第360話・武田隊本隊・遠州上陸す。


永禄十三年(1570)十月 武田水軍船の甲板 武田義信


 清水湊から五隻の関船に兵と物資を満載して西へと航行している。一隻はこのために急造した新船だ。


 武田家をあげての遠州攻めが始まった。先陣として勝頼隊が遠州野田城を攻略中だという報告が入った。

以前父上がなんなく落とした野田城は、大幅に整備され難攻不落の城になっているという。しかし伊那への補給路となる野田城を落とさねば、武田隊は退路を絶たれてしまう。軍議の結果、まずは全力で野田城を落とすという報告があった。


 さもあらん。

そう易々とは事は進まぬ、徳川とて我らの対策を講じる時間は十分あったのだ。はたしてそれを若輩者の勝頼めが落とせるかな。落として当たり前、わが領地が増えるだけ。もし落とせなければ勝頼を後継者にという声は無くなろう。


 まったく、勝頼と諏訪は生まれついてより家中の敵だった。お優しい母上のご厚情があって存在を許されていたのに、甲斐に憎しみを向けることしかしなかった。

 まあ良い。今となっては、勝頼は武田家の一家臣に過ぎぬ。戦の功あれば賞して不手際があれば罰するだけだ。



 さて、遠州攻略だ。

 もう一つの別働隊・信濃の高坂隊四千も、今頃は北から二俣城に向かっている筈だ。高坂隊は北から遠州に入り、二俣城を攻略する。


我らと同じく船で先行した甲斐勢・甘利隊三千は南へと長く伸びた御前崎の根元にある朝比奈城に向かっている。朝比奈城を落として遠州南の要・高天神城を攻略するのだ。


そこへ我ら本隊五千が東から本城・掛川城を目指すのだ。掛川城の東の守りは、北から火剣山砦・富田城・横地城の三城だ。そのどれか、或いは全部を落として進撃する。

朝比奈は三方向からの攻撃を受けて四苦八苦するだろうな。或いはそれだけで降伏も有り得るな・・・




 海上から焼津湊が見えている。船だまりには高い帆柱がある大船が数隻並んでいる。山中国の船、商船でも強力な武装を持っているという。もしあの船が攻撃して来れば、武田水軍など海の藻屑になると・・・


 山の間から青い色の水が真っ直ぐに押し出している大井川を越えるとその先に小さな湊が見える。吉田の湊だ、漁師船しか居ないその湊が我らの上陸地点だ。


「渡し板の用意は良いか。綱を投げろ! 」

「おっしゃー! 」


 船頭の合図で船首船尾から綱が投げられて、岸にいた者がそれを素早く引いて杭に結ぶ。船が岸にたぐり寄せられると、何枚もの渡し板が掛けられると、兵がおよび腰で渡って行く。


 某の番だ。


 皆の手前、堂々と渡ろとしたが揺れる船に軋む板でそうはいかぬ。身を低くして手を着いて渡った。

 当初家中には海上を移動する事にかなりの危惧があったのだ。

ところが、案ずるより易し。

遠州への船で兵の輸送は、山中船の妨害も無くやってみれば陸地を来るより早いし断然楽だった。ただ朝比奈家にも水軍が有り油断はならぬ。油断はならぬがそう怖れることも無い。


 ん・・・岸の片隅に布を巻いた兵らが固まっている。負傷者だな、甘利隊はもう敵と戦ったのか・・


「殿、甘利殿が負傷者三十四名を駿府に戻すと」

「・そうか。直ぐに船に乗せよ。その間に仔細を聞かせてくれ」


「はっ。ありがとう御座いまする。仔細は・・・」


 うぬ、甘利隊の先行した斥候隊が罠に嵌まり襲われたのか・・周辺には無数の罠と共に敵が潜んでいて油断出来ぬと。

 これは、勝頼めを笑っている場合では無かったな・・・


 朝比奈には我らを迎え撃つ時間は十分あった、徳川よりも遥かに長い時間だ。そういう敵地に乗込んで来たのだ。

見晴らしの良い海原・船で移動して遊山気分だったわ・・・

兵に助けられて船に乗る負傷者たちが痛々しい。儂も油断すれば、すぐにああなるのだ。武田家当主として初めての戦だ、何事にも抜かり無くやらねばならぬ・・・


「将を集めよ。軍議を催す」

「はっ! 」


「内藤、周辺は罠だらけだ。指揮は任す、被害を抑えて進軍せよ」

「畏まった。行き先はどちらに? 」


「それよ。掛川城の東を固める三城のうち何処に向かうのが良いと思うな・」


ここは歴戦の勇将・内藤昌豊に任せる。さすれば例え失敗しても儂の落ち度にはならぬからな。


「火剣山砦は険しい地形にある砦で、富田城は平城だが川の水を引き込んでの水濠が御座る。横地城は通常の山城ですが、これに本隊が向かうと南の甘利隊と近く敵の分断策が弱くなりまする。そこでまずは富田城に向かい、斥候の報告を待ち決めるべきかと」


「ならば川沿いに北上して横地城に向かおう」

「はっ」


 この辺りは東を大井川が侵食した牧ノ原台地だ。川筋にそって田畑や集落が有り罠が少ない筈だ。そこを二里ほど北上すると富田城の東に到達する。



「今から義信様に変わって儂が指示をだす。皆も聞いておると思うが、南に向かった甘利隊は進軍中に多くの負傷者をだした。ここは敵地で周りは陥穽だらけなのだ。戦は始まっている。今更だが、それを肝に銘じて動け」

「「はっ」」


「斥候は十人隊・五組を中央と左右に出す。各組は離れずに交代で二隊を出して地形を良く見て進め。なにか異変を感じたらすぐさま動きを停止して確かめよ。見通しの良い所でも油断するな、急ぐ必要は無い。常に本隊への報告を欠かさない様に」

「「はっ」」


 うむ。儂は十人隊の斥候を出せば良いと思ったが、それが五組まとめて出すか・・・流石に歴戦の強者だ、斥候一つにしても一切の妥協が無い。

 任せて良かったわ。



 半刻ほどして、部隊が動き始めた。思った通り川筋には罠は無かったようだ。何事も無く北上して台地に上がった。そこで各城に放った忍びの者が戻るのを待つ。忍び衆頭の出浦守清が甲斐忍びをこぞって連れて来て周囲に放っている。




「横地城の守備兵五百、周辺に無数の罠が見受けられます・」

「富田城・五百兵、濠を広くして守りを固めておりまする・」

「火剣山砦、嶮岨で近づけませぬ。周辺に罠多く、兵が潜んでいる模様・」


「ふむ。出浦、どう思うな? 」

「はい、罠があって近づけておりませぬが、どの城も入念に整備されているようで御座るな・」


「義信様、ここは時を掛けて慎重に攻めるべきで御座るぞ」


「ならば内藤、お主の考えは? 」


「掛川城に近く北の山は火剣山砦に、南は横地城に繋がりまする。敵は富田城を守りの拠点と考えておりましょう。ここは敵の目論見を外して北上し火剣山砦を睨んで、東海道を抑えたら如何でしょう」


「・・・なるほど。戦が長期化するのを見越して敵の大動脈である東海道を抑えるか」

「東海道は我らの補給線でも御座る。それに広い街道をゆうゆうと掛川城に向かえますな・」


「良し。内藤と出浦の策に乗ろう。台地を北上して東海道に出る。出立だ! 」

「「ははっ」」



「敵襲!! 」

「矢に警戒せよ! 」

「楯だ。矢楯をだせ! 」


東海道に到着して、広い大地に野営した武田本隊。兵が寝入りかけた頃に夜襲があった。放物線を描いて飛んでくる火矢。二方からの夜襲だ。横になった兵士に無数の矢が降りそそぎ少なくない犠牲が出た。



「ふう・・やられたな・・・」


 朝日に照らされた野営地を見て、義信は溜息を吐いた。負傷した者五十、火矢にやられて燻った荷駄が十台もあった。夜襲は明け方まで四回続いた、碌に眠れていない・・・


「内藤、毎晩これでは持たぬな・」

「左様ですな。敵の矢が多すぎまする・」


 敵の矢は短くて、短弓の大和弓だと思われる。我らも焼津湊で手に入れて、使っている安価なのに品質が均一な優れものだ、朝比奈もそれを大量に装備しているらしい・・・


「間も無く冬が来ます。遠州をじっくりと攻めるのならば、しっかりした陣城が必要かと思いまする」


「うむ、そうだな。ならば、寒い冬でも凍えず、敵の夜襲に悩まされない陣城を作ろう。総奉行は小山田で喜兵衛も縄張りを助けよ。その間、内藤は穴山・土屋と火剣砦を切り崩せ」


「「承知! 」」

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