第363話・信濃・高坂隊の戦。


 秋葉街道・横山地 高坂昌信


「では昌元頼むぞ。三之丞と相談して動くのだぞ」

「はっ。お任せ下さい。父上! 」


 次男・昌元に二百兵を預けて、秋葉山の麓を固める天野家に備えさせる。この遠州街道を天野に封じられたら我らは袋の鼠になるからな。昌元はまだ二十の若輩者だが、老臣山田三之丞を頼りにすればよかろう。


 我々の部隊は、遙々信濃から伊那、飯田勢と合流して兵越峠を越えて、遠州街道を南下して来た。

武田家あげての遠州攻めだ。某は他国を侵略するのは好まぬが、主家の命には応ぜぬ訳にはいかぬ。百姓であった某を国持ち大名まで引き上げてくれた御屋形様のご恩に報わなければならぬ。


 だがこの様な遠征は、これで最後としたいものだ。武田家の遠州攻めには微力を尽くすが、もし万が一、それが為し得なかったならば武田家を離れよう。

 最後のご奉公だ。


「出立!! 」


「松岡殿、二俣城まであとどのくらいか? 」

「はい。山越えして二里少々、一刻半ほどで着きまする」


 松岡貞利殿は飯田・松岡城の城主で我らの案内をしてくれるお人だ。此度は飯田衆五百兵を率いている。


「一刻半か、もうすぐだな。ならばその手前で陣を張れるところはあるか」

「大軍が野営する広さは、二俣城まで一里足らずの船明原まで有りませぬ」


「・・そうか。ならばそこまで進もうか」



 一刻半後、予定通り船明原に到着した。幅は約六町、奥行きは見通せぬ広大な野原だ。二俣城まで半里、もうすでに敵の目前であるから厳重な警戒を敷いて野営の準備をする。


「殿、原の出口が塞がれ前方左右の山には敵陣が築かれていまする・」


 野原の出口は両側から山が迫り、道一つ分ほどだ。そこに丸太を立て並べ横木で閉じられ兵が待ち構えていると言う。左右の山の複数箇所に砦が築かれ兵が詰めているらしい。


「・・そうか。既に前線であるからさもあらん」


 敵陣を目の前にしたというのに目的地に到着したという安堵は、すぐに消えた。夜には火矢を打込む小規模な夜襲があった。当然だ、我らは土地を、命を奪いに来たのだ。歓迎される訳は無い。兵隊にも油断と動揺はないようだ。



 意外にもぐっすりと眠れた。野原に戦の響めきは無い、高い青空に雲が広がり季節を感じた。本陣には既に各将が集まっていた。


「殿、薪取りに山に入った者が負傷して戻りました」


「敵と交戦したのか? 」

「いいえ。山には罠が仕掛けられているようです」


「・罠・・・薪か、飯を済ましたら後方に薪取りに向かわせよ。百人隊二組だ」

「はっ! 」


 どうやら敵は薪を渡さぬようだ。荷駄の薪でしばらくは間に合うが、早めに手当てした方が良い。


「麻績、仁科は百で左右の山に入って見よ。罠を見極めよ」

「「はっ! 」」


「春日、五百で柵に向かえ。まずは手合わせをしてみろ」

「承知! 」



「柵が破れるようなら信豊殿は後詰めを」

「承知!」


「原殿は様子を見て、適宜援軍を出してくれ」

「承知」


 原昌胤殿は歴戦の勇将であるが、御屋形様の勘気を被って甲斐を離れて信濃に来られた。武田信豊殿は譜代衆の筆頭若手であるが、高取城で勝頼様と仲違いされて信濃に来られた。

何故か某の家中にはそういう方々が多い。皆、真面目であるが故に苦境に立つことになった方々だ。



「松岡殿は背後を気に掛けて欲しい」

「承知致しました」


「まずは、そんなものか。此度の進軍は長期に渡る。慌てる必要は無く、くれぐれも慎重に動いて欲しい」


「高坂殿・宜しいか」

「・松岡殿、どうぞ」


「その狭い出口を進んだ先ですが、この野原より数段広い土地が広がっており、およさ半里で二俣城で御座る。敵の大軍が待ち受けていないとは限りませぬ」


「そうであった。先の地理を考えておらなんだわ。春日、そこは慎重に見極めるのだぞ」


「承知致しました」




「出撃! 」

「「おおおおお!! 」」

合図と共に、一斉に部隊が動いた。

 麻績隊、仁科隊が左右の山に取り付き、出口に向かって春日隊が進む。


 だが、出口まであと少しというところで、進軍が止まった。


 矢だ。

 出口とそれに連なる左右の山から無数の矢が降ってくる。


「伝令、出口の幅は僅か一間半、先頭に矢が集中して矢楯は針鼠。進めませぬ! 」


「・・一旦退いて態勢を整えろ」

「後退せよ! 」



 一度で突破できる程、甘くないか・・・


 後退して来た前衛が持っていた矢楯には、支えきれぬ程の矢が刺さっていた。それは短い短弓・大和弓の矢だ。我らは装備しておらぬが、甲斐や駿府勢はこの短弓を使っている。

取り回しが良くて一度使ったら手放せぬと言う。焼津湊で手に入るのだ。だが我らの弓では短くて使えぬ矢だ。中には雑な造りの物も多い。矢羽でなく草の葉を付けた物まである。こんな物がよく飛んで来て刺さったものだ・・・



「麻績隊、仁科隊はどうだ? 」

「山に入ったまま、状況不明です! 」


「・・・援軍に百人隊を出せ。そちらも一旦後退させよ」

「「はっ! 」」


 そちらにも何かあったのかと思うと背中が冷えた。慎重にと言いながら軽率だったかも知れぬ・・・


 麻績隊・仁科隊は、先頭が巧妙な罠に掛かりそれを助けようとしたところに敵の矢に襲われ動けないでいた様だ。数十人が負傷していた。


 こちらも矢だ。敵の矢数がとんでも無く多い。


 我ら四千五百の内、弓隊は九百だ。それでも通常より多く、火縄隊が三百、騎馬隊三百もいる。


敵の構成は、弓隊はどのくらいだ? 

そもそも敵部隊を率いる将は誰だ?


「敵将は誰か? 」

「・分かりませぬ。二俣城方面には忍びの者も行けませぬ」


 う・ううむ、遠州は忍びの者も大勢雇い入れたか・・・

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