第368話・畿内の税制改革。


永禄十三年(1570)十一月 大和(畿内)


 この頃、山中国が発表した告知に畿内は響めいていた。


「年貢

一つ 正月より山中国の年貢を二公八民と成す。

 一つ これは、あらゆる職業の者に適用する。


 手習い

 一つ 七歳から十二歳までの全ての子供は、学問所に無償で通える。

 一つ これを小学講と呼ぶ。


 商い

 一つ 新しき商いを始める者は、審査の上、国から無利息で銭を借りられる。

 一つ その場合しばらくの間、年貢を免除される。


 これは永禄十四年一月一日より行なわれるものなり。」



「二公だって、そんなら八割がおらの物になるだが? 」

「そんだ。二割納めりゃあ良いだよ」


「なら、これからは飯食い放題だんべ・」

「何言ってるだ。今でも好きなだけ喰ってるくせに・・」


「ではっ。その分、銭たまるベ」

「貯めろ。ドンドン貯めて新しい商いするベ」


「新しい商いって何だべ? 」

「そりゃあ、今まで無かった新しいことだべ」


「例えば、何だ? 」

「知るかぃ。おらに聞くな」


「小学講に行けば教えて貰えるかな? 」

「何言ってんだ。おめえ、三十路だろうが・・」



 この告知に、松永家・柳生家・北畠家・楠木家・若狭武田家・高島衆が賛同して同じ告知をした。つまり畿内全域がこの制度を受け入れるのだ。



年貢は今までの「六公四民」から一気に「二公八民」。民に直接影響する話だ。あらゆる職業には無論武士も入っている。

六年間の小学講で読み書き・算用だけで無く多くの事を学ばせる。新しき商いを奨励して産業を・会社を興させる。全ては国力を上げるためだ。国のまつりごとだけでは無く、民間主導で産業の底上げを手厚くするためだ。


 山中国と周辺六家が話し合って決めた事だ。六家は既に山中国を見習った改革をしているのですんなりと受け入れた。これを受け入れないと人が流出するのが明らかだから受け入れざるを得ない。戦が絶えて久しい畿内では、商いの隆盛で米年貢はそれ程重要では無くなってきている事もあった。





禄十三年(1570)十一月 三河野田城 

「行け! 」

「「「おおおおおー 」」


 何処までも青い秋空が広がる朝、武田隊の先頭に進むのは四本の脚を大きく広げた高櫓だ。その脚にソリを履かせて大勢の兵が押し引いて行く。


じりじりと高櫓が濠端に近づいて行く。投石機の射程に入り城から大岩が空中高く舞い上がって落ちてくる。高櫓の上から連続した射撃音がそれを止めさせた。

高櫓上の鉄砲足軽が数台ある投石機にいる者を狙い撃ちしたのだ。堪らず城兵は土塁や建物の後に逃げ投石攻撃が止んだ。


高さ四間半(9m)高櫓の上からは四間の帯曲輪の中が見えているのだ。


「よーし、今だ。押せ! 」


「よい。よい。よいこらしょ! 」

「よい。よい。よいこらしょ! 」


 濠に木橋が架けられて梯子を持った兵が駆け寄り攻め口の城壁に立て掛ける。今まで難しかったそこまでが、高櫓からの牽制射撃で簡単に進んでいる。




真田隊 真田昌輝


「昌輝殿、高櫓の牽制は有効ですな。これで胸を張って小県に帰れますな」

「うむ信頼殿。重傷者は少なく死者はいない。それが何よりの土産だ」


 戦こそしなかったものの我らは精一杯努めたのだ。御大将の下知を受けて晴れて故郷に帰れる。我らは高櫓を使っての野田城攻撃を横目で見ながら帰路に着いた。

残った真田隊百名のうち半数が怪我をしている。木曽隊も同じ様なものだ。高櫓用の木材は豊川を渡って対岸で伐採した。そちらには罠が無かった。われらも心底ほっとしたが、釣間斎殿は大喜びで進軍していった。怪我人は山仕事での怪我だ、罠が無くとも山の斜面での仕事は危険が伴うのだ。


 あれから七日経つが、奥山城を落としたという話はきかない。まあ、いくら武田の精兵でも二倍の兵力で城を落とすのは無理なのだろう。


「主水、井伊谷の情報はあるか? 」

「御座いませぬ。配下の者が探索に向かいましたがとても近づけませぬ・」


「近づけぬ・・・忍びの者がおると言うことか? 」

「はい。それも手練れの忍びが複数・・」

「・・・」


 それならば攻略は難しいかも知れぬ。釣間斎殿は忍びの者を嫌って傍に置いていないのだ。

 しかし、遠州の山間の片田舎に手練れの忍びとは初聞だ・・・世の中は広いな。


「昌輝殿、馬場・山県隊には更なる策があるようで御座るな」

「左様、三つの攻め口に加えて出丸にもとは妙だったが、その材木を二隊で分割して違う物を作っていたな・」


 北にある大手口前の本隊と東口山県隊・西口馬場隊は離れている。従って軍議のために本隊に出向く両隊と違って、本隊からは両隊の様子が分からぬのだ。

 東口と西口は街道を通して正面だ。濠端からだと僅か一丁(110m)ほどの間だがそこは城内、帯曲輪と出丸に鋏まれた死地で行き来は出来ない。

 その両隊が高櫓一つ分の材木を分けて何かを作っているのだ。



「左様、昌輝殿はあれが何だと思われますか? 」

「無論、帯曲輪を攻略するための台だろう。あれは跡部殿・釣間斎殿が指揮する本隊には打ち明けなかった馬場殿の策の核心だな・」


 山県殿は、今は飯田勢を率いて髙遠城の勝頼様配下だが、元は馬場殿と同じく御屋形様と尾張に進出した甲斐の精鋭隊だ。その二隊が本隊に内緒で何かを作っている。となれば、野田城はもうすぐ落ちるかも知れぬ・・・


「それは良い。我らが考えても仕方がない事だ。それよりも敵地を移動しなければならぬ。周囲の監視を怠わらずに行こうぞ」

「無論で御座る」



 帰路の襲撃は無かった。出る兵は襲われずに入る兵を襲うという噂通りだった。それでも木曽隊と一つになり人数の不足を補いつつ移動し、設楽が原、武節宿、杣路峠で飯田街道に入り根羽、平谷、治部坂峠と過ぎ寒原峠に到達した。


「あと一息だ。この峠を越えたら飯田まで近いぞ! 」

と須田殿が兵に声を掛けている。


我ら真田隊と木曽隊は兵の半数以上が負傷を負って肩を貸しながらヨタヨタと進んでいる。歩行が叶わず荷車に乗せられている者が三十五名もいる満身創痍の有様だ。

同行している木曽勢とは戦地でも木材調達で同じく苦労をしてきて、すっかり顔馴染みになり一つの隊のように打ち解けている。


 昼過ぎに駒場の町に着いた。負傷者を連れての道程で兵はすっかり疲れていた。今日はここで野陣を張る。なんなら明日一日ここでゆっくり体を休めたい気持ちだ。


「昌輝殿、木曽殿が酒肴をご一緒にと」

「承った。信頼殿、主水共に行こう」


 木曽殿はここから木曽妻籠へと道を分かつのだ。一つの隊の様に行軍してきたのも今日で最後となる。そう思えば、なにか寂しい気がしてきた。


「皆に酒を出そう。怪我で酒が飲めぬ者は甘いものだ。町で購って振る舞ってくれ。木曽勢にも分け隔てすること無く与えよ」

「それは良い事ですな。早速手配致します」


 帰って兄上や父上に散財を叱られても良い。今は戦場離脱と帰参を喜び合いたいのだ。


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