリと落ちる椿は、斬首を連想させ武家には嫌われているらしいが俺は好きだ。
今年は家族や友と過ごす良い正月だ。ひっきりなしに来る来客に接待役や賄い方は大忙しだが、俺たちは奥庭を眺める宴席でのんびりと酒肴を楽しんでいる。
新年に当主に挨拶をするというイベントは山中国には無い。本拠地が近くて挨拶に来たい者が適当に来ているだけだ。
侍所脇にも家臣が来客をもてなしている酒席があって、殆どの者は挨拶を交し記帳してからそこで少し酒を嗜んで帰る。
中には馴染みの者に出合い酒が進む者も居るが、奥のここに通る者はほぼいないのでのんびりとしているのだ。お滝らの女衆が時々酒肴を持って来て相手をしてくれるので食い物飲み物が尽きる事は無い。
宴席には十蔵と新介・藤内宗正と木津寿三郎、十市遠勝・相楽利右エ門らが居て思い思いに酒を楽しんでいる。彼等今日は泊まりだそうだ、新年から当主が不在に出来る気楽なお家なのだ、まあ俺をダシにして来たのだろうが。
先ほどまで松永家の当主久通殿と長頼殿が来ていた。当主を嗣いでからも久通殿は毎年欠かさず来られているが、昨年は格別大変だったろう。拠り所となっていた久秀様を亡くした上に大幅な領地の移転があったのだ。
「十蔵、松永家の様子はどうだ」
「へえ、新造の報告では、長頼様を重鎮に松永家に動揺はいっさい無いと。傘下に加わった赤井・波多野・別所・黒田も改革を一心に進めておるよし・」
京から大坂の大普請が進む内に、松永領の西大和や北河内が飛び地になりつつあった。そこで周辺の大名家との話し合いの結果、本拠を信貴山から滝山に移転して、西大和と北河内の領地は京都守護所に進上してくれた。その際に丹波・丹後・播磨の傘下衆を松永家家臣として吸収した。
進上された領地は、その立地により信貴山一帯を楠木家、西大和(旧布勢領)を山中国に、摂津と北河内の一部を守護所領として再編した。
この再編の流れで松永家は八十九万石から百三万石となり、楠木家は二十四万石から二十九万石、山城・摂津の一部と北河内を得た守護所領は三十七万石となった。
そしてそれを主導した松永久秀殿が十一月に大往生された。享年六十だった。拠り所を亡くした松永家は無論大きく動揺したが、既に当主久通殿が采配を取っており、重臣筆頭の長頼殿がおられる故にすぐに平常に戻ったようだ。この戦の天才と呼ばれる松永長頼殿は大の山中国びいきなのだ。それで以前より山中国への従属意向は強まったぐらいだ。
本当に長頼殿が生きていて良かった・・・
「松永家が治まれば四国を除いて畿内から中国・北九州まで平和だな」
「ほうでんな。あと懸念は遠州に侵攻した武田ですな。これは井伊谷より戻った美咲にその後の事を報告して貰いまひょう。美咲、頼んま・」
陸奥に出ていたくノ一小頭の美咲は、帰路遠州を経由して里帰りしていた。三雲や茜から遠州の最新の情報を聞いて帰ったのだ。
「はい。南の高天神城に押し寄せた甲斐・甘利隊は、厳重な構えを敷いて対陣しておりますが。その実は亀のように閉じ籠もって手も足も出ない状態のままです」
朝比奈城を取った甘利隊は二千で高天神城に進出したものの、相手は城兵二千と周囲にいる一千ほどの朝比奈勢だ。つまり甘利隊は城攻めでは無く対陣することが目的になっていた。だがそれも朝比奈側の止まぬ夜襲によって徐々に数を減らしていた。
「次に東に侵攻した武田本隊は、牧ノ原に大きな陣城を築いて東海道を封鎖して、火剣山砦をほぼ攻略し終えています。その際に出た三百程の負傷兵は、駿府からの兵と入れ替えておりまする」
今回は負傷して国に戻る兵や国元から運ばれてくる補給の品は襲わない方針だ。人道的配慮からでは無く、国から資源・人材を持ち出して国を疲弊させる為だ。甲斐・駿府・諏訪・伊那から追加兵を出した武田領は、今年の農作は満足に出来ぬ。民の暮しは逼迫し治政への不満は沸騰するだろう。
「左様でっか。武田本隊は、東海道を使って駿府から補給できますさかいに楽でんな。でもまあ、今回は他の部隊も補給は問題おまへん。義信はんは、東海道を封鎖して遠州の弱体化を狙ってはるんでっかな・」
「その様な話もあるようです。北から二俣城に押し寄せた信濃高坂隊は、井伊勢の攻撃で兵を減らし、陣を後退して厳重に守りを固めておりまする」
「高坂隊も甘利隊と同じく亀のように閉じ籠もっておりまっか。こうなると最早侵攻軍の体を成していませんな」
「三河から井伊谷に侵入した部隊ですが、奥山館に閉じ籠もっていた釣間斎以下三十名は年末に投降しました。先に井伊谷城を襲った四百名と同じく、山道の整備や開墾・水路整備に寒さに震えながら従事していると」
「ぐはは。井伊家は思いも寄らぬ労働力を手に入れたの。最後の武田隊・吉田城に向かった勝頼隊はどうしているな」
「吉田城を囲んだ勝頼隊は一度総攻撃を試みた後、厳重に陣地を構築していると」
「そうか。それ以降動きは無いか。美咲、昨年は真にご苦労であったな。せめて正月の内は木津に戻り、ゆっくり家族と過ごしておくれ」
「はっ! 父上もお早くお戻りくだされますように・」
「う・うむ。明日には戻る・・・」
相良は陸奥に行った十蔵に替わって、ここ多聞城の筆頭家老を務めているのだ。それも早い内に若い世代に引き継ぎしたい。今は何人かの候補を鍛えている最中だ。
「寿三郎、九州の様子はどうだ」
大陸との交易船が盛んに行き来するから、その元締めである義弟の木津寿三郎は九州の情勢に詳しいのだ。
「はっ。台頭してきた龍造寺と大友は何度かぶつかっておりますが、まだ決定的な勝敗はついておりませぬ。龍造寺は勢力に勝る大友の力を上手く逸らしのらりくらりと言い訳しながら巧妙に勢力を伸ばしておりますな」
「・・・鍋島直茂か」
「左様です。義兄上の言われるとおり彼の者は稀代の策士ですな。自らは表に出ずに見事に危難を回避しておりまする・」
「島津は? 」
「代替わりした島津には隙が御座いますぬな。従来よりの武力は元より商いを広げ新しき炉などを作って積極的に武器開発も試みておりまする。相良領・阿蘇領侵攻も避けられませぬ状況ですな・」
だろうな。島津は秀でた四兄弟がいるのだ。その力を結集して事に当たれば無敵の力を発揮する。事実島津と境を接する友好国の肝付領でも、国人衆の薩摩への寝返りが頻発している。近隣の者には新しい薩摩の威勢がひしひしと伝わってくるのだろう。
今南九州は薩摩旋風が巻き起こる直前だ。
「大隅の肝付氏が領地を割譲したいと願ってきた。これは肝付兼続殿と堀内氏虎の親交からきたものだ。よってこの案件は氏虎に任せた。先行きはどうなるか分らぬが、我らにとって志布志湊は今まで以上に使えるものとなろう」
「氏虎殿は・山中国は、島津を潰しますか? 」
「いや。それは解らぬ。氏虎には好きにせよと伝えたまでだ」
「それは、狩り場に熊を解き放った様なもので・」
「さあて、どうなるか楽しみだのう」
「・・・」
「・・・」
* ちなみにこの時代『元亀1570-1573』の年号は存在していない *
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます