第369話・木曽勢と真田勢。


「夜泣き、痙攣、咳に効く。

 子供に良く効く飲み薬。

 けっこう・けっこう・こけっこう

 けっこう・けっこう・こけっこう。

 鶏鳴講のお薬だ。

子供に良く効く飲み薬」


 駒場の町外れの野陣に軽やかな少女の歌声が響いた。

兵たちが驚いて通りを見ると白装束の少女と屈強な男二人が幟を立て、笈を背負って歩いて来た。行商の薬売りのようだ。隣の木曽隊が彼等を呼び止め陣の中には入っていった。


「我らも参るか」

 出陣してより、行軍中も戦地でも一緒だった木曽隊とも今日限りだ。木曽隊は明日駒場村より木曽妻籠へと道を分かち、我らは飯田から諏訪へ向かう。その別れの酒肴に招かれているのだ。村に人を出して兵たちに与える酒や甘い物を購いに行かせている。


すぐ隣の木曽隊本陣に入って行くと、木曽殿と薬売りの少女が話をしていた。大名家の当主に物怖じ無く話す光景に少し違和感を持った。



「真田殿、鶏鳴講の薬売りは知って御座るか?」

「いいえ、初めて聞き申した。なかなか軽妙な唄で御座るな」


「良く効く子供薬が有名な薬屋だ。木曽には良く来てくれる」

「ああ、それで『夜泣き、痙攣、咳に効く』で御座るか」


「金創も持っているそうだが、必要御座らぬかな? 」

「金創薬よりは、打ち身に効く薬があると良いが・」


「お侍様、我ら打ち身丸も持っているよ。そんでも、まだ腫れているなら大根をおろして貼ればいいだよ」

「大根だと、それで腫れが引くのか。ならばやり方を教えてくれるか? 」

「いいだよ。まんず大根がいるだ。それに布と卸し金もいるだよ」

「ならば我らもそれをやろう」


 村に人を出すと大根はなんなく手に入った。布と卸し金は隊にいつでもある。少女は鮮やかな手口で、大根下ろしを布に塗ると患部に巻き付けた。それを見て覚えた元気な者が次々と仲間を治療して行く。痛みの強い者には打ち身丸を購って飲ました。

 半刻もすると、痛みが和らいだと言う声が出て来た。



「やれ、薬売りのお蔭で良い酒が飲めまする」

「左様。まことに良いときに来てくれたものだな・」


 木曽殿らと車座になって、別れの酒を酌み交わしている。そうだ、まずはあの事の礼をせねばならぬ。


「木曽殿、此度は真に忝い。お蔭を持って我ら一名も死なすこと無く帰参出来まする」


「・あれは我らも思いがけぬ事であった故に、礼は要らぬよ」



 それは我らが伐採のために山に入った初めの頃だ。山間に分け入った我らは不意に徳川の弓隊に囲まれたのだ。

 まさに絶体絶命の危機だった。死を覚悟した、その時、


「止めい。弓を降ろせ! 」

「そなたらは木曽勢と見受ける。我ら斉藤家に多少の恩あって木曽勢は襲わぬ」


という声が聞こえて、敵は弓を降ろして去ったのだ。足軽が隊の小旗を腰に差しているのを見たようだ。それ以来小旗を必ず身に付けるようにして、罠に掛かる事はあっても敵に襲われることは無かった。

我らに負傷者が少なかったのは、山に慣れているせいなどでは無くて敵が襲わなかったのだ。


「いえ、我らは木曽隊と一緒にいたことで助かり申した」

「真田も独自の道を画作していると聞いたが・」


 つまり木曽は、武田の敵である尾張斉藤家に誼を通じていると言うことだ。真田家も高坂家と同様、武田家と一線を引いているのは知られている。


「その様で御座るが、某には何とも・・」

「ふむ。その折にも我らと協調出来ると良いな」

「まさに・・」


 木曽や真田は小勢力故に武田家に代わる勢力の庇護を受けねばなるまい。となれば、相手によっては木曽と敵対する事もありうるのだ。




 野田城 武田勝頼


 やっと落とす事が出来た野田城。そこに入ってみて如何に堅城だったかが良く分かる。

 こんな城をよく落とす事が出来たものだ・・・


 高櫓を使っての二日目の攻撃で、馬場山県隊が帯曲輪に上がった。それから夜を徹しての攻撃で帯曲輪を占拠して三の郭に入った。

 その様子を歓喜して見守る我らの背後を、突如敵が襲ってきた。一千を越える徳川の大軍だ。


 不意を突かれた。背後の木曽・真田隊が抜けたあとの手当てを忘れていたのだ。


 馬場隊・山県隊の応援が来た時には、五百もの死者が転がっていたのだ。難しい攻略で馬場隊・山県隊も二百五十もの兵を失っていた。

本隊と跡部隊で一千三百、馬場隊八百、山県隊一千二百の総計三千三百兵の内三百ほどが負傷している。


 これで敵が待ち受ける吉田城を囲むのには兵が足りぬ。それで伊那の残兵三千の出動を要請した。野田城は負傷兵に守らせて、六千兵で吉田城を攻略する。


「釣間斎はどうなったか」

「そう言えば、何も連絡が御座りませぬな・・」


 井伊谷に進出して十日は経つ。その間何も連絡がないのは不審だ。


「何かあったかも知れぬ。何事も対応出来る大人数の斥候隊を送ってみよ」

「はっ! 」



 斥候隊の報告は、翌日に上がってきた。


「長坂隊、奥山城南の奥山館で囲まれて身動き出来ぬ様です! 」


「・ほう、敵の館を奪ったか。囲んでいる敵はどれ程か? 」

「僅かな数で、総勢でも三十程度と聞いておりまする」


「・・・なるほど。釣間斎は井伊谷へ進出した事実を重要視したようだな・」


「左様。無理に城攻めをせず敵を引き付ける。それならば、我らの任務は最低限果たせますな。だが三百兵ほどを返して欲しいものですな」


「全くだ。良い、そっちは放置だ。斥候隊を引き上げさせろ」

「はっ」


 勝頼と跡部らは、西遠州に進出して遠州勢を引き付けることが出来ればそれで良かったのだ。報告に来た者も現地を見た訳では無い只の伝書鳩だった。


 実はこの奥山館、兵五十も入ればいっぱいの小規模な館だ。となると残りの四百五十兵は果たして・・・

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