第364話・総構え二俣城。


二俣城前面 信濃武田隊本陣 高坂昌信


狭い峠が強固なのは左右の山があるからだ。そこで山に大勢で取り掛かった。火縄銃で牽制しながら少しずつ登り、砦のある山頂を襲うと敵は退いていった。そのついでに峠の守りもあっさりと放棄したのだ。その引き際の鮮やかさには驚いた。



話の通り狭い峠の先は広い土地が広がっていた。広い街道が真っ直ぐ伸びている、だがその先は一直線の土塁で閉ざされているのが見えた。土塁の上には無数の旗が上がり兵の姿も見えている。

あれが二俣城か・・・話に聞いた感じとは違う・・・


「以前にはあの様な物は無く、新たに築いた防御ですな。後に見える手前の山が城山で奥が鳥羽山で御座る」


「背後の山は、土塁から相当あるな。総構えの城で詰め城が二つあるということか・・・」

「総構え・・・なるほど。詰めの城・・・左様、どちらも天竜の断崖に囲まれた堅城で御座る・・・」


 二俣川沿いの細長い幅三丁(330m)奥行き十丁(1100m)の総構え。兵数は一千から一千五百、それに大勢の民。高さ二間(4m)の土塁の前は二俣川の支流を取り込んだ水堀。

 二俣城はちょっとやそっとでは攻略できぬ巨城になっておった。総構えで長期の籠城を可能にしたか・・・意表を突かれたわ。


「ここに本陣を置いて、前面に掘切と柵を設ける。手分けして掛かれ」

「「「はっ! 」」」


長期戦だ、しっかりとした陣城が必要だ。峠を出た小高い所に本陣を置き、背後の砦を封鎖すれば良い。広い土地を利用して、前面の野原に各隊をゆっくりと配置して懐の広さを確保して夜襲に備える。その上でまずは敵の様子を調べることだ。

 無理をして攻撃する必要は無い、ここに遠州兵の多数を引き付けておくだけでも我らの役目は果たせるのだ。



「敵将が判明しました! 」


「どなたか? 」

「敵本陣と思われる中央に井筒と橘の紋幕。敵の大将は井伊谷(いいのや)の井伊家の様で御座います」


「井伊谷の井伊家・・・松岡殿ご存じか? 」

「良く知って御座る。しかし井伊家の今の当主は井伊直虎殿、女性で御座るが・・・」


「女性・・・」


(因みに松岡城の松岡氏と井伊家は親交がある。先年、今川に追われた井伊直親を匿ったのも松岡氏である)


「それに井伊家が二俣城守備を命じられるとは・・井伊谷は三河との国境がある要衝で御座るが・・はて・・・」


 案内の松岡殿が首を傾げている。某にはその辺りの事情は分からぬが、


「井伊家とはどれ程の領地を持つ国人か? 」


「左様ですな。遠戚の奥山と井伊谷三人衆の領地を入れても、一万石に足らぬかと・」


「一万石・・・一千五百兵の総構え二俣城を指揮するには些か小身だが、井伊家の当主は女ながら相当な戦上手とみて良いか? 」


「いや、内政には秀でていると聞いておりますが、戦上手・・その様な噂は聞いたことがありませぬ。次郞法師・直虎殿は尼から還俗して井伊家を継がれたお方で御座るからの、血なまぐさい事は不得手で・・・某も不可解で御座る・・」


「・・・」


 うむ。敵将の力量・性格が読めぬのは、ちと厄介だな。しかも女将とは勝手が分からぬ・・・





 永禄十三年(1570)十月 遠州井伊家二俣拠点 井伊虎繁


 目前に進軍して来て布陣したのは紛れも無く武田軍だ。かつての味方が今は敵として対峙している。


妙な気分だが、恐れや遠慮は微塵も無い。武田家にいた秋山信友は永禄十一年五月に死んだのだ。今の某は井伊虎繁、妻・乙葉(直虎)との間に三郎も生まれ、朝比奈国に連なる一国人だ。


妻が大和山中国の御当主にお会いしてから、井伊家の立場が大いに変わったという。井伊家には山中国から来られた十数名の興産方が領内を豊かにし始めていた。その上に尾張斉藤家と縁を持ったそうだ。斉藤帰蝶殿が某の命を助ける替わり子供をもうけよと言われたそうだ。


直虎殿と婚姻して井伊家に婿入りした。直虎殿は幼名の乙名に山中国御当主の一字を頂いて「乙葉」と名乗った。

朝比奈国の当主・泰朝様に御挨拶した折に、祝儀としてなんと、周辺の国人衆を寄子として付けられ北遠州の差配を任せられた。

これで井伊谷七千石から、一挙に五万石の身代になった。その上に興産方の働きで三万石ほどの実入りが増えたのだ。



『北から来る武田隊への備えを頼む』と朝比奈の殿から命じられている以上、我らも強兵を養わねばならぬ。しかしいつ武田の侵攻が始まるか、一刻の猶予もならぬ状況だった。

 そこで山中国から調練と築城の達者を派遣して貰え無いかと、山中国派遣隊代表の平井殿に願った。方々が朝行なう調練は目を見張るものがあったのだ。「我ら内政方は武芸が苦手で御座る」と言われるのに誰もが飯田城の武田兵より強いのだ。

どうも山中正規兵と言われる者は腕が立つらしい。



「某、目賀田貞政で御座る。百合葉様より命じられて井伊家の調練と築城を指南致すために参り申した」

 目賀田殿と配下十名が来られたのは五日後だ。畿内まで行き来するにも足りぬ日数で来られるのか・・・


「井伊虎繁で御座る。無理を言って相済みませぬが二俣城の整備の指導をお願いしたい。一刻の猶予も御座らぬのだ」

「承知した。早速城を見せて下さるか」


 某、武田流の築城は知っておるが、向かってくる敵はその武田軍だ。ここは山中国流の築城をしておきたいと思ったのだ。今までの城の概念を変える城造りをしていると聞いた。早速、北遠州の要・二俣城を案内した。


「なるほど、確かに凄まじい堅城ですが・・・些か狭う御座るな・」

「いかにも。しかし背後には鳥羽山もあり、そこは広う御座る」


「・・・そうですな、山中国流の城を希望されるのなら、あの辺りに土塁を築いて一帯を囲まれたら如何か・」

「あそこまで囲いますか・・・総構えの城で御座るな・」


「左様で。なれば民も安心で御座ろう。三河では武田兵は鬼畜生と怖れられておると聞いて御座る。それに二俣・鳥羽山に抑えの兵を置けば、あっさりと遠州に入れますぞ」


 鬼畜生か、たしかにご病気の御屋形様は酷いことも平気でなされた。某もそれを考えると胸が痛い・・・


「左様ですな、遠州に侵入されては某の役目を果たせぬ。だが猶予が無く低い土塁で果たして武田の大軍を抑えられようか・・・」


「ならば、あそこの支流を掘り下げ広げ、水を満たしたら如何で・」


「水堀は埋めるか木橋で渡れる。とてもそれだけでは防ぎきれぬ・」


「城内にも障害を設けましょう。それに井伊殿は亀のように閉じ籠もって堪えるおつもりで? 」


「むう、こちらは最大でも二千、武田が全兵で来たのなら二万近くなろう。閉じ籠もって耐えるしかなかろう・」


「左様で。ならば某の調練など無用ですな。閉じ籠もって耐えるだけならば坊主に説教を頼めば良い」


「目賀田殿が調練したのならば、武田軍を打ち負かせると・」


「当然です。先年、十数万の強兵がいる陸奥国鎮圧に派遣した山中兵は百兵です。武田軍二万などものの数ではありませぬ」


「なんと・・・」



数十万に対して僅か百兵と、如何に一騎当千の強者を揃えても、そのような事ができようか・・・


「それに武田全軍がこちらに来るわけではありますまい。多くて半分で御座ろうか・・・・・・」


 あまりの驚きに、続く目賀田殿がいう言葉が耳に入らなかった。


 こうして総構えの二俣拠点(山中国ではそういうらしい)造りが始まった。



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