第366話・雨の夜の二俣合戦。


 信濃から伊那を経由して遠州の北・二俣城に侵攻して来た武田家高坂隊は、総構えの巨城となっている二俣城の目前に野戦陣地を造り始めた。


 その三日目の雨の夜、十分な防備が整わない陣地に突如井伊勢が攻撃して来た。左右からの夜襲に加えて正面よりの大攻勢に、多勢の利を活かして誘い込み包み込んでの挟撃策をとる高坂隊。


 攻撃して来た井伊隊は、左右二百に正面五百兵。井伊隊は集団調練時の五十人隊で構成されており、左右四隊、正面十隊の攻撃だ。

それに対する高坂隊は、左右に約三百兵、本隊一千、本隊の前に原隊一千と後に飯田勢五百、正面の左右に麻績と仁科の五百兵を配置した。


 暗い雨の夜。両軍とも手探りの攻防は果たしてどうなるか。




信濃武田隊本陣 高坂昌信


陣地に雨音に混じって戦の響めきが方々から聞こえてくるが、どうなっているかの戦況が分からぬ。

暗い雨夜だ。雨故に篝火は少なくその殆どが外周に配置している。陣地の中にある篝火は最小で兵の動きさえ良く分からぬのだ。


 これは拙いな・・・


 敵には準備する時間が合ったがこちらには無い。敵が分散して動けばこちらの兵は同士討ちをするかも知れぬ・・・


” 前面の敵、原隊と対峙! ”

” 左の敵、消えました! ”


 左の敵は引いたのか、それとも分散して移動したか・・・

 本陣は小高い場所にあり陣地全体を見通せる。何とか戦状を見ようと覗き込むも、ポツポツとある篝火の周囲が微かに見えるだけだ。それでも見極めようとした某の目の前を何かが通過した。


 矢だ!


「楯を出せ! 」

「矢に注意せよ! 」

「楯だ。楯で防御せよ! 」


 刹那、無数の矢がそこここに突き刺さった。何人かは矢を受けて転がっている。本陣を囲んだ兵たちから悲鳴が聞こえる。


「何処からだ? 」

「・おそらく、土塁の上から・」

「むう・・」


 確かに土塁の上からならば、何とかここまで届くだろう。

 しかし、こちらから味方が応戦している所に矢を放つ訳には行かぬ。

 ただ楯の後で縮んでいるしか無い。それにしても敵の弓矢が多い・・・


“ 麻績隊交戦! ”

” 仁科隊交戦! ”

” 原隊も進軍! ”


 三方からの挟撃が始まったか。前面の敵さえ潰せばこちらの勝ちだ。明日は二俣城を一挙に攻略して馳走を返すのだ。


” 右敵いません! ”

” 至る所で乱戦! ”

” 麻績隊苦戦! ”

” 原隊奮闘! ”


 それから半刻の間、戦況が分からぬまま戦の響めきが続いた。入って来る報告も個々の動きを伝えるのみだ。やがて戦の響きが不意に止んだ。


“ 敵、退去! ”

” 陣内に敵は見当たりませぬ! ”


 敵勢が引き上げて今夜の攻撃が終わったのだ。雨は上がっていた。


「篝火を増やせ。松明を持って巡回。負傷者の手当てを急げ」

「「はっ!! 」」


 朝までの二刻の間に届いた知らせは良いものが一つも無かった。死者二百名に負傷者一千五百。荷駄隊が襲われて、麻績・仁科・原隊がほぼ壊滅した。

 敵は主に竹槍を使ったようで、負傷者は多いが大きな怪我は無い。三将とも昏倒していたが無事だ。怪我人の大半は矢だ。それに死者の半数は同士討ちによるものと思われた。


 完敗だった。


 敵は陣内で小部隊に分かれて動いたのだ。それで敵味方の判別が難しかった。麻績・仁科隊は侵入していた敵の夜襲隊に背後を突かれた。そこに正面からの敵が突入。挟撃するつもりが逆に挟撃されたのだ。暗闇での挟撃だ、算を乱した両隊は、中央の原隊にも攻撃した。


「兵糧を奪われたか? 」

「いえ、兵糧は無事でしたが・・・」


「・たが? 」

「火薬の半数を奪われ、残りも雨に濡れておりまする・・・」


「なんと・・・」


 火薬か。敵の狙いは火縄銃を使えなくすることだったか・・・それで雨の日を選んだのか。


「それに、火縄銃の半数ほどが持ち去られました・・・」


「・・・」


 なんという事だ。火縄銃は戦を左右する強力な武器だ。城攻めには無くてはならぬ。それを奪われたか・・・



「高坂殿、真に持って不甲斐なき有様で、面目次第も御座らぬ」

「拙者も同士討ちをするなどと、面目次第も御座らぬ」

「某もで御座いまする」


 某の前に顔や喉元を腫らした三将が頭を下げている。


「到らぬのは某の方だったのだ。多勢を頼り矢が届かぬ事を喜び、陣内の防御を怠った。敵からはこちらの配置が丸見えであったのにな。それにしても井伊勢は強かったようだな」


「はい。分かれたかと思えば集まり、集まったかと思えばバラバラになって見失い。突いた槍は地面に打ち落とされ叩き上げられて、そこに竹の断面が矢のように迫って来申した。彼等はまさに練達の精兵でありましょう・・・」


「練達の精兵か・・・」


 竹槍は尖っていなかったのだ。竹槍では無く竹棒だな、そんな武器で戦場に来るとはよほどの自信だ・・・

 果たして、そんな兵がいる遠州を、今の武田家が攻略できるだろうか・・・


 朝日が照らす陣内は無情だった。

 死者が並べられて、多くの負傷者がそこここに横たわっている。苦しげな彼等は、色とりどりの旗がはためく二俣城をどう見ているだろうか。


 この侵攻で武田家は何を得て、失うのか・・・


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